■ 第3話「伏見の違和感」
流れは、急には止まらん。
せやから、人は気づかへん。
少しずつ、ほんのわずかに、ずれていく。
伏見の朝は、今日も賑やかやった。
船が入り、荷が降ろされ、声が飛び交う。
人も物も、確かに動いている。
――はずやのに。
「……遅いな」
船頭が、空を見上げてつぶやく。
「何がや」
「いや、いつもやったら、もう一本来とる頃や」
別の船頭が笑う。
「風やろ」
「せやったらええけどな」
それだけの会話や。
せやけど――どこか引っかかる。
わしは、水面を見る。
流れている。
せやのに、重たい。
「旦那」
幸が帳面を抱えて近づいてくる。
「昨日の分、まだ全部さばけてません」
「残っとるんか」
「はい。人は来てます」
間。
「せやけど……選びきれてへん感じです」
「選びきれてへん?」
幸は、少し考えてから言葉を選ぶ。
「どれがええか、分かってへん顔してます」
それは、ただの売れ行きの話やない。
「理由は」
「……分かりません」
またや。
分からへん、いうのが増えている。
「せやけど」
幸が続ける。
「似たもん、増えてます」
「似たもん?」
「形はよう似てます」
間。
「でも、なんか違う」
その違和感が、残る。
「人は、どう見てる」
「……分かってへん人が多いです」
幸は、少しだけ眉を寄せる。
「どっちも同じや思うてる人も」
それは、まずい。
覚えられる前に、混ざっている。
「見に行こか」
港の奥へ歩く。
人はおる。
声もある。
せやのに――
繋がってへん。
それぞれが動いているのに、
流れとしてはまとまってへん。
「……おかしいな」
思わず口に出る。
そのときやった。
「おかしいのは、前からやで」
背後から声が落ちる。
振り向くと、ひとりの男が立っていた。
痩せた体。
粗末な着物。
せやけど、その目は――鋭い。
「誰や」
「ただの手伝いや」
男は肩をすくめる。
「荷改めの下働きや」
幸が、じっとその男を見る。
「何が、おかしいんです」
男は、水やなく、人の動きを見ている。
「あんたら、流れ見てるやろ」
「せやな」
「ほな、気づくはずや」
一歩、近づく。
「止まってへん」
間。
「詰まりはじめてる」
その言葉に、空気が変わる。
「どこがや」
わしが問う。
男は、軽く指を振る。
「ここだけやない」
「……どういう意味や」
「上も下も、ちょっとずつや」
幸の目が細くなる。
「全部、ですか」
男はうなずく。
「せやから、気づかへん」
小さな遅れ。
小さなズレ。
それが積もって――流れを止める。
「誰がやっとる」
男は少し笑う。
「それが分かったら、楽やな」
せやけど、と続ける。
「偶然やない」
その声は、はっきりしていた。
「こんだけ揃うのは、作っとる」
間。
幸が口を開く。
「……見えてるんですね」
男は肩をすくめる。
「見えるようになっただけや」
それだけ言うて、背を向ける。
「どこ行く」
思わず声をかける。
「仕事や」
振り向かん。
「ここ、もう少し詰まるで」
それだけ残して、去っていく。
しばらく、誰も口を開かん。
やがて幸が、小さく言う。
「……あの人、覚えておきます」
「せやな」
ああいう目は、見逃したらあかん。
水面を見る。
流れている。
せやけど――どこかでせき止められている。
見えへん手が、動いている。
「旦那」
幸が言う。
「これ、このままやと」
「止まるな」
はっきり言う。
止まった流れは、腐る。
せやから、その前に――
「動くか」
幸がうなずく。
そのとき、遠くで声が上がる。
「船が来んぞ!」
ざわめきが広がる。
誰かが言う。
「さっきのは、ほんまやったんか……」
疑いと、不安が混ざる。
幸が小さくつぶやく。
「……ほんまでも、すぐには信じてもらえませんね」
わしは、うなずく。
「せやな」
間。
「人は、慣れた方を選ぶ」
それが、流れや。
せやけど――
「残るもんもある」
幸が、静かに言う。
その言葉に、わずかに空気が変わる。
完全には届かん。
せやけど、消えてもおらん。
それでええ。
遠くで、また声が上がる。
流れは、歪みはじめている。
そして――
それは、広がる。
わしは、静かに息を吐いた。
「……来るな」
これは、偶然やない。
誰かが、流れを触っている。
その手は、まだ見えへん。
せやけど――
確実に、近づいている。




