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第二章 第11話 「揺らぎの中で」

 京の朝は、静かに始まる。


 だがその静けさは、どこか張り詰めていた。


 三条から四条へ。


 通りには人が溢れている。

 声もある。

 笑いもある。


 だが。


 どこか、噛み合っていない。


「動いとるな。」


 清継はそう言った。


 荷は運ばれている。


 銭も動いている。

 止まってはいない。

 ――止まってはいないはずだ。


 ---


 だが。

 人の動きに、わずかな“間”がある。


 呼びかけに対する返事が、ほんの一拍遅い。


 手渡しの際、指が触れるのを避ける。

 視線が合う前に、逸れる。

 それは小さなことだった。


 だが。


 積み重なると、違和になる。


(……何や、この感じ。)


 清継は胸の奥に残るざわつきを無視した。


(流れは戻っとる。)


 そう考える。

 そうでなければならない。


 ---


 幸は違った。


 茶を渡すたびに感じる。


「ありがとうございます。」


 その言葉の裏にある、ほんの少しの距離。


 昨日より近い。

 だが、まだ遠い。


(結びきってへん。)


 胸が、静かに痛む。


 ---


 その日の夕刻。


 清継は一人、東山へ足を向けた。


 京の町を見下ろす。

 瓦の波。

 煙の細い筋。

 人の営みが、そこにある。


 だが。


 その流れが、どこか歪んで見える。


「……。」


 風が吹く。


 遠く――


 山の稜線が、わずかに揺らぐ。


(比叡……。)


 あの山は、変わらない。

 昔から、ずっと。

 動かず、そこにある。


 清継は目を細める。


(動かんもん。)


 それは、強さなのか。

 それとも。


 ――停滞なのか。


 ---


 その視線を切るように。

 反対の方角へ目を向ける。


 南。


 伏見の先。

 石清水の方角。


 風が抜ける。

 流れていく。


(あっちは……動いとる。)


 同じ京でありながら。

 まるで違う流れ。


「……対やな。」


 言葉が漏れる。

 だが、その意味をまだ掴めていない。


 ---


 その頃。


 町では小さな出来事が続いていた。


 釣り銭が合わない。

 荷が一つ足りない。

 約束の時刻に、わずかに遅れる。


 誰も悪くない。

 誰も責められない。


 だが。


 積み重なる。


(歪みや。)


 縁は組紐を手にしていた。

 ほんの少しだけ、ねじれた結び。


「これな。」


 幸に見せる。


「切れてへん。」


「でも、弱い。」


 幸は息を呑む。


「……直せるんですか。」


 縁は頷く。


「直せる。」


「せやけどな。」


 指で結び目をなぞる。


「気づかんかったら、切れる。」


 その言葉は、静かに重かった。


 ---


 夜。


 小さな茶室。

 庭を望む間。

 灯りは抑えられている。


 外の庭は、ほとんど見えない。


 だが。


 石の輪郭。

 木の影。

 水の気配。


 それだけで、十分だった。


 清継はそこに座っていた。


 差し出されたのは、伏見の蒸し羊羹。

 艶のある黒。


 光を吸い込むような色。


「……甘いもんは、久しぶりやな。」


 一口。

 舌に乗せる。


 強くない甘み。

 だが、芯がある。


 静かに広がる。


「ええもんやろ。」


 伊平が言う。


「派手やない。」


「せやけど、消えへん。」


 清継は頷く。


 庭を見る。

 見えない。


 だが、感じる。


「この庭もやな。」


 伊平が続ける。


「全部見えへんやろ。」


「せやのに、分かる。」


 清継は黙る。


「光やない。」


「影や。」


 その言葉に、わずかに心が揺れる。


「人はな。」


「見えるもんで判断する。」


「せやけど。」


 伊平は羊羹を指で示す。


「ほんまの味は、あとに残る。」


 沈黙。


 外で風が鳴る。

 葉が揺れる音。


「今の京はな。」


 伊平は静かに言う。


「光ばっかり見とる。」


「せやから、影を見失う。」


 清継は顔を上げる。


 だが。


 まだ、繋がらない。


 ---


 同じ頃。


 闇の中。


 男は目を閉じていた。


「動き出したな。」


 部下が言う。


「はい。」


「乱れております。」


 男はゆっくりと目を開ける。


「相手も、動いとる。」


 誤認は、確信へと変わっている。


「結び直そうとしとる。」


 だが。


 その相手は――


 存在していない。

 少なくとも、男が思う形では。


「なら。」


 男は立ち上がる。


「次は、もっと深くやる。」


「気づいとる者ほど、壊しやすい。」


 その言葉には、歪んだ確信があった。


 ---


 茶室。


 清継は、まだ座っていた。


 羊羹の甘みが、口に残る。

 消えない。

 静かに、そこにある。


(残るもん……。)


 ふと、思う。


(流れも……残るんやろか。)


 その瞬間。

 胸の奥のざわつきが、少しだけ形を持つ。


 だが。


 まだ、言葉にはならない。


 風が通る。

 庭の影が揺れる。


 結びは、まだ完全ではない。


 だが。


 その不完全さの中で――


 何かが、確かに動いていた。


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