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第二章 第10話 「結び目の影」

 京の朝は、穏やかに始まった。


 人は笑い。

 荷は動き。

 茶は売れている。


 ――流れは、戻っている。


 清継はそう思っていた。


 ---


 だが、その日の昼。

 一つの報せが届く。


「旦那。」


 弥七の声は低かった。


「伏見の蔵が、止まりました。」


 清継の手が止まる。


「……何やて。」


「荷が出ていきません。」


「人はおるのに、動かんのです。」


 清継は眉をひそめる。


 意味が分からない。

 壊れているわけではない。

 盗まれたわけでもない。


「誰かが止めとるんか。」


 弥七は首を振る。


「違います。」


「誰も止めてへん。」


「せやのに……止まっとる。」


 ---


 伏見。


 蔵の前には、人が集まっていた。


 荷はある。

 担ぐ者もいる。

 だが。


 誰も、動こうとしない。


「……どうする。」


「いや、先にあっちが動くやろ。」


「待った方がええ。」


 誰も命じていない。

 誰も禁じていない。


 だが、全員が“様子を見ている”。


 清継はその光景を見て、息を詰めた。


(止まっとる……。)


 流れが。


 見えない何かに、引っかかっている。


「何が起きとる。」


 誰に問うでもなく、言葉が漏れる。


 答える者はいない。


 ---


 幸は、その空気に覚えがあった。


 七夕の前。


 あのざわつき。

 あの、確かめられない不安。


「……同じや。」


 小さく呟く。


「また、始まっとる。」


 清継は振り向く。


「違う。」


 即座に否定する。


「噂はもう落ち着いた。」


「これは別や。」


 そう言い切る。


 だが。

 何が違うのか、自分でも分かっていない。


 ---


 堺。


 宗久は報せを受け、笑った。


「やりよるな。」


 与四郎が眉をひそめる。


「何がです。」


「壊してへん。」


 宗久は指で机を叩く。


「止めとる。」


 それだけで、十分だった。


「怖いのはな。」


「壊れることやない。」


「動かんようになることや。」


 与四郎は息を呑む。


「……誰が。」


 宗久は首を振る。


「誰でもない。」


「せやから厄介なんや。」


 ---


 闇の中。


 男は静かに話していた。


「荷を止めたか。」


 部下が頷く。


「はい。」


「誰も命じておりませんが。」


「皆が様子を見ております。」


 男は満足げに頷く。


「それでええ。」


「人はな。」


「一度疑うと、動かんようになる。」


「そこを突く。」


 その目は、冷たかった。


「相手は、気づいとる。」


 部下が顔を上げる。


「はい?」


「流れを読んどる者がおる。」


 男の誤認は、確信へと変わっていた。


「せやから。」


「今度は、流れそのものを止める。」


 ゆっくりと笑う。


「どう出るか、見せてもらおか。」


 ---


 京。


 清継は蔵の前に立ち続けていた。


 誰も動かない。

 荷も、風も、止まっているように見える。


(こんなはずやない。)


 流れは戻ったはずだ。

 結び直したはずだ。


 それなのに。


「……何でや。」


 初めて、迷いが混じる。


 その時。


 一人の老人が、ふらりと荷に手をかけた。


 誰の指示でもない。

 ただ、持ち上げる。

 そして、一歩、歩く。


 たったそれだけ。


 だが。


 それを見た若い男が、続く。


 また一人。

 また一人。


 止まっていた流れが、わずかに動く。


 清継はそれを見て、息を吐く。


(ほらな。)


(流れは、止まってへん。)


 そう結論づける。

 安心が、胸に広がる。


 だが――

 それは。


 誰かが仕掛けたものではない。


 ただの偶然。

 ただの、人の気まぐれ。

 ただの、小さな勇気。


 それが。


 黒幕の計算を、また少しだけ狂わせていた。


 ---


 風が吹く。


 蔵の前の埃が舞う。

 流れは、戻り始める。


 だが。


 その奥にある歪みは、まだ残っている。


 清継は、それに気づかない。

 黒幕は、誰かの存在を疑う。


 二つの認識は、すれ違ったまま進んでいく。


 結びは、まだ完全ではない。


 そして。


 その結び目の奥で――


 新たな影が、静かに動き出していた。


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