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戦国京都流通譚 正水 〜和菓子から始まる“本物”の価値の取り戻し〜  作者: 莵月
第二章(地の展開):流れを繋ぐ者たち ―縁と商い―
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第二章 第6話(後編)「結びのかたち」

 老人が差し出した白い組紐は、雪のように澄んでいた。

 染めを施さぬ絹糸だけで組まれた一本。


 派手さはない。

 だが、目を離せない美しさがあった。


 縁は両手で受け取り、しばらく黙って見つめる。


「……石清水さんへ納める紐ですね。」


 老人は静かに頷いた。


「よう分かったな。」


「白糸だけで組む結びは、神前へ供えるもんや。」


「人が飾るためやない。」


「神さんとの縁を結ぶための組紐や。」


 幸は思わず息をのむ。


「組紐って、そんな意味があったんですか。」


 老人は微笑んだ。


「結ぶいうことはな。」


「形を作ることやない。」


「心を整えることや。」


 縁は白い組紐を指先でなぞる。

 一本一本の糸が、互いを支え合いながら一本の紐になっている。


「組紐は、人の願いを預かる仕事なんです。」


 その声は穏やかだった。


「神さんへ供える太刀にも。」


「神馬の手綱にも。」


「御簾にも。」


「仏さんへ供える法具にも。」


「よう組紐が使われます。」


「ほどけへんように。」


「乱れへんように。」


「守るために。」


 清継は白い組紐を見つめながら、小さく呟く。


「商いも……同じですね。」


 宗久が静かに笑う。


「契りを書く紙より。」


「結び続ける信用の方が、よう切れます。」


 老人は深く頷いた。


「紙は破れても書き直せる。」


「せやけど、人の信用はそうはいかん。」


 その言葉が、清継の胸へ静かに落ちた。


 ---


 店を出ると、弥七が待っていた。


「旦那。」


「分かったで。」


「荷崩れが起きた場所だけ、妙な男が現れとった。」


「顔は?」


「誰も覚えてへん。」


「……覚えとらん?」


 弥七は苦い顔をする。


「それが妙なんや。」


「おったはずやのに、誰も顔を思い出されへん。」


 宗久が眉をひそめた。


「噂だけ残して、人は残さへんか。」


 清継は静かに頷く。


「人の心だけを動かしてる。」


「姿を見せずに。」


 ---


 その夜。

 縁は宿の灯りの下で、昼間の組紐をほどいていた。


 幸が驚く。


「せっかく組んだのに?」


 縁は笑う。


「ほどかな、新しい結びは覚えられへん。」


 幸は黙って見つめる。

 糸が一本ずつ元の姿へ戻っていく。


「人も同じやと思う。」


 縁がぽつりと言う。


「一回ほどけた縁は、悲しい。」


「せやけど。」


「もう一回結び直したら。」


「前より強うなることもある。」


 幸はその言葉に、自分の胸が少し軽くなるのを感じた。

 伏見で疑われた日。

 町人たちの冷たい視線。


 忘れられなかった。


 でも、やり直せる。

 そう思えた。


 ---


 翌朝。


 宗久が清継たちを港へ連れて行く。

 荷役たちが集められていた。


 縁は一本の組紐を掲げる。


「見てください。」


「結び方が少し違うだけで、こうなります。」


 同じ太さ。

 同じ色。

 同じ長さ。


 しかし、荷を吊る。

 少し揺れる。

 するり、と自然にほどけた。


 港がどよめく。


「なんや、これ!」


「誰にも分からへん!」


 縁はもう一本を手に取る。

 今度は京の組み方。


 荷を吊る。

 揺らす。

 何度揺らしてもほどけない。


 老人が目を細める。


「それが京の結びや。」


「人を守る結びや。」


 清継は荷役たちへ向き直った。


「品は本物でした。」


「偽物やありません。」


「騙されたんは、皆さんの目やない。」


「不安です。」


 港は静まり返る。

 宗久が一歩前へ出る。


「商いは信用で成り立ちます。」


「せやけど。」


「信用は、疑うことで失われるんやない。」


「確かめることをやめた時に失われます。」


 誰も言葉を返せない。

 荷役頭が、ゆっくり頭を下げた。


「……すまんかった。」


 その一言で、張りつめていた空気がほどけた。


 ---


 夕暮れ。


 港には、いつもの掛け声が戻っていた。

 荷が運ばれる。

 船が出る。

 人が笑う。


 町が息を吹き返していく。


 清継は堤から、その流れを見つめていた。


「流れは戻りましたね。」


 宗久は首を横に振る。


「戻ったんやない。」


「みんなで結び直したんです。」


 その時だった。

 弥七が音もなく現れる。


「旦那。」


「一つ、気になることがあります。」


「何や。」


「ほどいた結び。」


「……京でも見たことがあります。」


 その場の空気が変わる。


「どこや。」


 弥七は低い声で答えた。


「伏見です。」


「最初の茶筒が壊れた時。」


 清継の胸がざわつく。


 茶。

 香木。

 組紐。

 すべて同じ手。


 敵は最初から、一つの流れで動いていた。


 その頃。

 港から少し離れた蔵の二階。

 障子の向こうで、一人の男が静かに茶を口へ運んでいた。


「結びを見抜く者が現れました。」


 部下が頭を下げる。

 男は茶碗を置き、ゆっくり笑う。


「ならば。」


「次は、人の心をほどけばええ。」


 窓の外では、夕風に笹が揺れていた。


 七夕が、近づいていた。


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