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第二章 第6話(前編)「結びのかたち」

 朝の堺は、潮の香りとともに目を覚ます。


 港へ入る船が帆をたたみ、荷役たちの威勢のよい声が町中へ響いていた。


 魚を担ぐ者。

 鉄を運ぶ者。

 香木を抱える者。


 町は、人が流れることで生きている。


 清継はその様子を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「まるで川ですね。」


 宗久が微笑む。


「ええ。」


「堺は川のない港やけど、人が川の代わりをしとります。」


 その言葉に、清継は静かに頷いた。

 流れるものは、水だけではない。


 物も。

 金も。

 人も。

 想いも。


 流れが止まれば、町は死ぬ。


 その時だった。

 突然、大きな音が港へ響いた。


「危ない!」


 荷を積んだ荷車が傾く。

 俵が崩れ、酒樽が転がる。

 荷役たちが慌てて飛び退く。


 幸が駆け寄る。


「怪我人は?」


「おらん!」


「誰も潰されてへん!」


 それだけが救いだった。

 しかし、港は一気に混乱へ包まれる。


「何や!」


「何があった!」


「紐が切れた!」


 誰かが叫ぶ。

 清継も駆け寄った。

 荷を縛っていた組紐は、地面へ力なく垂れている。


「……切れた?」


 幸が拾い上げる。


「細うなっとる。」


 その時だった。

 後ろから静かな声が聞こえる。


「違う。」


 縁だった。

 彼女は地面へしゃがみ込み、ほどけた組紐を両手へ乗せる。

 指先が、一本一本の糸を撫でていく。


 長い沈黙。


 やがて縁は小さく首を振った。


「切れたんやない。」


「ほどいてある。」


 港中が静まり返る。


「ほどく?」


 荷役頭が眉をひそめる。


「こんな太い組紐を?」


 縁は頷いた。


「切れた紐は怒る。」


 誰も意味が分からない。

 縁は糸先を見せた。


「見て。」


「一本も泣いてへん。」


 幸が首を傾げる。


「泣く?」


 伊平じいさんが笑う。


「面白い言い方やなぁ。」


 縁は少し照れたように笑う。


「職人は、こう教わるん。」


「無理に切られた糸は毛羽立つ。」


「でも、ほどかれた糸は傷まへん。」


 宗久が組紐を受け取る。


「……ほんまや。」


 一本一本が、きれいなままだ。


「つまり。」


 清継が口を開く。


「誰かが結び目だけを解いた。」


 縁は静かに頷いた。


「組み方を知ってる人です。」


 その言葉で、空気が変わる。

 偶然ではない。

 事故でもない。


 誰かが。

 わざと。


 港の流れを止めた。


 その日の午後。


 縁は堺の組紐屋を一軒ずつ訪ね歩いていた。

 清継と幸も後を追う。

 店先には色とりどりの絹糸が揺れている。


 紅。

 藍。

 萌黄。

 藤。


 春の光を受け、それぞれが柔らかな色を放っていた。

 一人の職人がため息をつく。


「うちやない。」


「どこの店も同じや。」


「最近、ほどける言われる。」


 縁は一本の組紐を借り、静かに指を滑らせる。

 目を閉じる。

 まるで糸と話しているようだった。


「……違う。」


 職人が驚く。


「何がや。」


「糸も染めも、よう出来てる。」


「せやけど。」


 縁は結び目を指差した。


「結びだけ違う。」


「これは京の組み方やない。」


 宗久が身を乗り出す。


「分かるんか。」


 縁は頷いた。


「結びには癖があります。」


「職人ごとに。」


「町ごとに。」


「人ごとに。」


 そう言って一本の組紐をほどき始める。

 見ていた職人たちは息を呑んだ。


「その結びは……。」


 縁は静かに答える。


「見た目だけ真似してあります。」


「心までは真似できへん。」


 清継はその言葉に胸を打たれた。


(心まで真似できへん。)


 商いも。

 人も。

 きっと同じなのだ。


 その時、店の奥から年老いた職人が姿を現した。

 皺だらけの手で、一本の白い組紐を大切そうに抱えている。


「お嬢さん。」


「よう見抜いた。」


 老人は組紐を縁へ差し出した。


「これは神さんへ納めるもんや。」


「結ぶだけやない。」


「守るための紐や。」


 縁は静かに頭を下げた。


 その白い組紐は、やがて石清水八幡宮で行われる七夕の神事へ奉納されるものだった――。


(後編へ続く)

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