■ 第16話「崩れる器(結びのかたち)」
崩れるときは、音がせえへん。
気づいたときには――
形が、保てへん。
京の町は、静かに揺れていた。
声は、変わらん。
せやけど――選び方が、変わる。
「……こっちにするわ」
その一言が、増えていく。
理由は、はっきりせん。
せやけど――戻らん。
覚えたもんは、消えへんからや。
京屋の帳面が、わずかにずれる。
大きな崩れやない。
せやけど――止まらへん。
――京屋の奥。
わしは、座っていた。
前には、宗兵衛。
静かや。
せやけど――逃げ場はない。
「流れ、変わったな」
宗兵衛が言う。
「ああ」
隠さん。
「結んだからな」
間。
宗兵衛は、小さく息を吐く。
「……やっぱりな」
その声は、重い。
「なんでや」
わしは、問う。
「なんで、あそこまでやった」
濁して。
揃えて。
握って。
宗兵衛は、長い間黙る。
やがて。
「……守るためや」
ぽつりと言う。
「何をや」
「流れや」
即答や。
「止まったら、死ぬ」
その言葉に、嘘はない。
「戦で、何度も見た」
視線が、遠くなる。
「流れが止まった町は、腐る」
せやから――回した。
似たもんでも。
形だけでも。
「それが、商いや」
強い言葉や。
せやけど――
「濁る」
わしは、静かに言う。
「人も、な」
間。
宗兵衛の指が、わずかに動く。
「覚えへんようになる」
違いを。
ほんまもんを。
「それでも」
宗兵衛が言う。
「生きる方が先や」
せやけど。
「ほんまか」
わしは、問い返す。
「覚えへんまま、生きて――意味あるんか」
静かな問いや。
逃げ場はない。
宗兵衛は、黙る。
長く。
深く。
やがて。
「……理想や」
絞り出すように言う。
「せやな」
わしは、うなずく。
「せやけど」
一歩、踏み出す。
「見せたやろ」
石清水で。
人が、どう変わるか。
「覚える」
ほんまもんは、残る。
「それでも、流れる」
止まらへん。
「せやから」
間。
「両方、できる」
整えて。
残す。
どっちかやない。
中や。
宗兵衛の目に、初めて迷いが浮かぶ。
そのときや。
「……これ、知っとるか」
宗兵衛が、小箱を出す。
開く。
中には、細い紐。
色が、重なっている。
「組紐や」
弥七が、低く言う。
宗兵衛が、うなずく。
「流れを、束ねるもんや」
一本やと、弱い。
せやけど――
重なると、強なる。
「全部、違う糸や」
太さも、色も、違う。
せやのに――ひとつや。
「商いも、こうしたかった」
ぽつりと漏れる。
「せやけど」
間。
「揃えすぎた」
違いを、消してしもた。
せやから――歪んだ。
わしは、その紐を手に取る。
軽い。
せやけど――芯がある。
「違うままで、ええんや」
静かに言う。
「せやないと、結べへん」
間。
幸が、そっと近づく。
「……綺麗ですね」
小さな声。
せやけど――確かや。
宗兵衛が、わしを見る。
「やれるか」
試す目やない。
確かめる目や。
「やる」
迷わん。
紐を持つ。
結ぶ。
強すぎず。
弱すぎず。
ほどけへん程度に。
「……これでええ」
弥七が、ふっと笑う。
「縛ってへんな」
「せや」
わしは、うなずく。
「縛ったら、流れが止まる」
せやけど。
「結びは、残る」
間。
宗兵衛が、ゆっくりとうなずく。
「……なるほどな」
その顔から、力が抜ける。
初めてや。
「負けや」
小さく言う。
せやけど――逃げてへん。
「せやけど」
顔を上げる。
「終わりやない」
「ああ」
わしは、うなずく。
「ここからや」
流れを、整える。
一緒に。
敵やったもんが。
結ばれる。
「旦那」
幸が、静かに言う。
「形に、なりました」
ああ。
見えへんもんが。
ここにある。
水は、流れる。
木は、育つ。
そして――
人は、結ぶ。
京の外。
風が、変わる。
山が、見ている。
社が、通している。
そして――
人が、選ぶ。
流れは、整う。
ほんまもんが、残るように。
ここで終わりやない。
ここからや。
ほんまの意味での――始まりは。




