第9話 止める側と、進める側
空気が、重く沈んだ。
さっきまでの“気配”とは違う。
明確に、押さえつけてくる圧。
「……やりすぎだ」
屋根の上の男が、もう一度言った。
今度はさっきより、はっきりと。
否定でも、警告でもなく――断定だ。
「それは困る」
「知らないな」
軽く返す。
だが、体はわずかに構える。
こいつは違う。
さっきの“管理者”よりも、はるかに整っている。
「……カイ」
ミアの声が、背後で震える。
「下がってろ」
短く言う。
今度は言い返してこない。
いい判断だ。
屋根の上の男は、ゆっくりとこちらを見下ろしている。
「この場所は、“止まっている”ことで成り立っている」
「壊れてるだけだ」
「違う」
即答だった。
「止めることで、守っている」
「何を」
「均衡だ」
また曖昧な言葉だ。
だが。
さっきの奴よりは、筋が通っている。
「その均衡を崩せば」
一歩、屋根の上から踏み出す。
音もなく地面に降りる。
「余計なものが流れ込む」
「もう流れてるだろ」
水路を指す。
さっき戻した流れ。
空気も、地面も、確実に変わっている。
「それは“外側”の話だ」
「じゃあ内側は?」
「ここは、止めておくべき場所だ」
「理由は」
「言う必要はない」
会話が切れる。
これ以上は平行線だ。
「……そうか」
一歩前に出る。
「なら、やることは一つだな」
「止めるか」
「進めるか」
視線がぶつかる。
空気が、さらに重くなる。
次の瞬間。
男が動いた。
速い。
今までで一番だ。
だが――
「そこだな」
足の入り方。
重心の流れ。
全部、見える。
体をひねる。
拳がかすめる。
そのまま、腕を取る。
流す。
だが。
「……っ」
手応えが違う。
ズレがない。
さっきまでの連中とは違う。
「……整ってるな」
「当然だ」
男はそのまま体勢を戻す。
無理がない。
無駄がない。
完全に“合わせている”。
「お前と同じだ」
「違うな」
即答する。
「俺は“戻す”だけだ」
「それが違う」
男の目が細くなる。
「お前は“変えている”」
またその言い方か。
だが。
さっきより、少しだけ理解が進んでいる。
「……いい」
一歩踏み込む。
今度はこちらから。
地面に手を触れる。
流れを読む。
ズレを探す。
だが――
「……ないな」
この男には、ほとんどズレがない。
だから強い。
「どうした」
「面白くない」
「何?」
「直すところが少ない」
そのまま、足元に触れる。
わずかなズレ。
ほんのわずか。
それを――
合わせる。
カチ。
「――っ!」
男の動きが、一瞬だけ止まる。
それだけでいい。
踏み込む。
肩を押す。
体勢が崩れる。
地面に片膝をつく。
「……今のは」
「ズレてたな」
「……」
男は、ゆっくりと立ち上がる。
さっきよりも、警戒が強い。
「お前は……」
「何だ」
「やはり、危険だ」
「知ってる」
軽く返す。
ミアのほうを見る。
少しだけ、目が合う。
不安がある。
だが、逃げていない。
いい変化だ。
「……やめろ」
男が言う。
「ここをこれ以上変えるな」
「無理だな」
「なぜだ」
「直せるからだ」
それだけだ。
理由はそれで十分だ。
「……理解できない」
「だろうな」
男はしばらく黙った。
それから、小さく息を吐く。
「……なら」
視線が、わずかに逸れる。
「“上”に報告する」
「好きにしろ」
「そうする」
それだけ言って。
男は後ろに下がる。
完全に戦う気はない。
今は。
「……引くのか」
「今はな」
「賢いな」
「そうでもない」
男は一瞬だけ、こちらを見る。
「お前は、いずれ止められる」
「そうか」
「そのときに分かる」
「何が」
「“正しさ”だ」
それだけ言って。
男は、消えた。
今度は、完全に。
「……」
静寂が戻る。
さっきよりも、少しだけ軽い。
「……終わった?」
ミアが恐る恐る聞く。
「いや」
「え?」
「始まった」
周囲を見る。
水は流れている。
空気も動いている。
だが――
「さっきのは“止める側”だ」
「止める側?」
「そうだ」
「じゃあ……」
「増える」
問題が。
そして――
「向こうも本気になる」
「……」
ミアが言葉を失う。
リオナは、静かにこちらを見ている。
男も、何も言わない。
だが、逃げない。
それでいい。
「……やめる?」
ミアが小さく聞く。
試すような声だ。
「やめる理由がない」
「……」
「壊れてるなら、直す」
それだけだ。
ミアは、少しだけ迷って――
小さく頷いた。
「……じゃあ、やろう」
その一言で、十分だ。
関係が、少しだけ変わる。
“巻き込まれる側”から、“一緒にやる側”へ。
「まずは」
井戸を見る。
水は安定してきている。
「食い物だな」
「……どうやって?」
「探す」
簡単だ。
問題があるなら、直せばいい。
だが。
そのとき。
空気が、また変わった。
「……またか」
思わず呟く。
今度は、さっきとは違う。
軽い。
だが、広い。
「……どこ?」
ミアが周囲を見る。
「上じゃない」
視線を落とす。
地面。
その下。
「……下か」
小さく言う。
次の瞬間。
足元が、わずかに沈んだ。
「――っ」
反射的に後ろに跳ぶ。
地面が、割れる。
その隙間から――
冷たい空気が吹き出した。
「……穴?」
「違うな」
中を見る。
暗い。
だが、奥がある。
「……繋がってる」
「どこに?」
「分からない」
だが、ひとつだけ確かだ。
この村は――
地上だけじゃない。
「……いいな」
思わず笑う。
やることが、また増えた。
面倒だ。
だが――
悪くない。
この先に、何があるのか。
まだ、誰も知らない。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
“止める側”と“進める側”、
そして新しい問題が見えてきました。
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次話、今度は“下”に行きます。




