第3話 最初の再生
“気づかれた”ような気配は、すぐに消えた。
だが、消えたというより――引いた、が近い。
「……面倒なタイプか」
誰にともなく呟く。
目の前の村は静まり返っている。風もない。虫の声もない。音がないのに、妙にうるさい。
違和感が多すぎる。
「……あんた、本当にここに来るの?」
さっきの少女が、警戒したままこちらを見ていた。
距離はまだある。逃げる気ならすぐ逃げられる位置だ。
「来たからな」
「ここ、何もないよ」
「知ってる」
「水もないし、食べるものも……」
「それも見れば分かる」
少女は少しだけ眉を寄せた。
「じゃあ、なんで……」
「壊れてるからだ」
「……」
理解できない、という顔をする。
当然だ。
普通は、壊れている場所は避ける。
だが――
「壊れてるものは、直せる」
そう言うと、少女は一瞬だけ目を丸くした。
それから、少しだけ、ほんの少しだけだが、警戒が緩む。
「……直るの?」
「見てから言う」
地面にしゃがみ込む。
乾いた土を手に取る。ぱらぱらと崩れる。水分が抜けきっている。
だが、それだけじゃない。
「……ズレてるな」
「ズレてる?」
「地面の“流れ”が噛み合ってない」
「なにそれ」
「説明しても分からないと思う」
「……むかつく」
「よく言われる」
軽く笑って、周囲を見る。
家屋の配置。
井戸の位置。
風の通り道。
全部が、微妙に噛み合っていない。
本来なら、水が流れるはずの位置が、少しだけずれている。
風が抜けるはずの道が、途中で滞っている。
結果として――何も巡らない。
「……意図的か?」
誰かがやったのか。
それとも、自然にこうなったのか。
どちらにせよ、状態は分かる。
「直せる」
立ち上がる。
「え」
「水、出るぞ」
「……え?」
少女が固まる。
無理もない。
ここには井戸がある。
だが、完全に干上がっている。
少なくとも、見た目は。
「ちょっと下がってろ」
井戸に近づく。
縁に手をかけ、中を覗く。
暗い。深い。だが、完全に死んでいるわけじゃない。
“流れ”がある。
ただ、それが繋がっていない。
「……ほんの少しでいいんだがな」
工具袋から細い金属棒を取り出す。
井戸の縁、石の継ぎ目、地面との接点。
ほんのわずかなズレ。
それを――合わせる。
力は使わない。
ただ、位置を整える。
石を押し、角度を変え、隙間を埋める。
カチ、と。
小さな音がした。
次の瞬間。
ごぼ、と井戸の奥から音がした。
「……え?」
少女の声が震える。
水だ。
ゆっくりと、だが確実に水が戻ってくる。
井戸の底に、暗い光が揺れる。
「……嘘」
「嘘じゃない」
桶を下ろす。
数秒。
引き上げると、確かな重みがあった。
水だ。
濁っているが、確かに水だ。
「ほら」
差し出す。
少女はしばらくそれを見ていた。
触れようとして、止まる。
「……飲める?」
「すぐはやめとけ。少し濾せ」
「……ほんとに?」
「見て分かるだろ」
少女は、ゆっくりと桶を受け取った。
手が震えている。
それでも、落とさない。
必死に抱える。
「……出た」
ぽつりと呟く。
「水、出た……」
その声は、驚きよりも――
信じられない、という響きだった。
しばらくして、少女は顔を上げる。
「……なんで」
「さっき言っただろ」
「壊れてるだけ?」
「そうだ」
少女は、じっと俺を見る。
さっきまでの警戒とは違う。
何かを確かめるような目だ。
「……名前」
「ん?」
「名前、なんていうの」
「カイ」
「……カイ」
少女は小さく繰り返した。
それから、少しだけ迷って、言う。
「私は、ミア」
「そうか」
名前が分かったところで、やることは変わらない。
周囲を見る。
この村は、まだ直せる。
いや――直せるどころか、面白い。
「……なあ、ミア」
「なに」
「ここに住んでるの、お前だけか」
「……うん」
「他は?」
「みんな、出てった」
「戻る気は?」
「ないと思う」
「だろうな」
普通は戻らない。
終わった場所には、誰も戻らない。
だからこそ。
「ちょうどいい」
「え?」
「ここ、使う」
「……使うって」
「拠点にする」
ミアが固まる。
「ここを?」
「ここを」
「無理だよ!」
初めて、強い声が出た。
「水だって今出たばっかりだし、食べ物もないし、家だって壊れてるし!」
「全部直せる」
「そんな簡単に――」
「簡単じゃない」
遮る。
「でも、できる」
ミアは言葉を失った。
しばらく沈黙が続く。
風が、少しだけ動いた。
「……なんで」
また同じ問い。
今度は少し違う。
「なんで、そこまでして」
いい質問だ。
だが、答えは単純だ。
「ここが、使えるからだ」
「……」
「それだけだ」
ミアは、少しだけ困ったような顔をした。
納得はしていない。
だが、否定もできない。
そのときだった。
ぎし、と。
また音がした。
さっきより近い。
振り向く。
崩れかけた家の影。
そこに――
誰かがいた。
ミアじゃない。
別の人間。
やせ細った男。
目だけがぎらついている。
「……まだ、いたのか」
小さく呟く。
男はゆっくりとこちらを見る。
その視線は、明らかに普通じゃない。
敵意でも、恐怖でもない。
もっと、乾いた何か。
「水……」
男が、掠れた声で言う。
「水が……戻った……?」
ミアが息を呑む。
「……あの人」
「知ってるのか」
「昔、ここにいた人……」
なるほど。
完全に無人ではなかったらしい。
男はふらつきながら、一歩、また一歩と近づいてくる。
危険かどうかは――
まだ分からない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
この村は、“終わっていない”。
そして。
問題は、思っていたより多い。
「……いいな」
思わず、口元が緩む。
壊れているものが多いほど、やることは増える。
それはつまり――
退屈しない、ということだ。
男が手を伸ばす。
水に向かって。
その瞬間。
背後で、また別の気配が動いた。
「……おいおい」
思わず苦笑する。
「一人じゃなかったか」
どうやら、この村。
ただ直せばいいだけじゃなさそうだ。
“最初の再生”は、水でした。
ただ、直ったのは井戸だけじゃありません。
ここから、人も、関係も、少しずつ動いていきます。
次話、もう少しだけ面倒になります。




