第38話『玄武編』師匠の異変
階段を下りきった先。
そこは天井が低く、発した音が即座に闇へと吸い込まれる
絶対的な静寂の空間だった。
物理的な音に代わって満ちているのは
濃密すぎるほどの龍気の気配。
壁には、現世では解読不能となった古い封印文字が刻まれ
その幾何学的な紋様が「ここから先は人の意志に委ねられる」
という重い警告を放っていた。
「……変わってねえな」
隼人の呟きが、乾いた音を立てて消える。
「玄武の地下は、『変わらないこと』が
唯一の存在理由だから」
シオンが淡々と応じる。
だが、その足取りはいつもより僅かに速い。
亀甲紋が刻まれた重厚な扉。
シオンが手をかざすと
結界が深層からの呼応を返し、扉が静かに開かれた。
その奥、祈りの座に背筋を伸ばして座っていたのは
玄武の守り人――シオンの師、アクトスだった。
「……来たか」 声に力はある。
視線も明確だ。意識の混濁は見られない。
一見、システムは正常に稼働しているように見えた。
だが――隼人は一歩も動かず、その「レイヤー」をスキャンした。
(……気が、薄い。解像度が落ちているみたいだ)
弱っているのではない。
気そのものの「重み」が欠落し、存在が希薄になっているのだ。
「調子はどうですか」
「問題ない」
「地下の魔法陣は」
「……問題ない」 アクトスの回答が、コンマ数秒だけ遅れる。
その微かなラグが、隼人には致命的な異変に聞こえた。
師の微笑には、焦りも苦痛もない。
だが、感情の起伏すら消え失せたその「平坦さ」こそが
侵食の正体だった。
(……感覚を麻痺させている。これは毒じゃない。
気の流れを極端に鈍化させ、生命の波形を平坦にする『霧』だ)
ゆっくりと、気づかぬうちに回路を腐食させる沈黙の病。
「師匠。今日はここで休んでください。
結界の保守は僕がやります」
シオンの言葉には、弟子としての情愛以上に
技術者としての冷徹な「決断」がこもっていた。
「……過保護だな」
「違います。
今の師匠のバイタルでは、結界の負荷に耐えきれません。
もう予兆は出ています」
一瞬、地下の空気が冷たく張り詰めた。
だが、アクトスは慈しむように目を細め、静かに頷いた。
「……そうか。気づいたなら、それでいい。
玄武は最後まで持ちこたえる盾。だから、お前たちがいるのだろう」
アクトスが静かに目を閉じる。
それは「守護」という重責を次世代に委託した瞬間だった。
「焦るな、急ぐな。
整えるということは、壊さずに守り抜くということだ」
その言葉は、冷たい地下神殿の中で
ふたりの胸に熱い楔として打ち込まれた。




