第36話『玄武編』玄武の神殿 ― 黒い結界、白い歪み
玄武の神殿には、音が届かない。
水の滴る音も、風の鳴る音も、ここでは意味をなさない。
石と氷、そして幾重にも張り巡らされた封印の結界が
世界のノイズをすべて切り落としているからだ。
そこに残るのは、物理的な静寂を超えた「気の沈黙」。
シオンは、その静止した世界の中で生きてきた。
封印も解毒も結界術も、教わる前に回路が理解してしまう。
彼にとって「できる」ことは呼吸と同じであり
誇りや使命感といった熱を帯びた感情とは無縁の場所にあるはずだった。
けれど最近、その完璧な沈黙に、微かな違和感が混じり始めていた。
息を吸い込むたび、喉の奥に引っかかる冷たく苦い感触。
それは火の熱でも風の重さでもない。
もっと静かで、もっと狡猾な……「外部」からの侵入の気配。
シオンは黒い柱が並ぶ地下回廊を、影のように静かに下りていく。
数日前から、師であるアクトスが原因不明の昏睡に陥っていた。
熱も咳もない。ただ呼吸が浅く、気の循環が内部で凍りついている。
「今日の祈祷は、僕が代行します」 師の弱々しい頷きが
氷の塊のようにシオンの胸に重くのしかかった。
地下の最深部。
北の龍脈を支える巨大な魔法陣の前に立ったとき
シオンの肌が警告を発した。
結界の密度が、微かに「薄い」。
いつもなら世界を包み込むはずの漆黒の気が
どこか頼りなく揺れている。
地下広間の中央。
幾重にも重なる黒い亀甲模様の魔法陣――その中心を貫くように
一筋の白い線が走っていた。 それは削れた傷跡ではない。
まるで食い破られ、
存在そのものが「消去」されたような薄い裂け目。
シオンが魔法陣の縁に触れる。
冷たさという概念すら消え失せた、絶対的な「無」。
「……気が、侵食されている?」
玄武の神殿は、あらゆる厄災を弾く最強の盾。
その内側に、なぜ「異物」の痕跡があるのか。
師の異常と、結界の欠損。その「匂い」は同じだった。
シオンは迷わず、袖から一枚の札を取り出した。
南の空へ、最速の気流を借りて届ける呼び札。
(隼人。来てくれ) 気を乗せた黒い札が青白く発光し
音もなく空間へ溶けていく。
その瞬間だった。
魔法陣の白い線が、生き物のようにドクンと脈打った。
(……反応した?) タイミングが良すぎる。
まるでこの呼び札が
結界の向こう側に潜む「何か」に触れたかのように。
不気味な気配が広間を満たしていく。
だが、シオンに恐怖はなかった。
今度こそ、この沈黙の正体を暴かなければならない。
背後の階段から、一つの足音が響いた。
「――シオン。久しぶりだな」
その声が聞こえた瞬間、シオンの胸の奥で
張り詰めていた氷の糸が微かに緩んだ。
呼びたかった声、信じられる熱。
隼人が、そこに立っていた。
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