第30話『朱雀編』朱雀の神殿
朱雀の神殿が見えたとき、隼人は自分でも意外なほど
心が凪いでいることに気づいた。
怖くないわけではない。
足の裏には、あの日火柱が上がった時の
焼けつくような焦燥の記憶が残っている。
けれど、不思議と神殿を拒絶する感覚は消えていた。
朱雀が翼をたたみ、朱の石畳にふわりと降り立つ。
その瞬間、神殿のシステムが
次期神官・隼人の帰還を検知し火脈が優しく脈動した。
(……ああ、俺を拒んでいない) 神殿は、彼を責めなかった。
そのことを、炎の言葉よりも先に肌で理解した。
青龍と共に送り届けてくれたカグヤは
役目を終えた風のように、静かに東の空へと去っていった。
隼人が朱雀の背から降り、地に立ったとき
――そこには師が待っていた。
感情を排した、けれど揺るぎない存在感。
「……何を言えばいい」 謝罪か、言い訳か。
喉まで出かかった言葉を
師の短い一言が先回りして受け止めた。
「戻ったか。……それでいい」
怒りも安堵も超えた、ただ事実を受け入れるだけの言葉。
それだけで、隼人の胸は張り裂けそうになった。
「……すみません。火が……制御できなくて……」
「分かっている。火は、お前の深層意識に応えただけだ。
お前が弱かったのではない。
龍界全体の循環に、負荷がかかっているのも原因だ」
「しばらくの間、お前を神事のローテーションから外す」
師の宣告に、隼人は息を呑んだ。
処分か。だが、師の瞳に宿っていたのは「慈愛」だった。
「火を無理に抑え込む必要はない。
扱えるようになるまで――今のお前に必要なのは祈りではなく
火と真摯に向き合うことだ」
「……でも、どうやって?」
「黄龍の診療所へ預ける。……ナギの診療所だ」
その名前が出た瞬間、隼人の胸に、あの場所の薬草の香りと
柔らかな風が吹き抜けた。
「祈りの火ではなく、
暮らしの中にある『癒やしの火』を学べ。
燃やすためではない、整え、温め、生命を支えるためのエネルギーを」
「……はい」 もう、迷いはなかった。
ナギの元でなら、自分自身の火を「バグ」ではなく
「力」に変えられる。そんな確信があった。
隼人は最後に、祭壇の前に立った。
石畳の底から伝わるぬくもり。
それは、焼き尽くす恐怖の熱ではない。
触れても痛まない、生命を育むためのやさしい火脈の温度だった。
「……行こう」 小さな声。
けれどその意志に、神殿の火は静かに、そして力強く揺れて応えた。
***
その夜。 ナギは診療所で火鉢の灰を整えていた。
ふと指先が止まる。
「……この熱の波形、隼人かしら?」 ぽつりと呟いた声に
火鉢の炭がパチリと爆ぜた。
それは、明日の再会を告げる、小さな喜びの音だった。




