第28話『朱雀編』風の杜再び
朱雀の背は、焼けるように熱かった。
火を司る獣として当然の温度――だが今の隼人には
その熱が自分自身の胸の奥でくすぶる
「制御不能な感情」と重なり、妙に重苦しく感じられた。
(……速いな) 鋭い風が頬を打つ。
朱雀は翼を大きくはためかせ、朱の神殿を、重苦しい宿命を
そして自分を縛る「兄の影」を置き去りにして
空の彼方へと加速していく。
隼人は一度も振り返らなかった。
見てしまえば、きっと戻りたくなってしまう。
「……ごめん」 小さな呟きは、誰に届くこともなく風に消えた。
(……行き先、決めてねぇな)
いつもなら火の流れを読み
祈りの気配を探して道を選ぶ隼人が
今はただ、何も指示を出せずにいた。
――もう、任せてしまえ。
ふっと肩の力を抜いた瞬間、朱雀の動きが滑らかに変わった。
さっきまでの力任せな飛行が、大気の流れに添うような
優雅で流れるような軌道を描き始める。
(風が……進路を決めてるのか)
火を扱う自分が、風にすべてを預けている。
皮肉だが、不思議と嫌ではなかった。風の音と朱雀の鼓動。
誰かの期待も、神殿の決まりも、一旦すべてログアウトする。
そんなふうに思えたのは、生まれて初めてのことだった。
朱雀が舞い降りたのは、あの「風の杜」の祭壇前だった。
以前、ナギと並んで立ち、システムの詰まりを解消したあの場所。
「……ナギと一緒に、立った場所だ」 思わず口に出していた。
「火が詰まるのは風のせいかもしれないし
風が通らないのは水のせいかもしれない。全部、つながってるのよ」
あの時、ナギは笑ってそう言った。
彼女のロジカルで優しい声が、今も耳の奥に残っている。
だが、今の杜は、以前とは明らかに違っていた。
葉擦れの音は聞こえるが、息苦しい。
風は吹いているのに、大気の「粘性」が強まり
祈りが空へ抜けていかないのだ。
「……通ってねぇ」 隼人は冷たい石壇に手を置き
その微細な振動を解析する。
俺が来たせいじゃない。
あの時のナギのやり方が間違っていたわけでもない。
「……この世界の『気』そのものが、あの時より弱くなってるんだ」
火だけじゃない。風だけでもない。
もっと広い階層で、何かが少しずつ、確実に滞り始めている。
世界全体のシステムが、深刻なデッドロックへ向かおうとしている。
朱雀が低く鳴いた。
一陣の澄んだ気流が、隼人の纏う熱を優しく包み込む。
(……朱雀。お前、まさか)
(ここから、もう一度進めって言ってんのか?)
朱雀は答えない。ただ、赤い尾をふわりと揺らした。
その仕草だけで、隼人には十分だった。
吹き抜ける風は、燃えるように熱く
けれど不思議なほどに清々しかった。




