第26話 リークする闇 ─白虎門のデバッグ─
龍界の西端。
そこに切り立つ白き石の巨門、『白虎門』。
西の神殿が守護するこの場所は、国防の最前線であると同時に、
一つの巨大なシステムでもあった。
守護獣・白虎の霊力と地脈を直結させ、外敵の侵入を阻む
――龍界が誇る最強の“西のファイアウォール”。
しかし、今。 その神々しい黄金の輝きは、
不気味な灰色の沈黙に侵食されつつあった。
「……この空気、異様ですね。
霊子の密度が……限界まで飽和している」
静かに告げたのは、ツクヨミだ。
その淡々とした口調の裏には、
鋭敏な感覚が捉えた確かな戦慄が混じっていた。
隣に立つナギは、無造作に足元の霧を払う。
だが、霧は生き物のようにナギの足首に絡みつき、
禍々しい幾何学模様を刻んでいく。
「ナギ先生。……スキャン結果、出ました。異常です」
ツクヨミが手元の
『水晶端末』を叩く。
空中に浮かび上がったホログラムの数式が、
赤く点滅を繰り返していた。
「結界石の術式が、深部から黒くパッチを当てられています。
この属性……龍界のデータテーブルには存在しません。……まさか」
「ええ、そのまさかよ」
ナギの瞳が鋭く細められた。
彼女は迷いなく、汚染の核である結界石へと歩み寄る。
石の表面に広がる黒い染み。
それが心臓のように脈打つたび、
空間を切り裂くような高周波のノイズが鼓膜を刺した。
「やっぱり……これは“闇界”の気ね」
ナギは指先に、
青白い火花を散らす『絶縁の気』を纏わせ、石に触れる。
「……世界構造、七界の最下層。
“闇界”の気が、最上層に近いこの龍界までリークしてる」
ツクヨミの表情が、わずかに強張った。
「闇界……。物理的にも概念的にも、
完全に隔離されているはずの階層が、なぜ」
「厳密な隔離が機能していない。
これは単なる局所的なエラーじゃないわ。
七界を繋ぐインフラそのものの不具合
――つまり、世界規模の“システムバグ”よ」
ナギは腰の鍼箱から、
銀色に鈍く光る一本の導電鍼を取り出した。
「このまま放置すれば、白虎門はダウン。
西の防衛ラインが消失すれば、龍界全体がドミノ倒しに崩壊する。
――やるわよ、ツクヨミ」
ナギの覚悟に、ツクヨミは深く、静かに頷いた。
「……オペレーションの指示を。先生」
「あなたは“メインクロック”の維持に専念して。
術式のリズムに、あなたの祈りを同期させなさい。
一ミリのズレも許されないわ。
乱れれば――門が物理的に弾け飛ぶわよ」
「了解しました」
背後で、守護獣・白虎が牙を剥き、咆哮した。
『後方は任せよ。
導士よ、お前は目の前の理を正せ!』
ナギは深く息を吸い込み、
全神経を結界石の内側へとダイブさせる。
本来なら清浄な黄金のラインを描くはずの霊力。
そこに、ドロリとした粘性を持つ“黒いヘドロ”が、
血管を塞ぐ血栓のようにこびりついていた。
「……見つけた。地脈の破損レイヤー。
ここが“バグの入り口”ね。――強制デバッグ、開始!」
刹那、銀の鍼が閃き、闇の核へと突き刺さった。
――ドォォォォォンッ!
結界石が悲鳴のような振動を上げ、
黒いミストが爆発的に噴き出す。
それはナギの腕を焼くように絡みつき、
彼女の脳内に膨大な『負の情報』を叩き込んできた。
「ナギ先生……っ!」
「動かないで、ツクヨミ!
あなたの祈りが、今のこの門の唯一の心臓部なのよ!」
ツクヨミは瞬きすら忘れ、石へと手をかざし続けた。
龍王宮で過ごした日々。
カグヤの舞、隼人の拳、シオンの静寂。
仲間たちの笑顔が、絶望的なノイズの中で唯一の道標となる。
「私は……白虎の巫女。
静かに、正しく、ただ世界の秩序を調律する者――」
揺るがぬ意志。
それが祈りとなり、黄金のクロックを再起動させる。
バラバラだった術式の拍が一つに重なり、
空間が正常な脈動を取り戻し始めた。
「いいわよ……ツクヨミ! ――堕ちろ、イレギュラー!
お前の居場所は、ここじゃない!」
ナギが鍼に全霊の気を込める。
闇を押し戻す逆流の波動。
青白い閃光が黒い澱みと衝突し、空間を焼き切る火花を散らした。
――ヒュンッ。
次の瞬間、立ち込めていた灰色の霧は、嘘のように消え去った。
白虎門の石肌に、再び誇り高い黄金の輝きが戻っていく。
「……ハァ、ハァ……ッ」
ナギはその場に膝をついた。
その手首には、闇の情報を無理やり弾き出した代償として、
痛々しい火傷の痕が残っていた。
「先生、お怪我を……!」
「平気よ。見て……バイタル、安定したわ」
差し出された端末には、
透き通るような美しい正弦波が描かれていた。
ツクヨミは深く、一礼するように頭を垂れた。
「……ありがとうございます。
この目で見て、ようやく理解しました。
私は今まで、ただの知識を詰め込んだだけの器にすぎなかった」
「いいえ。あなたの祈りが同期しなきゃ、この門は砕け散ってた。
あなたのその『静けさ』は、戦場における最大の武器よ」
ナギはいたずらっぽく微笑むと、
ツクヨミの頭を乱暴に、けれど優しく撫でた。
だが、空を見上げるナギの瞳には、まだ警戒の色が残っている。
世界の深層。闇界のレイヤーが、再び牙を剥く予兆。
「……これで終わりじゃないわ。
次は別の門、あるいは別の神殿が狙われるかもしれない」
「その時は、私が立ちます」
ツクヨミの言葉に、迷いはなかった。
「先生に教わった、“現場の静寂”をもって。
この世界を、守り抜きます」
龍界に夜が訪れる。
だが、その暗闇の中で、巫女の瞳には黄金の白虎が宿すような、
確かな光が灯っていた。
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