第21話 風の向かう先へ
翌朝の診療所は、いつも通りのプロトコルで始まった。
患者の主訴を聞き、気の波形をスキャンし、
最適解となる鍼を打つ。
薬草を刻む一定のリズムは、
この場所の「正常な鼓動」そのものだった。
だが、裏庭で道具を干していたルカが、ふと手を止める。
「……今日の風、少し『重い』気がしませんか?」
「雨上がりだからじゃない?」
ナギは淡々と返したが、自身の指先が感じる
大気の「粘性」に、かすかな違和感を覚えていた。
診療台の傍らでは、
ツクヨミが正確な動作で記録を更新している。
「……気になる? ツクヨミ」
「はい。中庭の噴水の周期が、大気の抵抗によって
コンマ数秒、遅延が発生しています」
昼前。ふっと、肌を刺すような静寂がその場を支配した。
香炉の煙が上へ昇らず、出口を失ったかのように床を這う。
「昨日からずっとよ」 ハチが棚の上で、
毛先を揺らす風のなさを指摘した。
「吹いているのに、届いていない。
パケットは送信されているのに、受信側にエラーが出ている状態ね」
ナギは中庭へ出て、澄み渡る青空を見上げた。
その透明度は、「停滞」という名の見えない不純物に満ちていた。
「行かない理由は、いくらでも生成できるわ」
誰にともなくナギは呟く。
診療所の運営、弟子の育成、現状維持の安定性。
「でも、このままでは、
この世界全体の循環がタイムアウトを起こす」
「……ナギ。まだ、ここに留まる?」
カグヤが静かに寄り添う。
急かすような圧力ではなく、
ただ「風の向き」を示すコンパスのような存在感だった。
午後、ナギは全員を招集した。
「今日の受付はここまで。
明日からしばらく、診療所は休診にするわ」
弟子たちがざわつく中、ツクヨミが真っ先に深く一礼した。
「……承知しました。
診療データのバックアップは完璧に完了しています」
「腹くくったか」隼人が朱雀の傍らで不敵に笑う。
「ええ。風がそこへ向かっているなら、逆らうのは非効率だもの」
翌朝。荷物を整えたナギは、
診療所という名の「母港」を見回した。
「留守、頼むわね」
「はい……ちゃんと、守っておきます!」
「カグヤ様……
帰還後の髭のメンテナンス、予約しておきますからね!」
カグヤが青龍を呼び寄せ、隼人が朱雀に跨る。
「行くわよ」
理由はもう、言葉にする必要はなかった。
使命だからではない。命じられたからでもない。
ただ、龍界という巨大なシステムの「詰まり」を無視できない。
それが、気導士ナギの職人としての本能だった。
青龍と朱雀が共鳴し、高く舞い上がる。
「……行ってきます」 ナギを乗せた風は今、
明確な目的地(風の杜)へと向かって加速し始めた。




