40. 襲撃
立ち寄ってくださりありがとうございます。
襲われる場面があります。
苦手な方はスルーをしてくださいませ。
泣きながら寝入ってしまったようだ。いつの間にか窓の外が琥珀色に染まっている。
(ノアの色だ)
顔を洗ってから、城の外へでてきた。あてもなく歩いていると、いつの間にか湖畔まで来ていた。
ぼんやりと湖を眺める。
ノアは今どのあたりにいるんだろう。
もうそろそろ領地の境の村についたころかしら。
首紐を首から外して、ノアと交換した魔石を手にとってみる。ノアの瞳と同じ琥珀色だ。そっと魔石を撫でたその時、太い腕が後ろから伸びてきて、手で口を覆われた。
思わず息を呑む。
声を出したくとも、恐怖のあまり喉がくっついたように声が出ない。
息がうまくできない。ヒューヒューという呼吸音だけが聞こえる。
うつ伏せで地面に荒々しく押し付けられ痛みで顔をしかめる。強い力で手首を捕まれて縄で後ろ手に縛られた。
周りを窺うと目つきが悪く無精髭を生やした見知らぬ男が3人、地面に倒れたアデリンを抑えながらしゃがんで周りを警戒している。
(今ならわたしに注意を払っていない)
魔術で縄を解こうと魔術を発動させても、全く術が効かない。
(魔術封じ込めの術がかかった縄なのね)
縛られていない足で男を蹴り上げようとした時、一人の男がアデリンの足を押さえて下卑た笑いを浮かべた。
「貴族令嬢らしくお淑やかに行こうか」
声をあげようと口を開いたら、背中を押さえこまれた痛みで一瞬息が止まる。
そのすきに口に布を押し込まれた。
痛みで生理的な涙が出る。アデリンの瞳から落ちた涙を見た男達は嗜虐的な笑みに満ちていた。
「へぇ、なかなかの上玉だな」
アデリンの靴を脱がせ、両足首も縄で縛る。足を触られる感触に悪寒がはしる。
「まずはここから去るぞ」
一人の男がアデリンを肩に担ぐと、静かに湖畔から姿を消した。
荷馬車の荷台に転がされ、しばらく走ったところでまた男の肩に担がれる。周りをこっそりと窺ったが、木々が茂っていて暗くどこかはわからなかった。森の中の水車小屋に入ると、アデリンは床に投げ出された。床に叩きつけられた衝撃で一瞬息が止まる。
「いい子にしてろよ」
男達は小屋の扉の鍵をかけて出ていった。外に男達の気配がなくなったのを確認して、アデリンは芋虫のように床を這いずりながら、窓の近くまで移動する。
壁を使って立ち上がることはできたが、立ち上がっても窓枠には頭も届かない。
窓の外を見上げると、木々の間から見える夜空には星が出ていた。
ノアと星座作りをしたことを不意に思い出す。
(ノアに会いたい)
目頭が熱くなってきた。
まだ泣けない。こんなことには負けない。気持ちを整えて、周りを見渡す。
今は使われていない水車小屋のようで、床に空の麻袋がいくつか転がっているだけだった。
(どうやってここから抜け出そうかしら)
まずはどうにかして両手両足の縄を切りたい。
柱まで両足でジャンプして近づいたアデリンは、柱に背を向けて後ろ手に縛られた縄を柱の角に擦る。
(摩擦で縄を切るしかないわ)
魔術封じ込めの術がかけられてるとはいえ、縄自体は普通のもののはず。
時間はかかるが摩擦の熱で焼き切るしか方法がない。
アデリンは必死に縄を柱の角で擦り始めた。
どのくらいの時間が経っただろうか。ようやく後ろ手に縛られていた両手の縄が切れた時にはアデリンは疲れ果てていた。
魔術封じの術が消えたので、足の縄を魔術を使って切る。
扉の鍵も魔術で壊して外の気配を探りながら外へ出た。
水車小屋は小川のほとりに建っていて、周りには森が広がっている。
(とりあえず上流に行きましょう。川の本流にぶつかれば大体の位置がわかるわ)
男達がいるかもしれないので、身を隠しながら森の中を進んでいく。
(お父様が懸念していた闇ギルド絡みの可能性はあるわね)
闇ギルドは隣国の商人と繋がっていた。ここは隣国との境である魔の森に近い可能性も捨て切れない。
(魔獣と戦える分の魔力を残しておかないといけないわね)
川沿いを1時間ほど歩いただろうか。朝霧が立ち込めている。山の端が明るくなってきたのがぼんやりとわかるようになった。夜明けが近づいている。
アデリンは、森の中から近づく人の気配を感じて身を潜めた。
(さっきの男たちかしら? 馬もいるわね)
アデリンはそっと川岸の崖下に降りて身を隠し、霧に紛れて気配を消す。
隠れている崖上を通り過ぎる人の足音と馬の蹄の音が聞こえる。
(水車小屋に向かっているのかしら)
音が聞こえなくなってほっと息をついた瞬間、崖上から「姫様!?」と声が聞こえた。
覚えのある声に慌てて見上げると、霧が煙る崖の上から赤い髪赤い瞳が下を覗き込んでいた。
「ビクター!!」
「おーい 姫様がいたぞ!」
ビクターは他の人たちに声をかけると、すぐに崖下へ飛び降りてアデリンの側までやってきた。
「待たせたな。立てるか?」
いつも通り片方の口元を上げた、少し意地の悪い笑顔のビクターを見て、アデリンは力が抜けていくのがわかる。
「姫様、ちょっと触れるぞ」
赤い瞳が柔らかく細められ、背中に手を回され引き寄せられる。
アデリンを抱き上げると、ビクターは魔術で崖上まで一気に飛んだ。
「おろして、ビクター。大丈夫だから」
抱き上げられている状況に驚いて、思わず声が震え掠れる。
ビクターは優しい瞳をアデリンへ向けた。
「怖かっただろう。姫様、もう大丈夫だ」
誰かから渡されたマントでアデリンを優しく包み込んだ。
「瞳を閉じて、姫様。俺が守っているから。さぁ城に帰ろう」
ビクターの優しい声音に安心して気が緩んだのか、アデリンは涙がとめどなく溢れてしまう。
マントの中の暗闇で、ビクターの規則正しい心音だけが聞こえる。その規則正しい音を心地よく感じながら、アデリンは意識を手放した。
アデリンは森の中を追いかけてくる3人の男達から走って逃げている。逃げ切れただろうかと振り返るとすぐそばまで太い腕が伸びてきて、捕まえられる!と体がすくむ。また、アデリンは息も絶え絶えに走り出す。暗い森の中を果てしなく彷徨う。振り返る度に太い腕が伸びてくる。
「もう嫌! 助けて!」
ノア、助けて。
アデリンは泣きながら走り続ける。
走りすぎたのか体が熱い、熱くて息が苦しい。
でも逃げなきゃ。身体に鞭打って走り続ける。
熱い、苦しい、怖い、助けて。
『アディ! アデリン!! もう大丈夫よ』
暗い森の中を泣きながら走っていると上からアデリンを呼ぶ声が聞こえる。
お母様?
お母様どこにいるの? 助けて。泣き叫ぶアデリンはそれでも走ることをやめられない。
『アディ、もう大丈夫よ。安全な場所にいるわよ』
心が疲弊して思わずしゃがみ込んだアデリンの周りが温かくなる。
お母様、怖いの。助けて。
お母様にぎゅっとしてもらっているみたい。気持ちがいい。
このままもう眠ってしまおう……。
ふっと瞳を開けたアデリンは、瞳を瞬いた。見覚えのあるベッドの天蓋に、天井。
「アディ、目を覚ましたのね。痛いところはない?」
声の方をむくと、瞳が潤んだお母様がアデリンを見ていた。
「……」
お母様、と声を出そうとするが、声が掠れて出ない。
ミリーがレイラに水の入ったコップを手渡した。
「一口お水を飲むといいわ」
ミリーがアディの背中にクッションを入れて、背中を起こしてくれる。体に力が入らず、コップをつかめないアデリンにレイラが水を飲ませてくれる。
アデリンの頭を撫でながらレイラは「もう大丈夫よ」と囁き続けた。
「お母様、わたし……」
頭が混乱していて、靄がかかったみたいだ。ビクターに会ったところまでは覚えている。
「アディ、あなたは3日間意識がなかったのよ。高熱も続いているし。詳しい話は後にしましょうか。でも、大丈夫。あなたは安全よ。よく頑張ったわね」
額に置かれたお母様の手がひんやりとして気持ちがいい。
思わず、このまま目を瞑ってしまいたくなる。
「いえ、お母様、詳しい話を教えてください」
レイラは美しい顔に深い影がおちた。瞳を伏せたレイラは面やつれしたようにも見える。ためらっているのがわかったアデリンはじっと待つことにした。
しばらく経ってから、覚悟を決めたようにレイラが顔を上げる。
「そうね、ちゃんとあなたに伝えるわね」
レイラはアデリンの手を取る。
「あなたの姿が見えなくて、皆で探していた時にビクターが湖畔であなたの魔石の首飾りと靴を見つけたの」
魔石!そうだ、あの時、私落としてしまった。
一気に血の気がひく。
「お嬢様、ここにありますよ」
ミリーが見かねたのか、すっと首紐を差し出した。
あぁよかった。無くしていなかった。
安堵して首紐を受け取り、そっと魔石を撫でてから首にかけ直す。
「何かあったのだとわかって、すぐに捜索隊を出したわ。ビクターがあなたの魔力を探って、位置を把握しようとしたのだけれど、わからなかったの」
「魔力封じの縄が使われていたから……」
呟いたアデリンの頭をそっと撫でてから、レイラは話を続ける。
「お父様にも魔道具で連絡をとったのだけど……」
レイラは言い淀む。
「お父様達はオリビア達を領境の村まで送っていたの。村に入る前に危急の連絡が村から入ったの。村を何十頭のエイクスニルの群れが村を襲撃しているって」
思わず息を呑んだ。エイクスニルは鹿の魔獣で比較的おとなしい。群れで襲撃とは聞いたことがない。
「後でわかったことは、闇ギルドの残党がエイクスニルの子供を傷つけたまま、その村の近くに隠していたの。子供を探しに来た怒ったエイクスニルの群れが村中を暴走していたの」
闇ギルドの仕業……。
「村の手前の安全な場所でオリビア達を残してお父様と騎士達が討伐しようとしたのだけれど、オリビア達も一緒にその村に行ったの。ソーラス家に世話になったから恩返しがしたいと言って……」
なんて無茶を……
「ノアはアイザックや騎士達と一緒に戦ってくれたの。村の人たちの避難をオリビアと侯爵が手伝ってくれたわ。村には浅い川があって、ノアがアディの浄化した湖から流れている川だから魔獣が寄ってこないことに気が付いて村の人たちに伝えたの。そして、みんな川に逃げて助かったのよ」
「オリビア様は、ノアは、無事なんですか?」
「ええ、マーシャルもみんな無事よ、安心して」
ほっとアデリンは息をなで下ろす。
「あなたを襲ったのも闇ギルドの残党。エイクスニルの襲撃を図ったのも……。ソーラス家の力が一箇所に集まらないよう二分させて揺さぶりをかけたの。あなたは……隣国につれていかれる予定だった。あなたを連れ去ろうとした男達はビクター達がすでに捕らえたわ」
涙声のレイラの声が遠くに聞こえる。
「わたしが攫われなければ、村は無事だった……?」
アデリンの呟きにレイラは慌てて否定する。
「いいえ、それは違う。悪いのは全て企んだ闇ギルドの残党よ。今、お父様が残党から情報を聞き出しているわ。今回事件を起こした者は全て捕まえたわ。隣国との関係もあるから、陛下と相談すべき案件ではあるけれど」
「今、ノア達は?」
「すでにオルフェー家の領地に戻ったわ」
涙がとめどなく溢れる。瞳の潤んだレイラがアデリンの涙をぬぐい、頭を優しく撫でる。
「あなたも魔力切れで3日間目を覚まさなかったの。痛いところはない?」
ふと、視線を落とすと、自分の両手首に青黒いあざができている。
「傷は治癒魔法で治せたのだけど……ごめんなさいね」
きっと足首にもひどい色のあざがあるのだろう。自分の傷もあざも今はどうでもよかった。
「詳しい話はまたあなたが元気になってからにしましょう」
話しすぎたと思ったのか、レイラはミリーに薬を準備するよう指示を出した。
「もう少し眠りなさいな」
眠れないと思ったが、薬のせいかアデリンはすぐに微睡の中に落ちていった。
アデリンは結局2週間ほど熱が下がらず寝込んだ。
男たちから逃げる夢を何度も見ては、夜中に自分の叫び声で起きる。
村が襲われたのは、自分が護衛なく一人で湖畔へ行ったせいだ。魔術も武術も人並みにできると自負していたのに、全く男達には手も足も出せなかった。情けなさに胸が押し潰される。
寝込んでいる間、夜中にうなされていると明け方近くまで誰かが左手を握っていてくれるような気がした。
起きる時には誰もいない。
(夢かな。それともお母様かな、ミリーかな)
誰でもいい、安心できる温もりだもの。
誰?って聞いたら、もう握ってくれない気がして誰にも尋ねられなかった。
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