39. 最後の夜
ミリーが下がったあと、アデリンはいつものように、魔力を流し込んで淡い光を放つフローライトを窓辺に置く。
「今夜が最後なのね」
ノアがソーラス領地に滞在していたのはわずか5ヶ月ほど。ノアはアデリンの心の中で大きな存在になっていた。初めて見かけた時、アデリンはノアの背中に翼があると思った。
いつか羽ばたいて行ってしまうと思っていたけど、本当に明日からいなくなると思うと胸が締め付けられたように苦しくなる。
ふと、外に気配を感じた。バルコニーの扉を開けると、バルコニーのすぐそばの中空で水竜がいた。
(ノア!)
魔力を同調させ、通力をすぐに行う。水竜が口に何かを咥えていて、それをアデリンに渡そうとしていた。
バルコニーから身を乗り出し、咥えていた包みを受け取る。
(今開けていい?)
開けて良いと言っている気がしたので、すぐその場で包みを解く。
中から1枚のキャンパスが出てきた。
そこには、夕陽に染まったソーラス城とグレン湖を眺めている水竜と少女の後ろ姿が描かれていた。
「まぁ!!」
思わず息を呑む。
「私とノアがね。ノアが描いてくれたの? ありがとう!」
いつかノアが描いた絵をみたいとお願いしたことを覚えていてくれたのだろうか。
「一番の宝物になったわ。大切にするわね。すごくすごく嬉しいわ!本当にありがとう!」
思わずキャンパスを胸に抱きしめる。
泣き笑いのような笑顔でアデリンは水竜の琥珀色の瞳を見つめた。
絵を部屋に置いてから、バルコニーの手すりを超えて水竜の背へ飛び移る。
(ノア、準備できてるわ。いいわよ)
水竜は音もなく降下し、湖面の水面すれすれの高さを滑るように飛んだ。
(わたしが好きだって言ってたから、やってくれるのね。嬉しいわ)
湖を越えると、山脈に向かって上昇していく。風と一体化した感覚になったアデリンは瞳を閉じて水竜の背で飛翔感を味わう。
(わたし達、風になってるわね)
水竜が静かに着陸して、アデリンが水竜の背から降りると、水竜がノアに戻る。ノアはアデリンの手を引いて見晴らしの良いところまで出てきた。ノアのお気に入りの場所だ。ノアに勧められ、岩の上に座る。
「ノア! 素敵な絵をありがとう! ノアが描いてくれたの?」
「……ああ、俺が描いた。気に入ってもらえたら嬉しいな」
「とっても素敵よ。一番の宝物だわ。ここから見たお城と湖、あとはわたしたちよね。夕陽に染まる光景だったわね。ノアの瞳の色ね」
ノアの琥珀色の瞳を覗き込む。
「わたし、夕陽に染まる時間はきっとノアのことを思い出すわ。そして、ノアが幸せでありますようにって女神様に祈るわね」
潤んだ琥珀色の瞳が少し揺れている。
「ノアがわたしのことを思い出した時は、一人じゃないって、味方がここにいるよって思い出してくれると嬉しいわ」
「きっと……間違いなく、俺は毎日アディのことを想う。そして、俺もアディがいつも笑っていられるよう祈っているよ」
鼻の奥がつんとしてくる。
泣いちゃだめ。ノアにはわたしの笑顔だけ覚えていて欲しいのだから。
「うん! いつも笑っていられるようにするわ」
お腹に力を入れて、精一杯の笑顔を作る。
「約束を覚えている? 王立学院に入ったら、俺は男子の1位、女子の1位をアデリンは取ること」
「もちろん覚えているわ。わたしが総合でも1位をとってみせるから」
少し顎をあげて揶揄うように笑って言う。
「うふふ……」
堪えきれず笑い声がこぼれた。
ノアも「ははは……」と笑いだす。
二人とも無理して笑っているのはわかっていた。
でも、これでいいの。笑って楽しい時間で終わらせましょう。
ひとしきり笑った後、心地よい沈黙の中で二人は城を眺めていた。
ノアが「アディ……」と呼びかける。
「なあに?」
少し躊躇ったあと、ノアが言葉を続ける。
「アディ、俺もっと強くなるよ」
「強くって……もう十分強いじゃない! 武術だって魔術だって……」
「欲しいのは精神的な強さ……かな。だから、頑張るよ、俺。次にアデリンに会う時までになりたい自分になれているように」
「無理しちゃだめだよ」
「ああ、自信を持って君に会えるよう。そして、君の隣に並べるよう頑張るから」
「1年後にまた会えるのね」
「1年後にまた会おうな」
城に戻り、ノアがアデリンを部屋まで送ってくれる。
「ノア、ありがとう。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
にっこり笑って、部屋に入ろうとしたアデリンをノアは呼び止めた。
「アディ」
振り向いたアデリンの頭をノアは愛しむように撫でる。
「俺、ここにきてよかった。あと……今日のアディは誰よりも美しかったよ」
照れたように笑ったノアは頭を撫でていた手を下へと移動させる。
ノアの骨張った細くて長い指をもつ大きな手が、アデリンの頬をゆっくりと通り過ぎ、一房の髪の毛を取るとおもむろに唇を寄せた。
熱を孕んだ琥珀色の瞳が翠色の瞳を捉えて離さない。
「アディに会えてよかった。俺のこと、忘れないでね」
掠れた声で囁いた後、口元を綻ばせたノアは「じゃあ、また明日な」と言って離れていった。
アデリンは「また、明日」とほぼ反射的に答えたあと、廊下にノアの姿が見えなくなるまで固まっていた。
その夜、疲れていたはずなのに、アデリンはなかなか寝付けなかった。
瞳を閉じると、ノアがアデリンの髪の毛に口元を近づけたこと、ノアの骨張って細い指が頬を触れた感覚が蘇って、胸がどきどきしてしまうのだ。
空が白みはじめた頃、眠るのを諦めてアデリンはベットから抜け出した。ワンピースに着替え、ショールを羽織ると、こっそりと部屋を出て薬草園へいくと、朝靄が煙る中に人影が見えた。
近づくと、オリビアがラベンダーの前に佇んでいる。
「オリビア様! おはようございます」
近づいて声をかけると、オリビアははっとしたように振り向いた。アデリンの姿を認めるとゆっくりと微笑んだ。
「おはよう、アディちゃん。早いわね」
「ごめんなさい、驚かせてしまいましたか?」
「いいえ、大丈夫よ。最後に女神様のラベンダーを見ておきたかったの」
ラベンダーは朝露に濡れ、芳香を放っている。
「いい薫りだわ。この薫りだけで元気になれるわね。アディちゃんがたくさん持たせてくれたサシェの香りできっとここが恋しくもなるわね」
言いようのない寂しさに襲われる。
「オリビア様……オリビア様は……幸せですか?」
領地に戻ることに不安がないはずがない。またオリビアもノアも再度辛い思いをするかもしれないと思うと耐えられなかった。
「マーシャルとちゃんと向き合えたの。色々あったけれど、私は彼を愛している。その気持ちって、どんな運命も受け入れようと思えるものなのよ。それに、愛している人のそばで生きていけるなんて、これ以上の幸せはないわ」
うふふ……と少女のような輝く笑顔でオリビアは笑った。
「わたしには娘がいないけれど、アディちゃんのことを本当の娘のように想っているわ。あなたの人を想う優しさや勇気ある行動力には感謝しているの。ここへきてよかったわ」
ありがとう、とアデリンをそっと抱きしめた。アデリンもぎゅっとオリビアを抱きしめ返す。
「オリビア様、お元気でいてくださいね。お薬がなくなる前に早めに教えてくださいね。私に魔術のこと、またたくさん教えてくださいね。お話できなくなるのが寂しいです」
「アディちゃん、これから何があっても、あなたが思うように生きるのよ。迷った時は、自分の心の声に従ってね。少しくらい自分勝手に生きたところで誰もあなたを責めないわ」
オリビアはそっと体を離すと、翠色の瞳を見つめながら力強く言う。
アデリンは、涙ぐみそうになり唇を噛みしめて、こくこくと頷くだけで精一杯だった。
部屋に戻ったアデリンはミリーに着替えを手伝ってもらう。朝からぼんやりとしているアデリンの様子に気づいたミリーは、美味しいお茶を入れてくれた。
「ね、ミリー、自分勝手に生きるって何かしら?」
突然の問いに驚いたミリーだったが、努めて穏やかに尋ねた。
「何かお嬢様に思うところがあるのですか?」
「今までそんなこと考えたことがなくて……」
「はっきりとは分かりかねますが……自由に、何かに縛られることなく、自分で物事を判断して、自分らしく生きることかもしれませんね」
「自由に……」
「お嬢様は、人のために動きすぎです。それこそ、もっと自分勝手に生きてくださっていいですよ」
アデリンは目を見開いて息を呑んだ後、小声でそっと尋ねる。
「自分勝手に生きてもミリーは私を嫌いにならない?」
「絶対に嫌いになりませんよ! お嬢様がどんな決断をしようともお側にずっといますよ」
にっこりと笑ったミリーに、アデリンも安心したように笑ってお茶に口をつけた。
いよいよ、ノア達が出発する時がやってきた。アイザック達と一緒にお見送りをする。
アデリンは瞳と同じ翠色のワンピースドレスに着替えた。前側の髪の毛は生え際に沿って編み込んでもらい、後ろはおろしたままだ。
寝不足もあって顔色が悪かったので、少し頬紅をしてもらった。
マーシャルがオリビアをエスコートしてホールへ階段を降りてきた。その後ろにノアがいる。
ノアは能面のような表情だ。階下のアデリンと目が合うと、琥珀色の瞳が少しだけ柔らかく光ったように見えた。
アイザックとレイラが3人に声をかけて別れを惜しんでいる。オスカーはずっと不貞腐れたような、悲しそうな顔をしてアデリンと手を繋いでいる。アデリンもぎゅっとオスカーの手を握る。
「アデリン嬢、オスカー君、色々お世話になったね」
マーシャルが声をかけてきた。
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございました。道中、どうぞお気をつけて」
マーシャルへ微笑みながら返答して、カーテシーを披露する。
オスカーも一礼をした。
オリビアは何も言わずにぎゅっとアデリンとオスカーを抱きしめてから微笑んだ。
最後にノアがアデリンの前に立つ。
アデリンはノアの顔が見れず俯いてしまう。
「アディ、色々ありがとう。またね」
優しい声音が頭上から聞こえる。
──笑顔を見せないと!
アデリンはこっそりと深呼吸をし、口角をあげて、顔をあげた。花が綻んだような美しい微笑みをノアに向ける。
「ええ、またね。気をつけてね」
ノアは息をのみ、アデリンをじっと見つめていたが、ふっと息を吐くと琥珀色の瞳を細めて頷いた。
オスカーがノアに抱きつく。
「ノア、約束忘れないでよ」
「ああ、忘れないよ」
ノアがオスカーの頭を優しく撫でると、オスカーは離れた。瞳にいっぱいの涙をたたえながら唇を真一文字に結んで、涙がこぼれないように我慢している姿は皆の心を揺さぶった。
馬車にマーシャルのエスコートで乗り込むオリビア、その後マーシャルが乗り込み、ノアが最後に深く見送っている人たちへ一礼をして乗り込む。
ノアが顔をあげた時、琥珀色の瞳が翠色の瞳を捉えたような気がした。
アイザックは馬で騎士達と一緒に3人が領地を越えるところまで送っていくため、馬車の後ろについた。アイザックの合図と共に馬車が動き出す。
アデリンは、どこか現実ではないような感覚で馬車を見送った。
レイラとオスカーとを見送ったあと、部屋で一人になったアデリンはベットに思わず倒れ込む。
(ドレスがしわになってしまうわね、ミリーに怒られちゃうわ)
動かなきゃと思うのに、体が動かない。顔を窓の外に向ける。
窓辺の下に立てかけてあったノアから貰った絵が目に入った。
絵の中の、水竜と少女の後ろ姿を見た途端、抑えていた感情が一気に膨れ上がり涙となって溢れ出す。
アデリンは子供のように体を丸めて泣き続けた。
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