33. 秘密の場所
今朝、「今夜ウィル様のところへ行こう」と誘われたアデリンは夜着には着替えずにノアを待っていた。窓辺のそばのソファに座りながら、窓際においた淡い光を放つフローライトをぼんやりと眺めている。
今夜は満月ではなく月は細いまま、暗い夜だ。
いつもなら精霊の力も強いだろうと満月に行っていたのに、今夜にしたのはなぜだろう。ノアは近いうちに自分が領地に戻るから、急いでいるのかな。領地に戻ること話してくれるだろうか。
ノアが話すまではアデリンからは何も言わないでおこうと思った。
もしかしたら迷っているかもしれないしね。もしかしたらここに残るって言うかも、と期待するも母思いのノアがそんなことするわけないと同時に自分で否定してしまう。
勝手な想像で堂々巡りだ。
考えるのはやめよう。
私は笑顔でいるだけ。ノアの笑顔を見たいだけ。
取り止めもなく物思いに沈んでいたら、外から気配を感じる。
──ノアが来てくれた!
バルコニーへ飛び出すと、いつも通り湖の上の中空で羽ばたいてこちらを見ている琥珀色の双眸を見つけた。
(ノア、準備できてるよ)
魔力を同調し通力を行って話しかける。水竜が滑るように、バルコニーの近くまで飛んできた。
ウィルに献上する蜂蜜が入った袋を肩から下げると、バルコニーの手すりから水竜の背の上に飛び乗る。
(ノア、来てくれてありがとう)
水竜は湖面すれすれに滑るように飛んだ後、大空へ羽ばたいた。月の明かりがない分、星がよく見える。
水竜の背から眺める世界を決して忘れない。アデリンはこの光景を心に焼き付けようと目を凝らした。
精霊のいる洞窟についた。入口は蔦や根にしっかり覆われている。風魔術で《風刃》を発動させ、隙間を作る。水竜の背から飛び降りたアデリンは、隙間から洞窟の中へ入っていく。魔道具で灯をつけ、洞窟へ入ってきたノアと奥を目指した。
細い曲がりくねった道を通りぬけたあと、明るい広い場所にでた。いつもなら、ウィルが出てきてくれるのだが、今日はしばらく経っても出てきてくれない。岩肌が見える地面にも何も生えてはいない。
「ウィル様、光と闇の子です。この前いただいたエボディアの花の蜜をお持ちしました」
何度か呼びかけてみたが、一向に現れる気配はない。
「気まぐれだというし、今日は出てきてくださらないのかもしれないわね」
青白い光を放ち浮遊するウィルの姿が見えなくて残念だった。
「花の蜜だけ置いて行こうか」
以前、ラベンダーのサシェをおいた時に使ったハンカチが置いてある。サシェはなくなっていた。新しいハンカチを袋から取り出して地面に敷く。その上にエボディアの蜂蜜の瓶をおく。
「ウィル様、今日はお会いできなくて残念でした。こちらでいただいたエボデュアの花の蜜を持って参りました。もしよろしければ召し上がってくださいませね」
姿は見えないけれどウィル様がいらっしゃるかもしれないと、声をかけてから入口へ戻った。
「ウィル様のお姿がなかったわね。残念だったわ」
「気まぐれな精霊と言われるってことは、今まで会えたことがすごかったのかな」
「また来た時はお会いできるといいわね」
「……そうだな」
なんとなくお互い意気消沈して、黙って入り口まで歩いた。入り口についた時、ノアが「少し寄り道して帰らないか?」とアデリンに尋ねる。
「ええ、良いわよ。どこか行きたいところがあるの?」
「特にはないけれど……アディと話がしたいんだ……」
「……うん、私も。私もノアとお話したいわ」
竜化したノアの背に乗ると、グレン湖と城が見渡せる高台に着いた。
「ここからお城と湖が見えるのね。すごく綺麗だわ。こんなに綺麗に見える場所があったのね」
「竜化した時、よくここにきていたんだ。俺の秘密の場所だよ」
「ふふ、大切な秘密を教えてくれてありがとう」
二人は大きな石の上に座って、城と湖を眺めながらぽつりぽつりと話し始めた。
ノアは竜化した時の夜の過ごし方を教えてくれた。一人で山を巡り、よくここで一晩過ごしたという。
「ソーラス辺境伯領では夜の時間の潰し方は困らなかったよ。図書室には読みたい本がたくさんあったし、水竜になっても周りに山々が広がっているから誰かにみられる心配が少ないんだ」
表情が変わったアデリンを見て、夜中に森や山へ来ても魔獣は水竜の気配を恐れて出てこないから安心だよ、とノアは淡々と微笑みながら言う。
「一人で過ごすのは寂しかったでしょう」
夜を一人で過ごす心細さを思いアデリンは胸が重苦しくなる。ノアが嬉しそうに笑って答えた。
「いいや、アディが毎晩フローライトを窓辺に置いてくれたでしょ。あの灯りが、一人じゃないって思わせてくれたよ」
「灯りが見えていたのね。それはよかったわ」
ふわりと微笑んだアデリンの横顔を目を細めて見ていたノアは、絞り出すような声で話を続けた。
「……もう聞いているかもしれないけれど、父が母様を迎えに来るんだ」
「……ええ、今朝聞いたわ」
思わず、沈んだ声を出してしまう。
「ずっと父が俺を疎ましく思って、母様と俺を遠ざけていると思っていたんだけど……違ったみたいなんだ。俺を守るためって。先祖返りの力をコントロールできるまで、無闇に人前で竜化しないようにって」
「そうだったのね……お父様はあなたを守っていらしたのね」
「母もそれを知ったのはここに来る直前だったようだ」
「オリビア様は帰りたいっておっしゃってるの?」
「…………二人とも勝手なんだ。今更、俺を守るためだったって言われても納得できない。なのに、母様は父を許しているんだ。まだ愛しているんだって。母様を病で失うのが怖いから、って現実を見ることから逃げ続けた父を受け入れたんだ。幻の薬草を使った治療を拒んだのは自分で最期の過ごし方を決めたいって。……父にちゃんと別れを告げるため。最期までの時間を父と過ごすためだっていうんだ。俺の生きていてほしいという願いは……聞いてくれないんだ」
ノアの悲痛な心の叫びにアデリンは胸がいっぱいになった。
ノアは誰にも悟られないよう一人でここまで来て泣いていたんだ。
アデリンはノアの近くまで移動すると、そっと両手でノアを横から抱きしめる。
「オリビア様がノアのことを蔑ろにしているわけではないと思うわ。愛情ある方だもの。ノアのことをとても愛しているわ。同じように、きっとお父様のことも愛しているのね」
「父の愛情は歪だ。母様が死ぬのが怖いから嫌だからって理由で、愛する人の前から逃げるだなんて……」
「お父様はきっと怖いのよ。オリビア様を失うのが怖くて、恐ろしくて、現実から目を背けていたのよ。でも、今はオリビア様に向き合おうとしている。勇気を出されたんだわ」
「母様は父が不器用だっていうけれど、そんな簡単な言葉で片付けられないよ」
「そんな簡単な言葉で片付けられるほど、オリビア様はお父様のことを愛していらっしゃるんだと思うわ」
「どういうこと?」
「愛って、その相手の悪いところも良いところも含めて認めることだってお父様達から教わったの」
「…………」
ノアはオリビア様の気持ちをわかっているはず、理解したくないだけなんだ。
「ノアも……オリビア様と一緒に領地へ戻るの?」
「…………」
暫く無言が続いた後、低いノアの声が聞こえてくる。
「父は俺の先祖返りができる濃い血をそばに置きたがってる。腹が立つよ。でも、父を信用することができないから、母様を一人であの家に戻すことは……できないんだ。向こうには正妻も子供たちもいるから嫌な思いをさせられるかもしれない」
そうよね。ノアはお母様思いの優しい人だもの。
「ノアがいなくなるとすごく寂しいわ」
「……うん、俺もアディに会えないのは寂しいや」
「王立学院でまた会えるわよね?」
「ああ、そのつもりだ」
アディは雰囲気を変えるつもりで、朗らかな声で話しかける。
「ノアがここを離れる日まで楽しいことをたくさんしましょう。たくさん楽しい思い出を作って欲しいわ。
ノアのお父様がお見えになる頃、ちょうどランタン祭りがあるわね。ノアはランタンを空にあげたことがある? すごく幻想的なの光景なのよ。女神様に豊穣の祈りと無病息災を祈る祭りなのよ。神官様が祈りと感謝を捧げた後に、ランタンをグレン湖のほとりであげるの。きっとノアも気に入るわ」
「そうか……それは楽しみだな……」
「ね、ノア、何かここでやっておきたいことはない?」
「……そうだな、またアディと魔獣討伐に行ってピクニックがしたいな」
「魔獣討伐とピクニック?」
「ああ、なかなか魔獣討伐できる令嬢には会えないだろうから……」
揶揄われたことに気づいたアディは「ちょっとノア!」と頬を膨らませノアを見上げた。ノアの琥珀色の瞳があまりにも優しくアディを見つめていたので、気勢をそがれてしまう。
「しょうがないわね。お父様に許可をもらってピクニックに行きましょう。薬草を取りに行くと言えばいいわね。美味しい料理も料理長に作ってもらいましょうね」
「ああ 楽しみにしている」
「他にはないの?」
「こうやってアディとなんでもないことを話すのは楽しい」
「そうね、私もよ。たくさんお話しましょうね」
「そうだな。さ、帰ろうか。遅くなってしまう」
立ち上がったノアは、アデリンへ手を差し出した。
アデリンはノアの手をしっかりと握り、花のようにふわりと微笑んだ。
城へ戻った二人はそれぞれの自室へ戻る。
「ノア、また明日ね」
「ああ、明日な。おやすみ、アデリン」
「おやすみなさい」
また明日って言えるのは嬉しいな。
寂しい気持ちをアデリンは心の小箱へ閉じ込めた。
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