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32. 心積もり

朝食後、アイザックの執務室を訪ねる。


「今夜、精霊様にお礼を兼ねてエボディアの蜂蜜を献上しに行こうと思います。ノアと外出する許可をいただけますか?」


「その蜂蜜で作った薬でオリビアの具合がだいぶ良くなったと聞いたぞ」


「はい、ジョーと一緒に試作した薬が上手くいってよかったです。オリビア様が飲んでいる薬よりも少し効果を落とした薬を、騎士団用に量産しました。魔獣討伐や遠征の時に携帯できるようにしてあります」


「アディのソーラス家への貢献に感謝しているよ。いつもありがとう」


「まぁ お父様。当たり前のことをしているだけです。お父様や騎士団のみなさんのお役に立てたのなら何よりですわ」


「今夜、ノアと精霊様のところへ行くことは許可しよう。くれぐれも気をつけてな」


「はい、ありがとうございます」


「私からもアディに話があったんだ」


「まぁなんでしょう」


「オリビアとノアのことだ。ノアの父親のマーシャル・オルファー侯爵がこちらにしばらく滞在することになった」


予想していなかった話を聞き、驚きで息が止まる。


「オリビアとマーシャルのすれ違っていた関係が、だいぶ埋まったようだ。オリビアは体調も良くなったということで、オルファー家に戻ることを考えている。ノアも一緒に帰ると聞いている。こちらは1年後の王立学院入学までいてもらってもいいとは言っていたのだが……。

ただ、オリビアはマーシャルとちゃんと会って話し合いをしたい気持ちが強くて、マーシャルがこちらに滞在することになった。お互いが納得すれば、そのままオリビア達は領地へ戻ることになる」


「……いつ……いつオルファー侯爵はこちらにくるのですか?」


「ちょうど夏の今は王都が社交シーズンで、陛下の側近でもあるマーシャルは王都を離れられない。社交シーズンが終わった夏の終わりにこちらにくることになっている。ちょうどランタン祭り頃かな」


「ランタン祭り……」


ランタン祭りは女神様に秋の豊穣を祈り、また無病息災を祈る祭りだ。日没後にランタンに灯をともし、湖畔で空にランタンを打ち上げる。無数のランタンが夜空を舞う光景は幻想的で美しい。


「ノアは……ノアは知ってるんですよね。自分が帰ること」


「ああ。その話は暫く前にオリビアから相談されたからな」


「そうですか……オリビア様がもし戻るようであれば、その後のお薬はいかがする予定ですか?」


「ああ……そうだな、多めに作ることは可能か? もし戻るのであれば、ある程度の量を贈ってあげたい」


「わかりました。今、お母様や私がしている光属性の治癒魔術はなくてもよろしいのでしょうか。お薬だけで大丈夫なのですか?」


「どうやら、オルファー家で光属性のある人を見つけたそうだ。どこまで魔力量があるかはわからないが」


「そうでしたか……それなら安心ですね」


「ああ、そうだな。とりあえず、ランタン祭りまでにオリビアの薬を用意しておいてもらえると助かる」


「わかりました。早速ジョーと打ち合わせして用意しますね」


挨拶をして執務室を出ようとした時、アイザックが引き止めた。


「アディ、ノアがいなくなって寂しくなるだろうが、1年後は王立学院で会えるからな」


「はい、お父様、そうですね。お気遣いありがとうございます」


アデリンは優雅に微笑みながら挨拶をして執務室をでた。



執務室を出てから、部屋までどう戻ったのかアデリンは覚えていなかった。ただ、早く一人になりたかった。ベットの上に横たわり、声も出さずに肩を震わせて泣いた。


ノアがここからいなくなっちゃうんだ。

なんだかすごく悲しい。寂しい。

ずっと一緒にはいられないとはわかっていた。覚悟はしていた。

けれども、その日がこんなに早く来るなんて。


最近ノアの様子がおかしかったのは、帰ることを決めたからなんだろうなとも思った。


ノアはどう思っているんだろう。母についていくというのは彼らしい考えだけれども、向こうの家にいい思い出はないはず。自分の気持ちにちゃんと向き合えているのだろうか。


ノアが領地に戻って辛い思いをするのではと不安になってくる。


私ができることは何?

私の笑顔をたくさん見てもらいたい。

たくさんノアの笑顔が見たい。

残りの時間を楽しい思い出で埋めるなくては。

今夜ウィル様のところへ行った時、お話ができるといいな。


顔を洗い、少し目の縁が赤いまま授業に出た。

きっとノアはアデリンが泣いたことに気づいているだろうとは思ったけれど、何も言ってはこなかった。その代わり、問うような視線を感じたけれど気付かない振りをした。


「ノア、午後にオスカーと新しく来た子たちと湖に行こうと思うの。ノアもどう? 今日は暑いから気持ちがいいわよ。一緒にいこうよ」


授業後に誘うと、ノアは目を見開いて驚いていたが、「いいね」と柔らかく笑った。




隣国に売り渡されるところだった子供達9人とビクターが助けたウィルの10人は泳ぎがまだ得意ではない。ソーラス領には湖川が多く、領地の子供たちは小さな頃から泳ぎを練習する。特に騎士を目指している男の子たちやエイミーには必須だ。


今日はオスカーと騎士を目指しているエイミーや男の子たちが一緒に沖で水泳訓練をすることになっている。アディはまだ水に慣れていないメグ達を浅瀬で指導することになった。


「お姉様、僕は浮き袋なしで浅瀬から泳いで沖に出られるようになりましたよ。見ててくださいね!」


オスカーがアデリンに意気揚々と告げる。


「ええ、見ているわ。他の子たちをよろしくね」


「はい、お姉様。しっかり泳げるように皆で教えてきますね」


最近、オスカーは頼り甲斐のある少年に変わってきたように感じる。きっと、ノアや騎士見習いの子供達の影響だろう。


「オスカーはしっかりしてきたわね。ノアのおかげだわ」


「確かに出会った頃よりも大分大人になった感じがするよ。でも俺のおかげなのかな」


「ええ、あの子はあなたに憧れているもの。いい見本がオスカーの側にいてくれて嬉しいわ」


ノアは口元が緩んで嬉しそうだ。


「それは嬉しいな。じゃあ、俺もオスカーの方を手伝ってくるな」


「ええ、いってらっしゃい」


ノアもオスカー達の後を追って、沖へと泳いでいくのを見送る。


さすが綺麗な泳ぎ方をするわね。

さ、私もがんばりましょう。

ミリーやメグ達の方へ向かった。




「ジョー、お疲れ様。水泳はどうだった?」


「私の村には泳げるような川がなかったので、初めてここにきて水泳というものを知ったんですが、水の中って面白いですね」


「そうね、水の中は私も好きよ。外の音が遮断されて遠くに聞こえる様子も別世界みたいで好きなのよね」


「そうですね、五感全てが陸の時と違ってくる感じがしますね」


「そういえば、お願いがあるの。オリビア様の薬を多めに作ってほしいの」


「はい、わかりました。いつまでにでしょうか」


「そうね、3週間くらいで作れるかしら?」


「はい大丈夫です。用意しておきますね」


ランタン祭りは夏の終わり、初秋に行われる。

あと少し……ノアがここを去るまであと少ししか時間がない。


「姫様?」


「あ、ごめんなさい。つい考え事をしてしまったわ。それではよろしくね」


アデリンはジョーににっこりと微笑むと、今度はベスに話しかけた。


「来月あるランタン祭りのことをベスは知っているかしら?」


「はい、お針子の先輩たちから聞いています。すごく幻想的なお祭りだって……」


城の使用人から話を聞いているのか他の子達の顔も輝く。


「ランタン祭りの私のドレスをまたベスが作ってくれないかしら」


「姫様のドレスを私が?! はい! 嬉しいです!」


「星祭の日のドレスはもちろん、ベスが提案したコサージュの評判は素晴らしかったわ。コサージュは来年から皆が自分達のを用意するかもしれないわね。今回もベスにお任せしたいなと思うの」


星祭では城勤めのほとんどの女性がコサージュをつけていた。端切れで作れるコサージュは手が出しやすい装飾品だ。間違いなく今後も流行るだろう。


「ありがとうございます。コサージュは姫様がつけてくださったから、城の皆さんも着けてくださったのだと思うのですが……でもそうおっしゃってくださって嬉しいです。ランタン祭りではどんなドレスをお考えですか?」


「そうねぇ、女神様に豊穣や無病息災を祈る日だから、華美なドレスではなくてシンプルなのがいいわね」


「シンプルですね。それでいて姫様の美しさをさらに引き立てるもの……」


考え込み始めたベスに、ミリーが「布の色は生成りか白あたりで作ってくださいね」と話しかけ、二人で相談をし始めた。


──この二人に任せておけば何も心配ないわね。


片付けを手伝っていると、沖から上がってきたオスカーとノアがやってきた。


「お姉様、今日はノアと泳ぐ速さの競争をしましたよ」


笑顔のオスカーがアデリンに抱きついてくる。青銀色のオスカーの髪が陽の光を受けて艶めいている。柔らかな髪の毛を撫でながら思わず笑みが溢れてしまう。天使のような弟に甘えてもらえるのが嬉しいのだ。可愛くてしょうがない。


「ふふふ、どちらが勝ったの?」


オスカーが少し頬を膨らました顔で、抱きついたままアデリンを見上げる。


「ノアですよ。もっと僕も背があったら勝てるのでしょうか」


「お父様もお母様も私も背が高いから、オスカーも高くなるわよ」


アデリンは女性にしては背が高い方だ。ノアは同い年とはいえ、アデリンよりも頭一つ分以上高い。


「ノア、また身長のびた? どんどん高くなるわね」


「そうかもね……。オスカー、たくさん食事をとって、たくさん運動したら背が伸びるかもしれないぞ」


「わかった! たくさん食べるね!」


オスカーの真剣な顔が可愛らしくて、ついつい笑ってしまう。

ノアを見ると、ノアも柔らかい笑顔でオスカーを見ていた。


──こんな穏やかな時間をたくさん作らなきゃね。


視線に気づいたノアが、笑顔のままアデリンを見つめる。

心の片隅に寂しさをおいやって、大輪の花のような笑顔をノアに返した。


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