20. ノア視点
「母様、今日の体調はどう?」
「ええ、大丈夫よ。こちらにきてから、体調が落ち着いているの。毎日治癒魔術をかけてもらわなくても大丈夫になってきたわ」
たおやかに微笑む母を見て、ノアは安堵する。
──ソーラス家へ来てよかった。
「今日はどうしたの? アディちゃんと教会へ行かなかったの?」
「ああ、母様と話がしたかったんだ」
「あら、何かしら」
アデリンに先祖返りを知られたこと。そして、薬草を取りに行った時に光の精霊に出会ったこと。そこで、オリビアの魔力欠乏症の薬草が手に入らなかったことを伝えた。
そして、手に入らなかった理由は、オリビアが欲していないと言われたことも。
「母様、病が治る薬草がほしくはないのですか?」
ノアは問い詰めるように尋ねた。
オリビアは少し悲しそうに微笑んだ。
「なぜ……なぜなのですか? 薬草が見つかれば、病が治る可能性があるのに」
ノアは感情を出しすぎたと思ったが、止められない。
母に置いていかれるのか……一人になってしまう……。
不安がノアの足元から這い上がり、心を絡め取っていくように恐怖が襲う。
オリビアの手がノアに伸びてきた。優しくノアの髪を漉いてくれる。
「久しぶりにあなたにこうやったわね」
ノアは目を閉じ、オリビアが撫でてくれる手を感じる。
不安が少しずつ消えていく感覚が心地よい。
目を閉じたまま、撫でてもらいながら話を聞く。
「何から話しましょうか。そうね……まずは、私とあなたのお父様の話を聞いてくれる?
私たちは学院で出会ったの。学年順位が男女の2位同士でずっとペアだった。仲が良くて、私は親友だと思っていたわ。マーシャルはすごく明るくて社交的な人だった。人見知りだった私の心の壁をあっという間に崩してしまったの。
彼は侯爵家の跡継ぎだから、幼い頃から政略結婚になる婚約者もいたの。私は魔術に恋していたわ。寝ても覚めても魔術のことばかりを考えて、レイラと素晴らしい友人関係を築いて楽しい学生生活だった。王宮魔術師は夢だったから、なれた時は嬉しかったわ」
オリビアは一度口を潤すため、冷めてしまったお茶をのむ。
ノアは話が見えなくて、黙ったままだ。
「この話を続ける前に、一つ説明がいるわね。誤解を受けずに話せるといいのだけど……。
ノアは「竜のつがい」という言葉を知っているかしら。竜にとって、つがいは一生でただ一人のみ、唯一無二の存在。オルフェー家は知っての通り水竜が先祖よ。お父様は先祖返りこそないけれど、オルフェー家の気質が受け継がれていたの。生涯ただ一人を深く強く愛して欲する、竜のつがいを求める気質。
そもそもの悲劇はあなたのおじいさまにその気質がなかったことなの。竜のつがいの重要さを理解できずにお父様に政略結婚をあてがったのよ。そして、彼は受けざるを得なかった。お父様は弱かったとも言えるし、貴族らしかったともいえるわね。彼を責めることはできないの。彼が持つ一族の気質について教えてくれる人が誰もいなかったのだもの。彼が、その気質を知ったのは、亡くなったあなたのひいお爺様の手記を読んでからだったの。そこで、ようやく彼は自分の気持ちに素直になれたのよ。彼にとっての竜の番は、私だった。学生の頃から慕ってくれていたの。彼はジャニス様と結婚しても幸せを感じることができなかった」
ノアは混乱していた。
父はつがいという大事に存在の母をなぜ別館に住まわせ、母子を顧みなかったのか。
「母様はつがいなのになぜ大事にされなかったの?」
「お父様を許してとは言わない。ただ知っていてほしい。彼は不器用な人なの。私のことも、あなたのことも彼は愛しているわ」
オリビアはひっそりと笑った。
──不器用?都合がいい言い訳だ。
「私たちを遠ざけていたのは、あなたを守るためでもあったのよ」
──守る?
「あなたの先祖返りの能力を守るためだったの。まだコントロールができない幼いあなたが、無闇に人の前で竜化しないように……」
「あの人は俺を忌み嫌っているとばかり……」
──受け入れてもらえないのかと……。
「本当に不器用なのよ。あの人はどう子供達と接すればいいのか、わからないの。社交上手なのに、子供への愛情表現の仕方がわからないのよ」
「そんなこと言われても……。俺を守るためだとしても、お母様まで遠ざけることはないではないですか」
──やはり納得できない。
「屋敷にはジャニス様がいらっしゃるから、別館で暮らしたいと言い出したのは私からなのよ。あなたの竜化のことや、私の病のことを考えると別館でよかったと思っていたのだけれど。
私は学生の頃から魔術に恋をしていて、彼へは友愛しかないと思っていた。私の鈍感さが更に彼を苦しめてしまっていたのかもしれないわね」
オリビアが潤んだ瞳でノアの瞳を見つめる。
「私の選択があなたを傷つけることになってごめんなさい。私が病を発症してしまい、あなたに我慢ばかりさせていたわね。嫌な思いをたくさんさせてしまってごめんなさいね」
「母様が謝ることではありません。あの人のことは……やはり、まだ……気持ちが受け入れられないのです」
母は、そうよね……と小さくつぶやいた。
物心ついてからノアはマーシャルと会話というものを記憶はない。いつも用件が伝えられるだけだ。
笑顔を見た記憶もない。
「竜のつがいは、唯一無二の存在。執着してしまうのよ、そのつがいに。彼は病で私を失うことが耐えられなかったの」
「だから、お母様から逃げたというのですか?」
怒りで体が震える。
(なんだ、その勝手な言い分は。全部から逃げただけじゃないか)
握りしめたノアの拳をオリビアが優しく包み込んだ。
「お母様は、それでいいのですか? ご存知だったのですか? 母様もお辛い思いをされていたのではないですか。許せるのですか?」
「私が彼の考えを知ったのは、ソーラス家へくる前、レイラ達が迎えに来てくれた時よ。もう最期になるかも、と思って彼と向き合ったの。その時に気づいたの。私もまだ彼を愛していると」
俯いた母は、ごめんなさいと呟く。
「父母の情けなさで子供のあなたに重荷を背負わせることになって、本当に申しわけないと思っているわ」
母は父を許しているのか?
俺は父の愛情を感じたことがなかった。そもそも父からの愛情がほしいと考えたことすらなかった。そのくらい希薄な関係だった。
「実は……彼から何度かこちらに手紙が届いているの。私たちに戻ってきてもらいたいと。今までの態度を悔やみ、もう一度やり直したいと」
「お母様は戻りたいのですか? 戻ったら治癒魔術を受けられなくなります。それなら、なおさら、薬がいるじゃないですか」
思いもよらない展開になって、俺は訳がわからなくなった。
──なんで母様は戻りたいんだ? それなのに、薬はいらないってなんでだよ
「お父様は長子のダドリーではなく、あなたに侯爵家をついでほしいと考えているの」
「は? なんですか? それ」
思わず呆れた声が出てしまう。まず向こうが納得する訳がない。
「先祖返りができる濃いオルフェー家の濃い血が俺の価値ですか?」
悲しそうな顔でオリビアは尋ねた。
「あなたはどうしたい? あなたが望む人生に何が必要か考えてみてほしい。侯爵家の肩書きがあなたにとって価値はあるかしら」
……そこまで言われて、ようやく思い至った。
アディのことを俺がどう想っているのか母にはお見通しだったんだな……
「…………」
何も言えない。
確かにアディの横に並ぶのであれば爵位が必要だと考えてはいた。
侯爵家を継ぐことは念頭になかったから、王立学院を出た後に王宮の騎士か魔術士となって何か武勲なり勲章を得て爵位を得られるよう動くつもりでいた。
「ダドリー達と争うことになりますよ」
ジャニス様たちが簡単に認めるわけはない。
「もちろん、王立学院の成績や資質を見定めると言っているわ。ジャニス様へ、誰が侯爵家を継ぐのかは二人が王立学院を卒業するまでに決める、とノアが生まれた時に伝えてあったみたい」
だから、正妻のジャニスや異母兄のダドリーが俺を目障りに思っていたわけか。
ようやく陰湿な嫌がらせの理由がわかった。
「爵位を継ぐことと、薬の話はどう関わってくるのですか?」
「彼は……私がオルフェー家に戻っても治癒が受けられるよう、光の属性を持っている人を見つけたと手紙にあったの。まだ12才の女の子。ノアの婚約者にとも、考えているようなの」
「は?」
「彼は私への執着のあまり、自分が歩んできた道をまた子供へ背負わせようとしている。彼を止められるのは私だけなのよ」
──歪んでいる。なんて勝手なんだ。どこまで俺と母を振り回せば気が済むんだ。
「母様は俺のために戻るというのですか?」
「あなたのため、ではないわ。私のためよ。彼への愛情をちゃんと昇華して逝きたいの。これまでは、お互い気持ちを伝えられずに拗れてしまった。最期にもう一度、彼と向き合って生きてみたいの。外からみたら、妾という立場ではあるけれど。私がいなくなっても、彼が闇の中に取り残されないようにしてあげたいの。それが最期に私が彼へしてあげられることだから」
「最期って言わないください」
──俺を一人にしないで。
「父が用意した少女の治癒魔法を受けるのですか?」
「いいえ、受けないわ」
「じゃあ、薬を……」
「ノア、私は王宮魔術師だったのよ。とっくに、あなたが言っている文献は読んでいるわ。でもそれも完治ではないの。飲み続けていかなくてはならないものだった。あるかないかわからない薬草をノアに探してもらうより、自分のために時間を使ってほしい。私の一番の願いはあなたの幸せだけよ」
「俺の幸せは……母様に生きていてほしい……。治癒もしない、薬も飲まない……なら死に行くようなものではないですか」
「ノアが一番大事よ。あなたが私の全てだわ。そして、あなたを信用している。あなたなら何があっても大丈夫だって。
自分の死に際は自分で決めたいの。私は笑って最期を迎えたいの。何の憂いを残さずに」
穏やかな笑顔のオリビアの言葉には、一切の迷いがない。
もう俺が何を言っても無理なのか?
俺だって大丈夫なんかじゃないって泣き叫んでも変わらないのだろう。
あの人を選ぶことを決めてしまったんだ。
歪んだ愛を受け入れるんだ。
「…………いつ向こうに戻るのですか?」
「今はお互いに手紙のやりとりをして、少しずつ気持ちを近づけているの。ふふ、学生みたいでしょう。だから、いつ……かはまだ決めていないわ。そう遠くないとは思うけれど。このことはアイザックにもレイラにも相談しているの。もし私が戻ってもノアはここで王立学院に行くまでいてもいいと言ってくれているわ」
「……俺も一緒に帰ります」
「……そう、まだ時間はあるわ。ゆっくり考えてね。身勝手な母をどうか……いつか……許してね」
オリビアの辛そうな顔はノアもみたくない。
残された時間が少ないオリビアが、初めてノアに自分がしたいことを言ってくれた。
オリビアこそ、ずっとノアの為に尽くし、自身の気持ちを我慢していた人生だったのだ。どうして咎めることができるだろうか。
「許すも許さないもないです。母様の思うままにしてください。俺はついていきます」
アディになんて言おう。
泣かれるかな……なんてぼんやりした頭で考えていた。
アディと一緒にいられる時間があまりない。ここへ来て数ヶ月なのに、アディの存在がノアの中で日々大きくなっている。
アディは王弟の娘だ。確かに爵位があればアディの横に立てる条件が整う。
侯爵の爵位が欲しい。アディを手に入れるため……
俺もアディに執着しているのだろうか。父のように歪んだ愛し方になるのだろうか。
母の気持ちも父のことも今は考えたくない。
アディのことだけ想っていれば心は穏やかになる。
アディが術をかけた、首にかかっている魔石をそっと触る。
少し魔力を通して淡く光らせると、心が落ち着いてきた。
子供のように体を丸めて横になり、魔石を触りながら目を閉じた。
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