15. 水竜の背
ジルの薬草店を出てから、ノアと気持ちを落ちかせようと近くの広場へと向かう。
広場のベンチに腰掛けて、思い思いに憩う人たちをぼうっと眺めながら、ノアの様子を伺った。
ノアは眉を寄せ、唇を噛み締めて、鋭い目線を前に向けている。
アデリンは手をそっと、膝に置かれたノアの手の上に置く。冷たい手だった。
「私、王立学院に入学したら、薬学を勉強するわ。王立学院の図書室に通って文献を探すわ。お父様って実は王弟なの……だから、陛下に頼んで王立図書館にも通わせてもらえるようにするわ。それまでは私やお父様、お母様が治癒魔術をオリビア様にかけるから。だから……」
何を言えばこの気持ちが伝わるのかわからなくて、言い淀んでしまう。
だから……『大丈夫』ではない。不確かなことが多すぎるもの。
だから……なんなんだろう。
「……薬草を探しに行かないとな」
ノアがぽつりと言った。
「だから……私も探す。ノアを手伝いたい」
そうだ、一緒に。ノアと一緒に。
「……俺の母様のことだよ。アディに迷惑はかけられない」
強張った表情のまま、アデリンを見ずにノアはいう。
「迷惑だなんて、そんなことない。私もオリビア様が大好きだから、何かして差し上げたい。それに、ノアと一緒に……ノアを手伝いたいと思っているの」
「……アディをこれ以上巻き込むつもりはない……。今、治癒魔術をかけてくれているだけで十分だよ」
「ノアは一人で探すつもりなの?」
「ああ、一人でやるよ」
きっぱりとノアは決意を固めたように言い切った。
私と一緒に探そうって言ってくれないの?
「一緒に」と言う言葉を期待していただけに、心が刺されたように痛い。悲しくなって、腹ただしくなって、頭の中がごちゃごちゃになった。視界がぼやけてくる。アデリンは唇を噛み締める。
このままじゃ泣いちゃう。それはだめ。
この場にじっとしていられなくなって、アデリンは何も言わずに立ち上がり、ノアを振り向きもせずにずんずん歩いていく。ノアが後ろからついてきているのは気配でわかるけれど、慮る心の余裕がない。
そのまま無言で馬車のところまで戻り、ノアとは目も合わさずに城へ戻った。
護衛の二人は、今にも泣き出しそうなアデリンと、この世の終わりみたいな顔をしたノアと一緒に馬車に乗っていた時間は辛かった……とミリー達に報告した。
アデリンは部屋のソファに座ってクッションを抱きしめながら、今日のことを思い返していた。
私、怒ってるんだ。ノアに対して怒っている。
味方だって伝えたのに、頼ってくれない。
一人でやるなんて悲しいことをいう
私、ノアから信頼されていないのかな。
悲しいな。
クッションをぎゅーと抱きしめていると、ミリーが香草茶を持ってきてくれた。
「お嬢様、今日は何かあったのですか?」
「……ノアが……私はノアの力になりたいのに、ノアは私が必要ないみたいで……」
涙がぽろぽろと出てくる。
「詳しいことは存じませんが、お互いがお互いのことを思いやりすぎて、すれ違ってはいませんか? お二人ともちゃんとご自身の考えや気持ちを言葉で伝えあいましたか?」
「伝えたつもりだったけど……」
「押し付けてはだめですよ。人の気持ちなんて、すれ違うものなんですから。相手の気持ちを慮った上で、自分の行動をご自身で決めればいいと思いますよ」
私は一緒に探そうって言葉が欲しかった。
味方なのにって。
味方ってノアの気持ちを尊重することだったのに、間違えた。
「ミリー……ありがとう。ちょっとだけわかった気がする」
抱きついてべそをかいている私の背を、ミリーは優しくぽんぽんと叩く。
「今夜は食事はこちらに運びますね。皆様には、お嬢様は疲れてしまわれたと伝えておきます。まずは、目が腫れないよう冷やしましょうね」
寝支度を整えた後、アデリンはベットの上で並べた2つの石をずっと眺めていた。
綺麗な色だな。
今日は渡せなかった。首紐を一緒に選んで買ったのに。
明日は渡せるかな。仲直りできるかな。ちゃんと話ができるかな。
ノアの初めての町歩きを楽しい思い出にしてあげられなかった。謝らなきゃ。
とめどもなく考えていたら、うとうとしてしまったらしい。
何か気配を感じて目が覚めた。月の光具合から、夜更け頃と見当をつける。
そっと起き上がり、ベットの上の魔石と首紐を小さな袋に入れてチェストにしまった。
バルコニーの扉を静かに開けると、月の光の中で湖の上を飛んでいる水竜が見えた。
(水竜だ!)
どこかへ向かっているようだ。
水竜が行ってしまう……
思わずワイバーンの魔力に同調する時のように水竜の魔力を探る。
──ノア!?
水竜の魔力を探ると、やはりノアの魔力の気配を感じる。
慌ててクローゼットからマントを取って夜着の上に羽織り、静かに部屋のドアを開け湖に近い城の塔へと走った。塔の一番上は要塞の名残で、屋上まで行ける。
走りながら、ノアに似た水竜の魔力を探って繋げる。完全に繋ぐことはできないが、水竜の魔力を感じることはできる。
(待って!お願い、もう少しだけ待って!!)
それだけを念じた。
息を切らして湖に近い塔の屋上に出る。
夢中で城壁の上へよじ登った。
湖を見ると、水竜がゆったりと羽ばたきながら湖の上の中空でこちらを見ている。
良かった、待っててくれた。
アデリンは水竜の琥珀の瞳を見据え、もう一度魔力を同調させ通力を試みる。
繋がった!
あの水竜はノアだ。この魔力はノアだ。
(ノア、私を受け止めて!)
下からの風でアデリンのマントと銀色の髪がはためく。
まるで翼を持った女神のような、圧倒的な美しさがあった。
(ノア、今から飛ぶよ、受け止めてね)
「ノアー!!」
アデリンは水竜に向かって叫ぶと、城壁から躊躇なく飛び降りた。
降りながらアデリンは、魔術で風魔術で空気抵抗をかける。
水竜がアデリンを下から掬い上げるように飛んできて、アデリンを背に乗せる。
アデリンは水竜の黒く光る背中の上に跨り、振り落とされないように首元にしがみついた。
うまくできた!
(ノアありがとう!)
水竜と通力で繋がっている魔力からは、怒ったような困っているような感情が伝わってくる。水竜は湖を越えて、山の方へ向かっているようだ。体勢が整ったアデリンは体を起こし、様子を伺う。
水竜はワイバーンよりもひと回りもふた回りも大きく、翼も大きい。尾は長く、鱗は黒く七色に光り輝いているのが夜目にもわかる。
綺麗だわ。
うっとりとアデリンは水竜を背から眺めた。
山の中腹の野原に、水竜は静かに降り立った。近くに大きな洞穴が見える。
鞍が無くても安定した乗り心地だった。
(気遣って飛んでくれてありがとう)
背から飛び降りたアデリンは水竜の首元にぎゅっと抱きついた。先ほどから降ってきた雨が強くなる。洞穴の方にアデリンを追いやるかのように水竜が頭でぐいぐいと背を押してきた。
あそこで雨宿りをしようってことかしら。
水竜の琥珀色の目を見つめ、「一緒に行こう」と呼びかける。逡巡しているように瞳が揺れたように見えた。
この水竜はやっぱりノアだわ。
「ノア、一緒に洞穴で雨宿りしよう」
雨脚がさらに激しくなる。アデリンの髪の毛の先から水が滴るほど、随分と濡れているのがわかる。
暫く、水竜とアデリンは視線がぶつかり合う。
アデリンは、水竜が、ノアが、迷っていると感じた。
私は味方だ。ノアが何者でも、味方だ。
「ノア、今日はごめんなさい。せっかくのノアの“初めて”を楽しい思い出にさせてあげられなかった。一緒に町に行けて嬉しかったのに……嫌な思いさせるつもりはなかったの。ノアが一人で薬草を探しに行くって言った時、私、腹が立ってしまったの。一緒に探そうって言って欲しくて。頼られてないって思って、悲しくなってしまったの」
水竜はじっと聞いてくれているようだ。琥珀色の瞳を見つめながら言葉を続ける。
「私は、ノアの味方だって言ったことを覚えてる? それに今も嘘はないよ。今でもそう思ってるよ。でも、私は味方って言葉の意味を間違えていたの。だから、ノアが決めたことをちゃんと応援する。ノアが一人で探したいなら応援する。そして、私は…私のしたいようにするって決めたの。ノアについていくから。勝手に。一人で探すのを止めないけど、勝手に一緒についていく。私はノアを絶対に一人にはしない」
水竜を見つめ、想いを吐き出す。
「許してくれる?」
声が震えた。
雨音なのか、自分の鼓動なのか……規則的な音だけが耳に響く。
「一緒に雨宿りしよう、ノア」
もう一度瞳を見て伝える。
水竜の瞳が輝き、ノアが現れた。ノアは絶望的な顔をして俯いていたが、アデリンは気に留めずにノアの手を引いて洞窟の中へ入る。洞窟の中は真っ暗だったので、魔術を発動して宙に浮く光の球を出してあたりを照らす。
次にアデリンは魔術でノアの髪と服を乾かし、自分の髪と服も乾かした。乾いている地面を探し、座ってアデリンは壁にもたれる。ノアは途方に暮れたように立ち尽くしたままだ。
「ノア」
アデリンは自分の横の地面をトントンと叩いて、ノアに座るよう促した。ノアは俯いたまま重い足取りでアデリンの側にいき、腰をおろす。宙にぷかぷかと浮いている優しい光は二人を優しく照らしている。
暫くの沈黙のあと、最初に口を開いたのはアデリンだった。
「ノア、今日はごめんね。許してくれる?」
「……アディが謝ることは一つもないよ」
「ノアに嫌な思いをさせちゃったよ」
「……俺もアディに嫌な思いをさせた。泣かせてしまってごめん。」
「……うふふ、じゃあこれで仲直りでいい?」
横のノアに顔を向け、アデリンはにっこりと笑った。ノアは暗い中でもわかるほど、真っ青な顔をしてこわばった表情のまま前を向いている。
雨に打たれて寒いのかしら。
よく見ると、ノアは薄いシャツのままだ。アデリンは自分のマントを外し、ノアと二人でわけあえるようにした。
自分の肩とノアの肩にマントをかける。ノアはビクッと肩を震わせたが、アデリンは気にせずノアとの距離を縮める。マントに包まれた中で、お互いの片腕同士がくっついて温かい。
「なんで……」
弱々しく掠れた声でノアがつぶやく。
「なんで、アディは怖がらないの? 俺のことも、水竜の姿も怖くないのか? それに……なんで俺ってわかったの?」
「え……なんとなく、かな。初めて水竜を見かけた時からノアの魔力に似たものを感じていたの。それに、怖くなんかないよ。だって、水竜の姿は美しいもの。それにノアだし、ね」
柔らかな笑顔を見せるアデリンに、ノアは声をあげて言い募る。
「ってか、なんだよ、塔から飛び降りるなんて。なんであんな危ないことをしたんだよ。もし俺が気づかなかったり、間に合わなかったらどうするつもりだったんだよ。飛び降りるアデリンを見て、息が止まるかと思った……」
「え? だって魔術で万が一落下しても衝撃は少ないようにしていたわよ。それに、ノアが絶対受け止めてくれるってわかっていたもの」
こてんと首を傾げながら、アデリンはさも当たり前のように言い切る。
「でも、ワイバーンの時みたいに通力ができるとは思わなかったわ。魔力を繋げられて嬉しかったわ! それに、水竜に飛び乗るなんて、考えたらすごいことやったわよね! 楽しかったわ!! ノア、受け止めてくれてありがとうね。水竜って本当に大きいのね。鱗も七色に光り輝く黒色で……本当に美しいわ。翼も大きくて、格好良いわね。あ、あと乗り心地もすごくよかったわ! 私を気遣って飛んでくれてありがとう!」
思い出すだけでまた興奮してきた。本当にすごい経験をしちゃった。
頬を緩め嬉しそうな顔をして話すアデリンをじっと見つめていたノアは、立てていた両膝に顔を埋めた。
肩が震えている……くっついている腕から振動が伝わる。
「え? ノア? ごめんなさい! 変なこと言ったかしら? まだ怒ってる?」
ノアの姿に狼狽えたアデリンは、躊躇いがちに手を伸ばしてノアの頭を撫でる。
しばらくすると、喉をクックッと鳴らすような笑いが聞こえてきた。思わずノアの頭を撫でていた手が止まる。
「ノア?」
「ごめん、俺の顔を今は見ないでほしいんだ」
ノアが頭の上にあったアデリンの手を握ると同時に、魔法の光の球を消した。消えた瞬間、洞窟の中一面に、まるで星空の星のように淡い光があちこちに現れた。
「うわぁ綺麗! ……何かしら?」
「フローライトだ。ほら」
足元を見ると、転がっている石がぼんやりと淡く発光している。
「星空みたいね、綺麗だね、ノア」
「ああ 綺麗だ」
キョロキョロとあたりを眺めていると、ノアがアデリンの手をぎゅっと握りながら「今まで隠していてごめんね。アディに聞いてほしい話があるんだ」と囁いた。




