12. 味方
昼食後、お父様の執務室へ報告に行くと、またしっかりと絞られた。
「この土地を浄化して魔獣から守ることは、我が家の義務でもあるから大いにやってもらって構わないが……魔力切れを起こさないように自分の魔力量の見極めをしっかりとしなさい。
でも、アディが湖を浄化してくれるおかげで、湖から流れる川沿いの農地では魔獣の被害が出ていないんだ。それについては、礼をいうよ」
「本当ですか? よかったです」
浄化をしている意味が領地にあるのなら良かった。
アデリンにとって浄化を行うことは、“領主の娘としての義務”と“水竜のための浄化”の2つの理由があって、少し後ろめたかったのだ。
「レイアはもちろん、オリビアも心配していたぞ。顔を見せておきなさい。アディの顔を見たら安心するだろう」
「はい、お父様。オリビア様の体調は大丈夫ですか?」
「ああ、今日は落ち着いていた。後で様子を見に行ってあげなさい」
悪戯っ子のような笑いをしながらお父様が内緒のように声を落としていう。
「ああ、それからノアにもちゃんと礼をいうんだよ。倒れたお前を運んでくれたんだが、ひどく取り乱していたぞ。あの子は普段飄々としているから、感情がわかりずらかったんだがあんな姿は初めて見たな」
ノアが取り乱す?
お父様がいうように、確かにいつも無表情だし、感情が出てもわかりにくい。
だからこそ、甘い声や優しい瞳にびっくりしてしまう。
「オリビアのことがあるから、アディの倒れている姿を見て不安だったんだろう」
その一言で冷水を浴びたように体がすくんだ。
オリビア様が倒れた時のノアを思い出す。
あんなに衝撃を受けていたノアに、さらに追い討ちをかけるような真似をしてしまった。そこまで思い至らなくて、目覚めた時にそばにいてくれたノアにちゃんと謝罪できていなかった。
──どうしよう。
狼狽えたアデリンの様子から気持ちを汲み取ってくれたのだろう。
「後でノアと話しなさい」
アイザックが優しく言った。
執務室を出て、そのままお母様を探しに行く。
侍女に聞いたらオリビア様のお部屋にいると聞いたので、訪ねることにした。
「アディ!! 相変わらずお転婆なんだから。無茶しちゃダメよ」
オリビアのお部屋にいたレイラにぎゅっと抱きしめられる。
「お母様、心配かけてごめんなさい」
ベット脇に用意された椅子にお母様と座り、オリビア様に声をかける。
オリビア様は少し血色の良いお顔で、ベットの背もたれに体を預けて横たわっていた。
「オリビア様、体調はいかがですか? ご心配おかけして申し訳ありませんでした」
「レイアが治癒魔法をかけてくれるので、今日は気分がいいのよ。ありがとう。アディちゃんが倒れたと聞いて、私もノアも心配しました。魔力切れになったのですか?あまり無茶しないでくださいね」
「ノアが見つけて運んでくれたそうです。ノアにも心配かけて申し訳なかったです」
悄然と話すアデリンの頭を撫でながらオリビアは優しく微笑んだ。
「アディちゃん、どうして、無茶をしてまで湖を浄化したのかお聞きしてもいいかしら」
そうよね……
城の人たちは私が浄化するきっかけは大体が水竜と知っているけれど、オリビア様はご存知ないものね。
ノアには素直に言ったけれど、オリビアにどこまで話すか一瞬思案した。
でも、ノアから聞くかもしれないし、何よりオリビアに隠し事をしたくなかった。
「実は……昨夜、夜中に湖の上で飛んでいる水竜を見たのです。少し気になる様子の飛び方をしていて……。もしかしたら湖に何か原因があるかと思ったら居てもたってもいられなくなってしまって…」
どう思われるのか怖かったから、一気に吐き出した。
オリビアは笑わなかった。
その代わり、ノアと同じ悲しそうな瞳でアデリンを見つめていた。
「アディちゃんが水竜に興味があることはノアから聞いていました。……そうですか、あなたは水竜を見たんですね」
「オリビア様は信じてくださるのですか?」
「アディちゃんが見たというなら、信じますよ。良かったら教えてください。水竜はどんな姿をしてましたか?」
信じてくれるだけでも嬉しいのに、水竜のお話もできるのが嬉しくてアデリンは顔を綻ばせてオリビアに昨夜見た水竜の話をする。
「月光の中に躍り出たように見えた水竜は神々しく輝いていて、この世のものとは思えないほど美しかったです。黒い鱗が星が瞬く夜空のように艶やかで、琥珀色の瞳は月より光り輝いて見えました。私の大好きな水竜の本に挿絵が描かれているのですが、それよりもずっと美しかったです。もう、この地にはいないかもしれないけれど、もう一度湖に戻ってきて欲しいなと願って浄化したんです」
オリビア様は優しく頷きながら、私の水竜への想いを聞いてくれた。
横でお母様は私の手を取って微笑んでくれていた。
オリビアは少し考え込んだ後に「私の話も聞いてくれますか……」と前置きをしてたおやかに微笑んだ後、穏やかな声で話し始めた。
「私はアディちゃんにものすごく感謝をしているの。もちろん、私たちを連れてきてくれたレイラとアイザックにも。ここにきてからノアが毎日楽しそうで私は嬉しいのよ」
オリビアは言葉を選びながら話を続ける。
「……アディちゃんはご存知かわからないけれど、私の旦那様は、正妻と長男長女がいらっしゃる方なのです。ノアには歪な環境だったの。ノアは、親の欲目かもしれませんが、正妻のお子様より座学や武術が優秀でした。旦那様の家系の血が濃く生まれてきたため、魔力量も多くて魔術も得意で。そのやっかみもあったのでしょう。ノアには嫌な思いをたくさんさせてしまったの」
ノアが全てにおいて優秀なのは、一緒に学んでいるアディがよくわかっている。
生まれや能力がノアを苦しめてきただなんて……
ノアを想い、胸が締め付けられる。
「私が病を発症して寝込むようになる日が多くなってからは、ノアは本当に笑わなくなってしまってね。私に話はしてくれるけれども、目の奥にはいつも気遣いと諦めの色が見えていたの。私には、辛いことがあっても、決して悟られないように黙っている子だったわ。段々と表情を失っていくあの子に私は何もできなかったの。私が弱く、力がなかったせいで、理不尽な我慢や諦めばかりを覚えて、何かを望んだり手に入れようとすることをやめたようだったわ。急いで大人になり過ぎてしまったノアが、ここにきてから表情が豊かになったの。あの子が無邪気に笑う姿を見れるなんて……夢みたいって思うのよ。
レイラやアイザックが私たちをあそこから連れ出してくれたから。アディちゃんやオスカー君が、ノアを受け入れてくれたからなの。アディちゃん、ノアと仲良くなってくれてありがとう」
オリビアはアデリンの頬に手を伸ばし、涙を拭ってくれた。
気づかないうちに泣いていたみたいだ。
「私、ノアに特別なことは何もしていないです。私もオスカーもノアといると楽しいし、刺激をたくさんもらえるし……私は誰かと一緒に学ぶことが初めてで、ノアと一緒で、とっても嬉しいし……
私もノアにもっと笑っていてほしい。
オリビア様、私はずっとこれからもノアの味方ですから!」
気持ちが昂ってしまい、脈略がなく話す私の手をオリビア様は握ってくれた。
「特別なことをしないからいいのよ。ノアを受け入れてくれてありがとう」
「こちらこそ、ここへ来てくださってありがとうございます」
気がつくと、横のお母様もオリビア様も涙ぐんでいらした。3人で顔を見合わせて、うふふ・・・と笑う。
ひとしきり笑いがおさまると、オリビアが私の目を見て真剣な様子でお話を続けた。
「アディちゃん、これからノアがどんな決断をするにしても、味方でいてくれると嬉しいわ」
真剣さに一瞬驚いたが、私もオリビアの目を見てはっきりと返答した。
「もちろんです。私はずっとノアの味方です!」
オリビアの部屋を出てから、無性にノアの顔が見たくなった。サロンや図書室を覗いたけれどいなかったので、外に出て鍛錬場を覗く。そこで一人で剣を振ってるノアを見つけた。
鍛錬中の邪魔をしないでおこうと、離れたところからノアの背を見つめる。ノアは無心で剣を振るっているようにも、何か迷いを吹っ切ろうとしているようにも見えた。
騎士団の演習が終わったようで、護衛騎士のコナーがアデリンを見つけ、横に腰をおろす。
「お嬢様、ノア様に用ですか?声をかけましょうか?」
「用があってきたのだけれど、急ぐものではないの。せっかく練習しているのだから、終わるまで待っていようと思って」
「そうなんですね。じゃあ俺はお嬢様の話し相手をつき合いましょうか」
「ノアの剣術はコナーから見てどうなの?」
「う〜ん、あの年齢とは思えない良い腕を持っています。ノア様ってお嬢様と同い年ですよね。技術も筋もいいし、どんな状況でも冷静な判断をする能力があって……ソーラス騎士団に欲しいくらいですよ。
ワイバーンの騎乗の腕がいいって竜騎士団長も同じく欲しがってますよ。あとはもう少し腕力がついたら、数年後は凄腕の剣士になると思います」
コナーは少し言いにくそうに続ける。
「でもね……俺は気になるんです。剣の立会稽古で、ノア様は相手との間合いが近いんです。好戦的と捉えてる見方もできますが、俺にはご自分を大切にしていないように見えて……どうなってもいいと思っているように見えるんです……ま、考えすぎかもしれないですけどね」
コナーは、ははっと笑って重くなった空気をごまかした。
素振り練習をやめ、他の騎士との打ち込みの練習を始めたようだ。
他愛もない会話をコナーとしながら、コナーが言っていた言葉を繰り返し思い出していた。どうなってもいいと思っているように見えるとコナーは言っていたわね。言われてみると確かにそうも見える。
幼い頃から鍛錬を受けているとはいえ、騎士ではないアデリンから見ても、ノアの剣の繰り出し方はタイミングを間違えると自身が大怪我しそうなものだった。
まるで自分の破滅を試しているみたいだわ……
打ち込みが終わったのだろう。こちらを振り向いたノアと視線が絡まる。
鍛錬の時は邪魔だからだろうか、前髪を横に流しているので、少し釣り上がった大きな琥珀色の双眸が現れている。鍛錬後の上気した頬と怜悧な眼差しとが相まって、端正な顔を蠱惑的に見せていた。
ノアの形の良い唇が綺麗な弧を描いた。
「うわっ!ノア様あんな顔するんだ……」
横でコナーが呟く。
そんなに珍しい表情なのだろうか。
「アディ、どうした?」
「鍛錬は終わったかしら? ちょっとノアと話がしたいなって思ったの」
アデリンがノアに自分のハンカチを手渡す。
「良かったら使ってね」
ノアは渡されたハンカチに目をやって、クスクス忍び笑いをした。
「本当に水竜が好きなんだな」
ハンカチに刺繍されている水竜をノアは指でゆっくりとなぞる。
「うふふ、そうなの。この前見せた挿絵の水竜がモチーフなのよ」
「アディは刺繍が得意なんだな、とっても上手だ」
「本当に? そう言ってもらえて嬉しいけれど……そうだ、今度ノアに刺繍したハンカチを贈るわね」
「もしよかったら、このハンカチをもらってもいい?」
「水竜の刺繍でいいの?」
「うん、これがいいんだ」
「いいけれど、新しいのでなくてもいいの?」
「十分だよ、ありがとう」
ノアはそう言って、嬉しそうに水竜の刺繍をもう一度指でなぞった。
「……で、どうしたの? 何かあったの?」
「……うん、ノアに今朝のこと改めて謝りたいなって思って」
ノアが不意に右手を伸ばして、私の左頬を包み目尻を親指で拭う。
「どうして泣いたの? 何かあった?」
なんでわかったの? 目が腫れていたのかしら。
気づかれたことにも驚いたが、ノアの手のひらが頬に触れていることに胸がぴょんと飛び跳ねる。
我に返ったようにノアが「ごめん」と呟き、慌てて手を離した。
ノアは今までコナーが座っていた場所にどしんと腰をおろし、片手で目を覆った。
耳が赤くなっているノアを見た瞬間、アデリンも一気に顔が熱くなる。両手で頬を抑え、思わずぽすんとノアの横に座った。
「…………」
アデリンは両手で頬を押さえたまま、息を整えて一気に話し出した。
「今朝、倒れた私を見つけたノアは、怖かっただろうなと思ったの。オリビア様のことで不安になっているノアに、私まで怖い思いをさせてごめんなさい。それを言いたかったの。
泣いたのはね、さっきオリビア様のところでお母様と3人で話した時に、ちょっと泣いちゃったのよ」
覆っていた手をとって、ノアがパッとこちらを振り向く。
「あ! 違うわ。オリビア様の体調は大丈夫よ。血色の良いお顔をされていたし。
……ノアとオリビア様がここに来るまで……大変な思いをされたんだろうなって……オリビア様のお話を聞いて思って……」
ノアが息を呑む声が聞こえた。
「詳しくは聞いていないわ。でも、ノアが理不尽な経験をしてきたってことはわかったの……。オリビア様はここに来てからノアがたくさん笑ってくれて嬉しいって。私もノアが、ここで楽しいことや嬉しいことばかりだと良いなって……」
「…………」
「あ、あとね、私はノアの味方だよ。ずっと味方だから! オリビア様にもちゃんと伝えてあるから!!」
ノアの方をむくと、こちらを呆然と見ていた。
「忘れないでね! 私はノアの味方だよ」
もう一度、琥珀色の瞳を覗き込んで念を押す。
ノアが経験した辛いことをなかったことにしてあげられない。代わりに未来に少しでも希望を持ってほしい。一人でも味方がいるって覚えていてほしい。ノアが笑っていてくれるならそれでいい。
ノアはゆっくりと顔を綻ばせた。蕩けるような笑みで「ありがとう」と言ったノアへ、アデリンもにっこりと微笑みを返した。
心地よい沈黙の後、どちらともなく2人で城へ向かって歩き出す。
ふと、出会った水竜の魔力とノアの魔力が似ていたことを思い出した。
流石にこんな話をしたら驚いてしまうだろうな……
無意識にノアを見上げていた。
ノアがアデリンを向いて、話を促すような目をする。
流石に言いにくいわ。
そういえば……
「今日は前髪を横にながしているのね」
「ああ、もう良いかなと思って」
「何かきっかけがあったの? ノアの瞳は綺麗だから、絶対にその方がいいわ! 私もノアと目を合わせてお話できるから嬉しいわ」
ノアは照れたような笑みを浮かベている。
琥珀色の瞳に私が映っているのがわかる。
嬉しくなったアデリンは知らず知らずのうちに笑みが溢れていた。
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