007
冗談だよと言ってくれる事を期待していたが、蒼はそのまま話を続けた。
「この店も、俺も、吃驚したけどお前も“力”を持ってる」
「……何から突っ込んで良いのか分からないのでございますが」
「お前、“アレ”を追い払っただろ」
「アレ?」
「そう、“アレ”。黒い奴」
此処に来る途中で見かけたものの事だろうか。蒼が何の事を言っているのかまでは分かったが、追い払ったと言われても小雀には心当たりが無かった。
一つだけ分かったのは、あの時の礼は、あの黒い何かを追い払ったと蒼が思ったからこそ言われたという事だ。
「勘違いでは」
そもそもアレが何なのかすら聞いていない。
首を傾げた小雀に、蒼はただ黙って窓の方を指差した。
何の気なしにそちらを見る。
山に似た黒い塊が、のっそりと窓の向こうを横切っていた。
「……――――!?」
「声、出しても平気なはずだけど、一応静かにな」
先ほど外で出くわした時とは違い、蒼は冷静なまま手振りで座るように示した。逃げなければと立ち上がりかけた小雀も、なんとかそれで落ち着きを取り戻す。
「あれは、さっきの……」
「とは別の奴かもしれないけど、同類だ。俺達は単に“アレ”って呼んでる、詳しいことは分かってないから、あんまり聞くなよ」
「……何ですか、あれは」
「分からない。分かってることは、“アレ”は人を襲うって事」
敢えて淡々と話す蒼の声に引きずられて、先ほど飲み込まれそうになった恐怖が蘇る。
そうだ、あれは、あの時目の前を覆いつくした黒は、“アレ”の口の中だった。
「人を、或いは生物を飲み込もうとする。もしかしたら[幻灯区]の生きてるもんは、全部“アレ”に飲み込まれたのかもしれない」
「そんな……」
「確かめようが無いから、状況から立てられる推測の一つだけどな。形も大きさも色々だ、流石に今日遭ったみたいに早い奴は久々だったけど、あれより早いのもいる。遅いのも。目も口もあるけど、喋らない、実際に目で見てるのかも分からない。人に似た形も見たことあるけど、あいつらは……なんて言うか、頭が良くない。扉を開けたり閉めたりをしないんだ、だからこの店に入ってくる事は……多分無い」
「根拠は」
短く尋ねてもやはり声の震えは伝わったようだった。目を細めた蒼の表情は安心させようとしてか随分と柔らかくなって、小雀の苛立ちを煽る。
「前にも“アレ”に追われて、店に逃げ込んだ事がある。扉を閉めた途端“アレ”は店の周りをぐるっとまわって、諦めたのかこっちを見失ったのか、どっかに行っちまった。もう一つ、別の場所で窓越しに“アレ”に見つかった事がある。その時も、“アレ”は大分遠かった扉に行って、そこから建物の中に入ってきた。直線の方がどれだけ近くとも、あいつらは窓や壁を壊して進むという事をしない。壊れないしな」
窓の外をもう一度見てみると、黒い“アレ”はとっくに移動してしまったのか、姿が見えなくなっていた。敢えて探そうとも思えなかった小雀は、気にかかった別のことを問いかける。
「壊れない?」
「そう、壊れない。でもちょっと休憩しようぜ、話し疲れた」
本当に疲れたように溜め息を吐き出した蒼は、席を立ってカウンターの中へと入った。勝手知ったる何とやらで冷蔵庫を開け、中から作り置きらしき飲み物のボトルをいくつかと牛乳パックを並べる。
「何がいい?」
気遣われていると思うと腹立たしかったが、どうしてこんなにも腹立たしいのか、小雀にはいつものように分からなかった。




