5話 夏の亡霊、君の声。
夏が終わった。
なのに、俺に秋は来なかった。
ただ、暑さだけが残った。
蝉の声も、もう聞こえないのに。
――それから一年が経った。
また、夏が来た。
あの日と、同じ匂いがした。
紙とインクと、ほんの少し甘い匂い。
(なんで今さら……)
書店の前で、足が止まる。
無意識だった。
気づいたら、中に入っていた。
冷たい空気。
変わらない棚。
変わらないはずの場所。
違和感だけが、あった。
「遅い」
声がした。
背後から。
聞き覚えのある声。
あり得ないはずの声。
ゆっくり振り返る。
そこに、いた。
「……久しぶり、音」
久遠秋が、立っていた。
「……は?」
間抜けな声が出た。
頭が追いつかない。
「なんでそんな顔してるの」
秋は少しだけ眉をひそめる。
「幽霊でも見たみたい」
(……いや、その通りなんだけど)
喉が渇く。
「……お前」
言葉がうまく出ない。
「……死んだ、よな」
やっと、それだけ言えた。
秋は少し考えるようにしてから、答えた。
「そうだね」
あっさりと。
「死んだ」
軽すぎるくらい、軽く。
背筋が冷えた。
「じゃあ、なんで……」
言いかけて、止まる。
聞いてはいけない気がした。
秋は、そんな俺を見て。
少しだけ、笑った。
「ねえ、音」
一歩、近づく――。
「本当に、事故だったと思う?」
心臓が、強く跳ねた。
「……どういう意味だよ」
声が低くなる。
秋は棚から一冊の本を抜き取った。
ぱらり、とページをめくる。
「音さ」
視線は本のまま。
「違和感、なかった?」
「……何の」
「私の死」
空気が止まる。
思い出す。
あの日。
夕焼け。
最後の会話。
「私がいなくなったら、どうする?」
…………あれは。
「……たまたまだろ」
無理やり言葉を出す。
「よくある事故だって」
「そっか」
秋はそれ以上は何も言わなかった。
ただ、本を閉じる。
その仕草が、妙に静かだった。
「じゃあさ」
秋は、ふと顔を上げた。
「証明してよ」
「……は?」
「事故だったって」
まっすぐ、俺を見る。
「音、小説家でしょ?」
その言い方に、妙な引っかかりがあった。
「物語で、証明できるよね」
背中に、冷たいものが走る。
「……できるわけねえだろ」
「できるよ」
即答だった。
「だって音は」
一歩、近づく。
「私のこと、書けるでしょ」
その瞬間。
頭の奥で、何かが軋んだ。
(なんで……)
おかしい。
何かが、決定的におかしい。
秋は、死んだ。
なのに、ここにいる。
それだけじゃない。
さっきから。
ずっと。
(……他のやつ、誰も見てない)
周りの客は、誰もこちらを気にしていない。
すれ違っても、ぶつからない。
まるで――
「やっと気づいた?」
秋が、笑った。
ぞくり、とする。
「音にしか、見えてないよ」
静かに、言い切った。
喉が、ひゅっと鳴る。
「……なんなんだよ、お前」
秋は少しだけ首を傾げる。
「さあ」
そして、こう言った。
「どっちだと思う?」
――幽霊か。
――それとも。
(……俺が、作ったのか?)
秋は、俺の思考を読んだみたいに笑った。
「ねえ、音」
あの日と同じ声で。
「続き、書こうよ」




