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ほんの香る、夏のしおり。  作者: もふもふ博士


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2/7

2話 翌日

 書店の空気は、少し冷えていた。

 外の熱気が嘘みたいに引いて、代わりに紙とインクの匂いが漂っている。

 その奥に、ほんのりと甘い香りが混じっていた。

(いい匂いだな……)

 無意識に、そんなことを思った。

 その瞬間だった。

「あの――」

 後ろから声がして、俺は反射で振り返った。

 振り向く速度が、自分でも引くくらい速かった気がする。

(今の、声出てたか……?)

 立っていたのは、同い年くらいの女の子だった。

 黒髪。整った顔立ち。

 どこか涼しげで――でも目だけは妙に強い。

「おすすめの本、ありませんか?」

「……は?」

 一瞬理解が追いつかなかった。

「俺に? 本? おすすめ?」

 人生で一度も言われたことのないジャンルの質問だった。

「あ、いや……その……」

 頭の中で言葉が滑る。

「本、どのくらい読みますか?」

 とっさに、そんなことを聞いた。

 女の子は少し考えてから答える。

「ミステリが好き。たぶん、人よりは読んでると思う」

 その言い方が、妙に自然だった。

 自慢でも謙遜でもない。ただ事実を言っているだけ、みたいな。

「じゃあ、えっと……」

 俺は知っているタイトルをいくつか挙げてみた。

 けど――。

「あ、それ読んだ」

「それも好き」

「それはちょっとトリックが弱いかな」

(全部読んでる、だと……?)

 最後の一冊を言い終えた時、俺の手札は完全に尽きた。

「すみません。もう紹介できる本が……」

 女の子は少しだけ笑った。

 からかうでもなく、困らせるわけでもなく。

 ただ面白そうに。

 そのとき、俺は一冊の本が目に留まった。

 読んだことのないタイトルだった。

「これ……読んだことありますか……?」

 指差すと、彼女は少し目を開いた。

「あるよ」

 間髪入れずに、そう言った。

「すっごく面白い。おすすめ」

 今度は、はっきりと笑った。

 さっきよりも、少しだけ感情が乗っている。

「じゃあ、これで……」

 俺はその本を手に取った。

 ついでに、思い切って聞いてみた。

「あの……他にも、なんか面白い本あったら教えてくれませんか?」

 女の子は頷いて、何冊か本を抜き取った。

「じゃあ、とりあえずこれ」

 渡された本は、どれも知らないものばかりだった。

「すみません……俺がおすすめ聞かれたのに……」

「全然いいよ」

 あっさりとした返答。

 でも、どこか優しかった。

 少しだけ、沈黙が落ちる――。

 このまま終わるのが、なぜか嫌だった。

「あの……」

 気づいたら、口に出していた。

「もし嫌じゃなかったら――俺が書いた小説、読んでくれませんか?」

 女の子の目は、ぱっと開いた。

 まるで、光が差したみたいに。

「もちろんいいよ」

 即答だった。

「君の書いた小説、読んでみたい。」

「言っても……短編しか書けないんですけど……」

「いいよ、全然」

 その言い方に嘘はなかった。

 名前も知らないのに、妙に安心した。

「……夏目音です」

「久遠秋」

 ――短い自己紹介。

 それだけで、何かが始まった気がした。

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