『異世界転生して十年、侯爵家の次男として何不自由なく暮らしていた俺ですが、剣も魔法も特殊能力もあるのに何も起きないと思っていたところへ神獣出現の報せが来たので、ついに俺の冒険が始まるようです』
サウナで死んだ。
いや、正確な死因は知らない。前世の俺が最後に覚えているのが、仕事帰りに寄ったスーパー銭湯のサウナだった、というだけだ。しっかり蒸されて、水風呂に入って、外気浴用の椅子へ座った。ああ~~~整う~~~、と頭の中で伸ばしたところまでは覚えている。
その次に目を開けたら、天蓋つきの立派なベッドの上で、知らない女の人が泣きながら俺を抱き上げていた。最近、高血圧だったからなあ~~~。整うって本当は健康に悪いって聞いたことあったけど、まさか死ぬほどとはなあ~!
などと考えられるようになったのは、もちろんずっと後のことだ。生まれた直後は身体も頭もうまく動かなかったし、そもそも赤ん坊なので出来ることが泣く、寝る、乳を飲むくらいしかない。
最初の数か月は、自分が死んだことすらよく分かっていなかった。周囲にいる人間はどいつもこいつも見慣れない顔立ちをしていて、耳へ入ってくる言葉も日本語とはまるで違った。
ただ、なぜか意味だけは最初から分かった。赤ん坊というのはこういうものなのか、前世の記憶持ちだから呑み込みが早いのか、その頃は深く考えず、どこか外国に生まれ直したんだと思っていた。海外転生かあ。前世ではパスポートすら切らしていたのに、人生二周目でいきなり国際派とはずいぶん思い切ったな、俺の人生。
その認識が崩れたのは、三歳のときだった。
庭で母上とお茶を飲んでいたら、少し離れたところにいた庭師が片手を振った。それだけで地面に積んであった剪定枝がふわっと浮き上がり、そのまま庭の端まで飛んでいった。俺は持っていた焼き菓子を落とした。たしか木苺のやつだったと思う。はちみつかも。その頃しょっちゅう同じような菓子を食べていたので、そこはもう曖昧だ。とにかく落とした。母上は「あらあら」と笑って新しいものをくれた。
魔法じゃん。
その日の夜は、布団に入ってからもしばらく眠れなかった。異世界だ。ここ、異世界だ。剣と魔法の異世界に俺は転生したらしい。
いやあ、よかった。アニメとか漫画を見ていて。本当によかった。何の予備知識もなく三歳児の目の前で枝が空を飛んだら、自分か庭師のどちらかがおかしくなったと思っていたかもしれない。娯楽として摂取していた知識が、まさか死後に役立つとは思わなかった。
俺の今の名前は、レオンハルト・アルセイン。
西方に広い国土を持つルーヴェル王国、その侯爵家の次男だ。王都の屋敷は三階建て。領地にも屋敷があり、別邸まである。使用人が何人いるのかは今でも知らない。前に数えようと思ったことはある。廊下ですれ違った人間を頭の中で一人、二人と数えて、十四人くらいまで行ったところで厨房の下働きと庭師を入れていないことに気づいてやめた。たぶん三十人以上。いや、領地の屋敷まで入れたらもっといる。
必要なときには誰かいるし、朝になれば服が用意され、食事は温かく、冬でも部屋は魔石暖炉のおかげで寒くない。父上と母上は仲がいい。兄上も姉上も俺に優しい。病気になれば家族全員が心配してくれるし、悪いことをすれば叱られるけど、理不尽に怒鳴られたり殴られたりしたことは一度もない。
親ガチャSSR。家族ガチャもSSR。前世でそこまで徳を積んだ覚えはないけど、せっかく引いた当たりをわざわざ返す必要もないので、ありがたく享受している。
そういえば、五歳の誕生日には奴隷を買ってもらったこともある。正確には、俺が欲しがった。
誕生日に何が欲しいと父上に聞かれて、ちょうどその少し前に母上と馬車で出かけたとき、奴隷商の店先に女の人たちが並べられているのを見たからだ。首輪をつけられて、痩せていて、奴隷なんて本当にいるんだ、漫画みたいだと最初は異世界らしさに驚いたけど、あとから考えると可哀想だと思った。それで「だったら俺が買えばいいんじゃないか」と気づいて、おねだりに至ったわけだ。五歳児なりの名案である。
父上には最初、ものすごく困った顔をされた。母上にも「レオン、本当にそれが誕生日の贈り物でいいの?」と三回くらい確認された。でも俺は欲しい玩具も特になかったし、侯爵家なら五人くらい増えても困らないだろうと思って、結局、若い女奴隷を五人買ってもらった。男の奴隷もいたけど、男は肉体労働とかで働くところとかあるだろうし、助けるなら女の子だろ、普通。
もちろん奴隷のまま部屋へ置いておくような趣味はない。
屋敷へ連れてきたあと首輪は外して、母上に頼んでメイドとして雇ってもらった。読み書きが出来なかった二人には教師までつけてもらったし、給金も他の使用人と同じように出ている。今も全員この家で働いている。俺を見ると今でも頭を下げてくれるし、一番年上だったミレーヌなんかは「レオンハルト様に人生を救っていただきました」と言ってくれたこともある。五歳で五人の人生を救ったと思えば、我ながらけっこういいことをしたと思う。
ただ、その話を同年代の友達にしたとき、「誕生日に女奴隷を五人買ってもらった」というところだけ聞いた侯爵家の三男から、ものすごく微妙な顔をされたことがある。
そんなに変な話かな。奴隷が可哀想だったから買って、自由にして、仕事まで用意したんだから、むしろかなり良い話だと思うんだけど。前世でも寄付とか保護犬の引き取りとかあるじゃん。似たようなものだろう。
王都での暮らしにも不満はなかった。実際の中世ヨーロッパと違って、魔法という力がある分、現代日本の記憶がある俺でも耐えられる衛生環境。石畳は綺麗に並び、街は活気づいて、夜には大通りの魔石灯が点く。
家の風呂は広いし、湯を沸かすのも魔道具任せだ。残念ながらサウナはなかった。あっても入らないけど。一回死んだ場所にもう一度入りたがるほど、俺も馬鹿じゃない。
食事も普通にうまい。砂糖も香辛料もあるし、侯爵家には専属の料理人がいる。前世知識でマヨネーズでも作って革命を起こすか、と考えた時期もあったけど、厨房を覗いたら似たような卵のソースがすでに存在していたのでやめた。あれはちょっと悔しかった。しかも前世のマヨネーズよりうまかった。パンは柔らかいし、肉も毎日食える。俺が食文化改革なんてしなくても、生活は最初からかなり快適だ。
それどころか、恵まれていたのは生まれだけじゃなかった。五歳から始めた剣術はかなり出来た。七歳の頃には指南役から覚えが早いと言われ、八歳で年上の従士見習いから一本取った。そのときは父上まで稽古場へ見に来て、よくやったと頭を撫でてくれた。
魔法の適性検査では風と光の二属性が出た。二属性持ちは珍しいらしく、神殿から来た先生が測定器を調べ直していた。壊れていると思ったらしい。壊れていなかった。十歳になった今では、風で木剣の軌道をずらせるし、光球なら三つまで同時に浮かせられる。
騎士団の大人には勝てないし、宮廷魔術師ほど派手な魔法も使えない。でも、それは相手が大人だからだ。十歳同士なら俺はかなり出来る方らしい。
家庭教師も指南役も神殿の先生も、口を揃えて将来が楽しみだと言う。
まあ、そうだろうなと思う。二度目の人生なんだから、これくらいあっても罰は当たらない。
前世の記憶があるだけでも子供より有利なのに、身体の出来までいいらしい。指南役が一度見せた足運びは何度か繰り返せば形になるし、魔力操作も教わればすぐ出来る。努力していないとは言わないけど、同じだけ練習している子より俺の方が早く出来ることは多かった。
使用人が陰で「神童」と話しているのを聞いたことも、一度や二度ではない。聞こえてるんだけどな。訂正するほど間違ってもいないので放ってある。
順風満帆だけど、最近ちょっと面倒なのが婚約者の話だった。侯爵家の次男で、顔が良くて、剣と魔法の評判もいい。そうなると十歳でも普通に結婚相手候補が出てくる。この世界では別に珍しいことじゃないらしい。俺自身、前世の感覚が残っているので十歳の女の子を見て恋愛どうこうとは思わないけど、向こうはそうでもない。
いま俺と婚約したいと言っている女の子は、俺が知っているだけで三人いる。四人だったかな。一人は母親同士が勝手に話しているだけだった気もするので、正式なのは三人だと思う。
全員、伯爵家以上だった。公爵家の令嬢まで一人いる。その子は去年の王宮の冬至祭で二回踊ったことがある。正確には一回目は普通に踊って、二回目は彼女がもう一度踊りたいと言ったので踊った。
俺は別に何もしていないけど、女の子からの誘いを断るのは男として最悪なのでこたえただけだ。
もう一人は、物心つく前から家同士で付き合いのある伯爵家の娘だ。小さい頃から何度も会っているので、婚約者候補と言われても俺としてはあまり実感がない。どちらかというと妹に近い。昔から身体が弱くて、季節の変わり目になるとすぐ熱を出すし、長く寝込むこともある。
俺が見舞いに行くと機嫌が良くなるらしく、具合が戻ってくると今度は母親を通して、また遊びに来てほしいと言ってくる。
そこまで言われたら放っておくのも可哀想なので、剣や魔法の稽古が早く終わった日なんかには顔を出すようにしている。
別の伯爵令嬢からは刺繍したハンカチをもらった。自分で刺したらしい。花の模様だった。たぶん薔薇。姉上に見せたら「これ薔薇じゃなくてカメリアよ」と言われたのでカメリアかもしれない。よく分からないけど、かなり時間がかかったのは見れば分かったので大事にしまってある。
それをその子本人へ言ったら顔を真っ赤にしていた。俺としては普通に感想を言っただけなんだけど、ああいう反応を見ると、嫌われてはいないんだろうなとは思う。
父上と母上もそろそろ一人に絞りたいらしい。でも相手が相手なので、どこを選んでも別の家との関係がややこしくなる。公爵家を選べば伯爵家が面白くないし、伯爵家の一方は母上の実家と古くから付き合いがある。
もう一方は領地がうちと隣接しているので政治的にはかなり都合がいいらしい。俺本人の希望も聞くと言われたけど、十歳の俺に決めろと言われても困る。みんな普通に可愛いし、今のところ性格も悪くない。ということで半年くらいずっと「調整中」である。
前世では三十を越えても結婚の予定なんて欠片もなかったので、それを考えると人生というのは分からない。二周目では十歳で女の子何人かから婚約者になりたいと言われている。別に自慢するほどのことでもないけど、前世の俺が聞いたら普通に羨ましがると思う。
まあ、顔も今の方がいいしな。鏡を見る限り、将来はかなり格好よくなると思う。兄上も父上も整った顔をしているので、遺伝子的にも期待していいだろう。
もっとも、母上にそれを言ったら「自分で言わないの」と笑われた。姉上からは「そういうところ直さないと女の子に嫌われるわよ」と言われた。嫌われていないから婚約の話が何件も来ているんじゃないか、と返そうとして、さすがにやめた。俺だって空気くらい読める。
しかも俺には、家族にも教師にも話していない力がひとつあった。
言葉が分かる。
ルーヴェル王国の言葉が最初から理解できたことについては、生まれた土地の言葉だから身体が覚えるのも早いのだろう、くらいに考えていた。違うと気づいたのは六歳のときだ。父上を訪ねてきた南方の商人が、付き人と小声で話している内容まで普通に聞き取れた。あとで尋ねてみれば、ルーヴェル語とはまるで違う南方語だったらしい。
翌年、北から来た使節団の会話も分かった。東方の巡礼者の話も分かった。何を聞いても、意味だけが頭へ入ってくる。
ただし、こちらから同じ言葉を話すことは出来ない。返事をしようとすると、口から出るのはいつものルーヴェル語だ。聞き取り能力だけ完璧で、発音機能は未実装らしい。
それでも、どう考えたって転生特典だろ。俺は勝手に《万語理解》と名づけた。
六歳の頃、一人の部屋で「ステータスオープン!」と本当に言ったこともある。何も出なかった。ちなみに七歳のときにも、念のためもう一回やった。やっぱり何も出なかった。
そこだけは少し残念だったけど、能力自体が消えるわけじゃない。先生が何年もかけて覚える外国語を、俺は勉強なしで理解できる。今は聞くだけでも、成長したら話せるようになるかもしれない。そうなれば国を跨いで動くときには相当便利だろうし、今のままでも相手に知られず会話を聞けるなら使い道はいくらでもある。
最初は父上へ話そうかとも思った。でも、こういうものは隠しておいた方がいい気がしてやめた。
特殊能力なんて、最初から全部見せるものじゃない。必要なところで出すから格好いいんだ。侯爵家の次男で、剣も魔法も人より出来る。前世の記憶があって、《万語理解》まである。五歳で奴隷を救って、十歳にして婚約候補が何人もいる。こうやって並べると自分でもちょっと盛りすぎな気がするけど、全部本当なんだから仕方ない。ここまで揃ってくると、さすがに俺だって気づく。俺、かなり重要人物なんじゃないか?
今のところ世界を滅ぼす魔王が現れたという話は聞かない。王都は平和だし、父上は毎朝王宮へ行って夕方には帰ってくる。兄上は学園へ通い、姉上は乗馬と刺繍を習っている。俺も勉強して、剣を振って、魔法を習って、暇なら友達と遊ぶ。何も起きない。
ここ数ヶ月で一番大きな出来事が、庭の池へ兄上の飼っている犬が落ちたことだ。自力で上がってきたので何も起きていないに等しい。物語だって最初から全部始まっているわけじゃない。主人公が子供の頃は能力を身につけたり、家族と暮らしたりして、そのうち何かが起きるものだ。つまり今はその辺なんだろう。
父上は王宮付きの高位神官で、ルーヴェル王国の祭祀と各地の神殿を取りまとめている。詳しい役職の序列までは知らないけど、国王陛下へ直接報告することもあるし、地方神殿の偉い人が屋敷まで挨拶に来る。かなり上なのは間違いない。本人は家では普通の父親だった。帰宅すれば上着を脱ぎ、母上に今日の夕食を聞き、俺たちにも一日の出来事を尋ねる。疲れている日は話を聞きながらパンをスープへ落とすこともある。前に一度やって、母上から「あなた、今まったく聞いていなかったでしょう」と怒られていた。高位神官でも妻には勝てないらしい。
その日の夕食も、いつもと変わらなかった。焼いた鴨肉に甘い木の実のソース、豆と根菜の煮込み、焼きたてのパン。たしか鴨だった。もしかしたら雉だったかもしれない。味は覚えているけど、肉の種類までは自信がない。父上は母上と王宮の話をして、兄上から学園の出来事を聞き、姉上が新しい馬を欲しがっている件について「まず今いる子をきちんと世話しなさい」と笑っていた。それから、ふと思い出したように言った。
「そういえば、東のアルディナ王国で神獣が確認されたそうだよ。正式な報告がこちらにも届いた。現地の神殿は随分と慎重になっているらしい」
「神獣? 何の神獣ですか、父上」
「氷嶺白虎だそうだ。アルディナ西部の山岳地帯で目撃された。あちらにも氷嶺白虎を聖獣として祀る土地はあるから、存在そのものは珍しくない。ただ、神獣となれば話は別だね」
「氷嶺白虎なら、うちの国でも聖獣ですよね」
「そうだよ。だから神官としては、少し羨ましくもある。せっかくならルーヴェルへ来てくだされば国中が喜んだだろうね。もっとも、神獣は人が招いたり所有したりするものではない。向こうで静かに暮らしておられるなら、それが一番だよ」
父上はそこで笑い、母上も「あなたまで子供みたいなことを言って」と笑った。話題はすぐ別のものへ移った。姉上の馬の名前を何にするかだったと思う。いや、結局買ってもらえないという話になったんだったか。そこはどうでもいい。俺も食卓では普通にパンを食べていたけど、部屋へ戻って寝巻きに着替え、侍従が下がったところで、さっきの話が急に引っかかった。
神獣。氷嶺白虎。東の国。ベッドへ入って天井を眺めながら、頭の中でもう一度並べてみる。……これ、イベントじゃないか?
俺はがばっと起き上がった。神獣は、昔から国に大きな変化が起きる前に現れることがある。父上の書斎で読んだ神獣記にも、王族やその血縁者と関わった記録がいくつも載っていた。山奥の猟師に助けられたとか、名もない修道士と一緒に暮らしたとか、そういう話も書いてあった気がする。でも、それは今はいい。
アルセイン家には王家の血が入っている。
俺のひいおばあさまは、当時の国王の妹だ。四代前なら結構薄い気もするけど、ゼロではない。王家の血縁者かどうかと聞かれたら、俺は血縁者だ。しかも俺はこの世界で一度きりの人生を送っている普通の子供じゃない。前世まで含めれば、中身はもう四十年以上生きていることになる。
剣も魔法も出来る。生まれもいい。人にはない能力も持っている。女の子にもそこそこモテる。奴隷だって助けた。そこへ隣国の神獣出現だ。いや、もうこれだろ。
「俺の冒険が始まる……!」
思わず声に出た。慌てて口を押さえたけど、廊下にいた侍従にはしっかり聞こえたらしい。
「レオンハルト様、何かございましたか」
「なんでもない、寝言!」
まだ寝てないけど。
侍従の足音が離れていくのを待ってから、俺は布団へ潜り込んだ。眠気は完全に消えていた。氷嶺白虎。どれくらい大きいんだろう。普通の虎より二回り、いや三回りくらい大きいかもしれない。雪みたいな白い毛に黒い縞があって、目は青か金色。背中へ乗れば馬より速く走れる。名前に氷が入っているんだから、氷魔法くらい使うだろう。魔物の群れなんか一睨みで逃げていく。俺が剣を振るって、白虎が隣で敵を蹴散らす。そのうち《万語理解》も強くなって、外国語まで話せるようになる。国を越えて旅をして、困っている町があれば助ける。争いが起きたら止める。最後には世界を救う。
いいじゃん。ものすごくいい。
異世界転生して、神獣の白虎と旅をして世界を平和にする。それなら俺がこの世界へ来た意味としても申し分ない。
十歳まで大した事件がなかったのも、今思えば準備期間だったのかもしれない。身体を育て、剣を習い、魔法を覚え、必要な知識を詰め込む時間。奴隷を助けたことなんかも、もしかすると善性を示すための序盤イベントだったのではないか。
婚約者がまだ決まっていないのだって、旅立つ主人公へ最初から特定の相手がいたら動かしにくいからかもしれない。そう考えると今までの平穏まで前振りに見えてくる。俺の人生、ちゃんと物語になっていたんだな。
白虎と初めて会う場面まで想像した。神獣なら人を見る目くらいあるはずだ。俺がその辺の十歳と同じじゃないことにも気づくだろう。前世の記憶まで見抜けなくても、何か違う、くらいは感じるに決まっている。俺が近づいても襲わない。手を伸ばせば、白虎が静かに頭を下げる。それで仲間になる。完璧だ。
騎獣契約みたいなものが実際に存在するかは知らないけど、魔獣を従える術はあるらしいし、神獣なら神獣なりの何かがあるだろう。父上が言っていた「所有」とも違う。俺は無理やり捕まえるつもりなんてない。向こうが俺を選ぶなら、それはもう運命だ。
問題があるとすれば、アルディナ王国までどうやって行くかだった。
十歳の侯爵令息が一人で国境を越えようとしたら、さすがに止められる。門を出る前に捕まって、そのまま父上の前へ連れて行かれるだろう。冒険の第一歩が家出未遂では格好がつかない。前に友達と王都の外まで馬で行こうとして、東門で普通に護衛に止められたことがあるので、そこはもう経験済みだ。あれは家出じゃない。昼までに帰るつもりだった。ただ誰にも言っていなかっただけだ。
なら正規の方法で行けばいい。父上は神殿を取りまとめる立場にいる。隣国で神獣が現れたなら、今後こちらから神官や使節が向かうことだってあるかもしれない。その一行へ俺も入れてもらえばいい。
子供だから駄目だと言われるなら、《万語理解》を明かせばいい。アルディナの言葉だって俺には分かる。今まで隠していた力をここで見せる。父上は驚くだろう。神殿の先生も驚く。下手をすれば国王陛下の耳にだって入るかもしれない。十歳の侯爵令息が、学んだこともない外国語を理解する。そんなの、使節に同行させる理由としては十分すぎるんじゃないか。
おお。やっぱり繋がる。
俺は布団の中で一人、大きく頷いた。こう考えると《万語理解》を十歳まで黙っていたことさえ意味があったように思えてくる。能力というものは、必要な場面で明かすから価値がある。最初から「実は何でも分かります」と言って回っていたら、この瞬間の特別感が薄れていた。俺、我ながら見る目があったな。
父上が今日の夕食で神獣の話をしたことも、考えてみれば出来すぎている。父上本人は雑談のつもりだったんだろう。でも父上にそのつもりがあるかどうかなんて関係ない。俺のところまで情報が届いた。それが重要なんだ。何も知らなければ何も出来ない。知ったから動ける。フラグが立ったなら、回収する側が動かないと話は始まらない。
明日からアルディナ王国までの道を調べよう。神獣が現れた山岳地帯の場所も知りたい。氷嶺白虎について書かれた本も、父上の書斎に何冊かあったはずだ。剣の稽古は少し増やす。魔法も、今までより実戦向きのものを覚えておいた方がいい。旅となれば体力も要る。婚約候補の誰かからお茶に誘われていた気もするけど、いつだったかな。明後日だったか、来週だったか。まあ、約束しているなら侍従が覚えているだろう。急にやることが増えてきた。
俺は枕へ顔を押しつけ、声が漏れないように笑った。前世では三十を過ぎた頃から、新しいことを始めるのが面倒になっていた。仕事をして、休みの日には昼まで寝て、動画を見て、飯を食って、気づけばまた仕事の日になる。それなりに楽しかったし、不幸だったとも思わない。ただ、思い返してみても、主人公っぽい出来事はひとつもなかった。
今は違う。十歳で、侯爵家に生まれて、剣も魔法も人より出来る。前世の記憶があって、この世界では誰も持っていないかもしれない力まである。五歳のときには困っていた人間を五人助けたし、結婚相手になりたいという女の子まで何人かいる。そこへ神獣が現れた。これで何も起きませんでした、の方が話として無理がある。むしろ今まで何もなかったのが不思議なくらいだ。
まだ見たこともない大きな白虎が、東の山のどこかにいる。俺を待っている、と言ってしまうのは少し気が早い。でも、会えば分かる気がした。神獣なら、誰と一緒に行くべきかくらいは見抜くんじゃないだろうか。
俺は明日の朝、父上へアルディナ王国のことを詳しく聞くと決めた。冒険というのは、もっと派手に始まるものだと思っていた。空から女神が降ってくるとか、魔王軍が攻めてくるとか、突然謎の力に目覚めるとか。でもまあ、最初はこのくらいでいい。
本番は、白虎に会ってからだ。
今後このタイトルは『異(略)』となります。長いので。あと活動報告にキャラクター設計の云々をちょっと書いています。




