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一つ上の兄修司は何でも器用にこなせる人だ。
勉強も運動も、何かが誰よりも優れている訳ではないが全てが上位に入る人だ。たとえて言えばテストでどの教科も一位になっていないにも関わらず、総合で一位をとってしまうような人というべきだろうか。運動も選手になるほどの成績はないが、体力測定では異常な程安定的な記録を出す人なのだ。一つのことが誰よりも出来る訳ではないが、どれかが苦手という訳でもないために非の打ち所がない。ただ少しだけ人と喋るのが苦手で、そのくせ他人を考えすぎて自分がおろそかになるようなところが欠点と言えるかもしれない。
いつも比べられる。
一つしか年が離れていないせいでいつも淳司と修司は比べられた。修司は出来のいい兄、自分は出来の悪い弟。
それを嫌だと思ったことはない。
兄が自分の出来の良さをひけらかし馬鹿にするような人なら劣等感を抱いて反発もしただろうが、修司にはそんなところの欠片もないし、何より淳司は修司が何故「出来る人間」なのか知っている。
修司は別に生まれながら何でも出来る訳じゃない。数年前に亡くなった実母に厳しく躾られた為に出来ざるを得なかったのだ。
小早川という名家から鷹取に嫁いだ母・都は自分自身が厳しく育てられた為に長男に対して同じように過剰な躾をしていた。三人いる兄妹の中で何故か兄だけがいつも厳しくされる。完璧を要求され、修司はそれに答えようと必死になってそれなりの結果も出してきた。それでも母が兄を褒めていた記憶はあまりない。淳司はそんな兄を見ながらも母親が怖くて反発することが出来なかった。
それでも修司は自分たちに優しかった。自分ならば‘都合のいいときだけ近づいてきてふざけるな’とあたってしまうかも知れない。それでも兄は自分たちに無条件で優しかった。
争うと言うことを知らない人。
かなわない、と思う。
どんなにケンカが強くても、この人だけには敵わない。
「……怒ってる?」
問いかけると兄はようやく自分が淳司の手を強く握ったまま引いていたことに気付いたのだろう。
手を離し、少し考え込むようにしてから答える。
「創立記念日だった」
答えになっていない。
だが、これが兄のしゃべり方。
「本を買いに出たら、お前が人とどこかに行くのが見えた。尋常なようには見えなかった。走ったが見失って、気が気じゃなかった」
「………うん」
「心配した。弟が怪我をするのも、怪我をさせるのも俺は嫌だ。……刃物は特に駄目だ」
「ごめんなさい」
「何事も無くて良かった。……叩いて悪かった」
「……ごめんなさい」
暴力とは無縁な人。
だから、淳司を叩いただけで自己嫌悪しているのだろう。自分のことで、この人が気に病むことはない。あのくらいのことはされて当然なのだ。
何で自分はこの人に迷惑しかかけられないのだろう。
兄は自分に沢山のことをしてくれる。
それなのに、淳司が返すのは迷惑だけだ。
兄のことが好きだ。
誰よりも愛している。
なのに自分には兄から愛される価値もない。
からから、と何かが回転する音を聞いて淳司はぎくりとする。
見上げたマンションのベランダに、カラカラと回るガーデニング用の風車がある。風に回されたカラカラと音を立てていた。
「………」
「どうした?」
脳裏に浮かぶのは留紺色の着物を着た人と、赤い風車。
ぞくりとして、淳司は首を振る。
「……何でもない」
「大丈夫か? 怪我でもしているのか?」
「大丈夫、俺、強いから。あの程度じゃ怪我なんかしないっての」
「頼むから、少し控えてくれ」
言われてちくりと胸が痛む。
兄はケンカをよく思っていない。淳司が人に迷惑を掛けるようなことをすれば本気で叱る。けれど、淳司は繰り返す。
そうまでして兄の気を引きたいのか、と問われれば否と言うだろう。
兄には自分のあんな薄暗い性質を知られたくなかった。修司がケンカを仲裁に来ることは度々あった。だから、暴力的な面を知らない訳ではない。けれど今日のように一方的に人を殺そうとした淳司を彼は見たことが無いはずだ。
ああいった衝動が自分の中にあるのを淳司は知っている。暴力が嫌いな兄はそれを嫌悪するだろう。だから見られたくなかった。
それでも兄は、刃物は駄目だと諭しただけだった。
どう思っているのだろう。
兄は、あんな淳司をどう思ったのだろうか。
「淳司」
声を掛けられ、びくりと淳司は肩を震わせる。
幸い兄は見ていなかった。
「な、何だよ」
「帰ったら、大切な話がある。……俊江さんと顔を合わせるのは嫌だろうが、一緒に夕食を食べよう」
強制力もない言葉だが、兄のこういった言葉に淳司は逆らえない。
淳司はうん、と頷いて見せた。