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 ケンカに明け暮れるようになったのは中学に進学してからだ。

 兄と同じ私立の学校へ行くはずだったが、兄ほどの頭が無かったために受験に失敗した。兄のいない学校がどうにもつまらなく、退屈を埋めるように町中をふらついていた。

 少年課の刑事から逃げるように走り回ったり、停めてあったバイクを盗んだり、ゲームセンターに入り浸っているうちに、色んな人間と顔見知りになった。

 多分、そう言った連中には中学に上がったばかりの童顔で小柄な自分は可愛らしく見えていたのだろう。とても可愛がられていた。護身のためと色々なケンカの技を教えてもらい、退屈な毎日が少し色を持って見え始めた。

 ただ、元々彼らを慕っていた連中には淳司は少々目障りだったようだ。

 ある時、暗がりに連れ込まれリンチをされかけた。

 今思うと、それがきっかけだったのだろう。

 淳司は初め相手が何をしようとしているのか理解できなかった。それまで集団による暴力に縁のない暮らしをしていたからだ。ただ、彼らの鋭い眼差しは、実母が兄に向けていた視線によく似ていた。

 面白がると言うよりは、何かの捌け口にしているような暗い感情を孕んだ瞳。

 瞬間、背筋にヒヤリとしたものが走ったのだけ強く覚えている。

 気が付くと淳司はぼろぼろの状態で立っていた。自分もぼろぼろになっていたが、相手の方がもっと酷かった。

 自分が勝ったのは分かったが、何か達成感があった訳でもない。

 それからたびたびケンカをふっかけられるようになった。

 別に人を殴るのが好きなわけではない。

 血や暴力に憧れていたわけではない。

 ただ、あっちからケンカを売ってくるから構ってやるだけだ。殴られたそうな顔をして近づいてくるから相手をしてあげるだけ。

 馬鹿で大嫌いだけど、イライラした感情のはけ口としては申し分ない連中だった。ちょっと叩いたくらいでめそめそするような連中でもない。

 遊び相手としては嫌いじゃない。

 つまらない毎日もどこか楽しいものに変えてくれるような気がしていた。

「弱い癖にイキがってんじゃねーよ、ばぁーか」

 転がった連中に吐き捨てるように言う。

 人を殴る瞬間一瞬わき起こる激しい破壊衝動。

 それが満たされて一瞬だけ心が軽くなるのだ。

 でも、終わってしまうとすぐ元に戻る。

 何もかもが嫌になる。

 いつも、中途半端なまま燻って終わってしまう。

 それだけが唯一嫌な感情。

 いっそ、もう全部終わらせて欲しいと思うのに。

「あれ、今日はちょっとやれるじゃん」

 うめき声を上げながら起きあがった男を見て、へらへらと淳司は笑う。

 男の手に光るものを見て取った。

「へぇ、殺すつもり? いいよ、やんなよ。出来ればだけどね」

 挑発するように笑って、胸元を叩いた。

「心臓、ここだよ」

 死にたい訳ではない。

 ただ別に死んだって構わない気がした。

 つまらない毎日。

 どうしようもない日々。

 学校が変わってしまったことでどんどん離れていってしまう兄との距離。

 全部、終わらしてくれるなら死んでもいい気がした。

「あああっ!!」

 叫びながら男が突進してくる。

 暴力に興奮して何をしているかも分かっていない男が、ナイフを持って淳司の心臓を狙ってくる。

「……っ」

 ぞくりとした。

 脳裏に誰かの姿がよぎる。

 淳司は反射的にポケットに手を入れ、携帯電話を男に向かって投げつけた。

「!」

 がしゃんと言う音と共に一瞬彼が怯む。

 ナイフを持っている手を掴み、腕を折るつもりで乱暴に振った。

 男がナイフを落とす。

 地面をナイフが転がった。

 回転する。

 脳裏に浮かぶのは留紺色の着物と赤い風車。

「……っ」

 思考を断ち切るように淳司はナイフを掴んだ。

 温く残る人のぬくもりと、妙に湿ったグリップが急激に現実へと引き戻してくる。

「こういうのって、正当防衛じゃなくて、過剰防衛になるんだっけ? それとも殺人罪?」

「あ……」

 今まで自分を殺そうとしていた男が青い顔でこちらを見上げている。

 力もなく、喚くだけ。怯えて何も出来ない醜い塊。

 それは過去の自分の姿と重なる。

 何も出来ない自分自身と。

「人にナイフ向けるってどういう意味か知ってる? ……殺されても良いって言う意味だよ」

 声が乾く。

 淳司は男の顔にナイフを向けた。

 もういい。

 終わらせよう。

「なぁ、殺してもいいよな?」

 感覚が麻痺をしてくる。

 罪悪感なんてとっくの昔に無くなっている。

 あるとすれば一つだけ。

 どう頑張っても兄の支えになれない自分自身に対して。

「淳司っ」

 不意に叫ばれた声で我に返る。

 手元からナイフが奪われ、遠くに投げ捨てられた。

 ぱちん、と高い音が響く。

 叩かれた事を自覚するまでに少しだけ時間が必要だった。

「何で……」

 声が掠れる。

 言いしれぬ恐怖と締め付けられるような胸の痛み。頬が激しく痛んだ。

 何でここにいるのだろうか。

 一番逢いたくて、一番見られたくなかった人。

「何で、兄さんが……」

 彼は淳司から故意に目線を逸らし、ナイフを持ち出した男の方を見る。びくりと男が震えた。

 背を向けしゃがみ込んだ兄が怖かった。

 遠ざかっていきそうな背中。

 こんな汚いところを見られたら今度こそ嫌われてしまった。

「これはケンカの領域を越えているな」

「……ひっ」

 兄の口から小さく息が吐き出された。

「すまないな、両成敗……というのも変だが、今回は不問にして欲しい」

 抑揚のない低い声には有無を言わさない何かが含んでいる。

 彼が酷く腹を立てていることを理解して淳司は身を固くする。他人からして見ればいつもと変わりないかもしれないが、淳司には分かる。兄は今、珍しいほどあからさまに怒っている。

 相手がこくこくと頷くのを確かめて携帯電話を拾い上げ修司は立ち上がった。

 視線が交わる。

 怖い。

 淳司は視線を故意に逸らす。

 ため息が、大きな手のひらと共に頭の上に振ってきた。

「淳司」

 声音に含む優しい色を聞き取って淳司は頭を上げる。

 修司は困ったように小さく笑う。

「帰るぞ」

「………」

 伸ばされた手を握り返す。

 握った手の平は冷えてどこか汗ばんでいた。



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