第2章 少年期編:スラムの冬と、温かな石の錬金術
1
冷たい隙間風が吹き込むあばら屋で、父は今日も泥のように眠っていた。
父は、領主である貴族の農園で『契約奴隷』として働いている。日の出前から日暮れまで過酷な労働を強いられ、稼ぎのほとんどは税として搾取される。
「……結局、この世は生まれが全てだ。貴族どもは生まれながらに特許を持ち、俺たち下民は一生泥をすする。いくら足掻いたって無駄なことさ」
それが、酒を飲んだ時の父の口癖だった。貴族を憎みつつも、現状を変える努力をとっくに放棄してしまっている。前世の俺なら「生産性のない思考だ」と切り捨てていただろうが、この過酷な世界で彼を責める気にはなれなかった。
「レオ、寒くないかい?」
父の愚痴を静かに聞き流しながら、母が俺に薄い毛布をかけてくれる。
父の幼馴染だという母は、スラムの煤けた空気の中でも花のように優しく、俺を深い愛情で包んでくれていた。
ある夜、俺が指先でごく微細な『無料の魔力波長(静電気のようなもの)』を弄って遊んでいると、母は「まあ、レオは魔法の才能があるのね!」と目を細めて喜んでくれた。だが次の瞬間、ハッと顔を青ざめさせ、俺の小さな手を震える両手で包み込んだ。
「……でも、ダメよ。絶対に、誰にも見せてはいけないわ。特許の制限を越えれば……あの時みたいに……」
母の腕には、焼け焦げたような古い焼印の痕がある。
かつて母は、重い病に倒れた父を救うため、見よう見まねで少しだけ治癒効果のある魔法を使ってしまったのだという。それがギルドの『特許侵害』に触れ、見せしめとして酷い拷問を受けたのだ。
息子の可能性に喜びを感じつつも、特許侵害の恐怖に怯え続ける母。その震える手を見つめながら、俺は心の中で静かに誓った。
(……俺が、このふざけたシステムをハックしてやる。母さんが、二度とこんな理不尽に怯えなくていいように)
2
「いいか坊主。この世界の魔法を使うには、『魔法特許庁』に使用許可の申請を出し、対価(ライセンス料)を払って制限を解除してもらう必要がある」
王都の魔術学院の隅にある埃っぽい研究室。
万年助教授のクロードは、分厚い特許目録をめくりながら俺に解説した。
「火を起こす、水を出す、傷を治す……実用的で強力な魔法特許は、すべて貴族が独占保有している。奴らは絶対に権利を手放さず、俺たちは魔法を使うたびに莫大な使用料を吸い取られる仕組みだ。だがな……」
クロードがリストの最後の方、カビの生えたページを指差す。
「大昔に登録された『第44号:微風発生』や『第108号:微弱発熱』のような、誰も使わないカスみたいな特許なら話は別だ。特許庁にほんの銅貨数枚の手数料さえ払えば、誰でも制限を解除して使い放題になる」
「なるほどね! 誰も見向きもしないオープンデータみたいなものか」
「おーぷん……なんだ? まあいい。だが、こんなカス特許を取得したところで、マッチ一本分の火もつかんぞ」
「今はね。でも、クロードおじさん。そのカス特許、俺の手数料で俺が使えるように全部取得申請しておいて!」
「何の手数料だよ!お前に払う金なんてないぞ!まあ、お前の話はなんか面白くて俺も楽しんでるからお小遣いとしてこれくらいの奢ってやるよ。どうせ銅貨数枚だしな。くれぐれも無茶して特許侵害とかすんなよ。申請者の俺が責任取らされるんだから。」
なんだかんだで協力的なクロードを手篭めにし、俺は前世のプログラマーとしての血が騒ぐのを感じた。
強力なAPI(魔法)が有料なら、無料のしょぼいコードを繋ぎ合わせてシステムを作ればいいだけだ。
3
それからの俺は、森の奥に住む魔女イレーネの工房と、クロードの研究室を行き来する日々を送った。
イレーネが使っているのは、特許庁に登録されていない自然の魔力や民間伝承……いわば『特許料が掛からない無料魔法』だ。俺は、クロードから取得したカス特許と、イレーネの無料魔法を組み合わせる実験に没頭した。
「イレーネおばさん! この『第108号:微弱発熱』を、おばさんの『無料の保温草』の繊維に編み込んでみてよ!」
「またかい、坊主。そんな微弱な熱を入れたって、草がすぐ枯れちまうだけだよ」
結果は失敗。少し温かくなったかと思えば、すぐに黒焦げになって消えてしまう。
「じゃあ次は、クロードおじさん! この石に『第44号:微風発生』を定着させてから、イレーネおばさんの……」
「おいおい、俺は暇じゃないんだぞ。そんなガラクタ作りにいつまで付き合わせる気だ」
最初は面白がっていた大人二人も、全く芽が出ない俺の実験に呆れ果てていた。「子どもの遊びに付き合わされている」と、渋々手伝ってくれているのが見え透いていた。
(おかしい……。単体のカス特許同士の組み合わせでは、出力の限界があるのか? いや、何かを触媒にして、ループ処理を作れれば……!)
失敗の山を前に、俺は連日徹夜で回路(術式)を見直した。
前世で、誰も見向きもしないマイナーな技術を組み合わせて、世界初のプラットフォームを立ち上げたあの時のように。モノづくりの没入感に浸りながら、俺は試行錯誤を繰り返した。
4
そして、本格的な冬がスラムに到来したある夜。
凍えるようなあばら屋で、母がガタガタと震えながら咳き込んでいた。父も寒さで眠れず、暗い顔で膝を抱えている。
「(……急がないと。このままじゃ、母さんの体が持たない)」
俺はイレーネの工房から持ち帰った、ある「失敗作の石」を睨みつけた。
『第108号:微弱発熱』を定着させた石。これ単体では、一瞬だけ生ぬるくなるだけだ。
だが、俺はそこにもう一つの要素を掛け合わせた。スラムのその辺に転がっている「ただの泥炭」だ。
「(特許魔法の熱を外に放出するから消えちゃうんだ。イレーネおばさんの無料魔法で作った『魔力遮断の布』で石と泥炭を包み込み、中で微弱な熱を循環させ続ければ……!)」
俺は自分の【万能】の微細な魔力操作を使って、布の中の石と泥炭の配置をミリ単位で調整し、繋ぎ合わせた。
パチッ……。
微かな音と共に、布に包まれた手のひらサイズの物体が、じんわりと、そして力強く発熱し始めた。
熱すぎるわけではない。凍える手を包み込むのにちょうどいい、まるで日向のような温かさ。しかも、中の泥炭が尽きない限り、この熱は数日間持続する。
「……できた。カイロだ!」
俺は興奮を抑えきれず、震える母の冷たい手に、その温かい布包みを握らせた。
「レオ……? これ、なあに……? すごく、温かい……」
「僕が作ったんだよ、母さん! 特許に触れない無料の素材と、誰も見向きもしないカス特許を組み合わせただけ。だから、もう怯えなくていいんだ!」
母は驚きに目を見開き、やがてその目からポロポロと涙をこぼした。「温かい、温かいわ……」とカイロを胸に抱きしめ、俺をきつく抱き寄せてくれた。
その時初めて、俺は前世のビジネスの成功では決して味わえなかった、心の底からの喜びを感じた。
翌日から、俺が作った『温かな石』は、冬の寒さに苦しむスラム街で爆発的な流行を見せた。
特許ライセンス料が掛からないため、銅貨一枚で買えるそのカイロは、下民たちの凍える冬の生活を一変させたのだ。
「坊主、お前さん……本当にあのガラクタ特許で、こんなモノを作り出しちまうとはな」
「アタシの無料魔法をこう使うとはね。大した悪ガキだよ」
クロードとイレーネも、スラムの熱狂を前に唖然としていた。
誰も見向きもしなかったカス特許が、世界を変える第一歩になった瞬間だった。
しかし、スラムでのこの小さな経済活動が、ある貴族の興味を惹いてしまい、大貴族を巻き込む大事件を起こしてしまうことは、この時の俺はまだ知らなかった。




