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第3章 持たざる少年と、悩める貴族の『蒸気機関』

1

カイロの大流行から数ヶ月。

俺はスラムの片隅で、次なるプロダクトの実験に没頭していた。手元にあるのは、相変わらずクロードから取得したカス特許と、イレーネの工房から失敬してきた無料魔法の素材ばかりだ。

「よし、この『第44号:微風発生』の指向性を少し絞って……」

地面にしゃがみ込んで石を並べていた俺の背中に、ふと声がかけられた。

「君が、『温かな石』を作った魔法使いかい?」

振り返ると、俺と同年代か、少し上くらいの少年が立っていた。

スラムの子供のような煤けた服を着て、顔にも泥を塗っているが……誤魔化しきれていない。服の裏地の縫製は明らかに高級品だし、何より肌の艶や立ち振る舞いが「安全な場所で育った人間」のそれだった。

「魔法使いってほどのものじゃないよ。ただのガラクタの寄せ集めさ。君は?」

「僕は……アルト。ただの、通りすがりの平民さ」

アルトと名乗った少年は、俺が並べていた実験の残骸に興味津々な目を向けた。

「あのカイロ、本当に驚いたよ。我が……いや、うちの近所の金持ちが使っている高額な【保温】の特許魔法より、ずっと温かくて長持ちする。君はどうやって、何もないところからあんな価値を生み出したんだ?」

「何もないところからじゃないよ。誰も見向きもしない『無価値な特許』の組み合わせを見つけただけさ」

俺がそう答えると、アルトはどこか憂いを帯びた目で、自分の両手を見つめた。

「……すごいな、君は。僕なんか、最初から全てを与えられているのに、自分の力では何一つ生み出したことがない。血筋や家の名前に守られているだけで、僕自身には何の価値もないんだって……最近、ずっと考えていたんだ」

少し変わった奴だ、と思った。

おそらくこいつは、どこかの裕福な商人か、下手すれば貴族の息子だろう。身分を偽ってスラムに来るなど普通ならただの道楽だが、彼の目には「自分のアイデンティティに対する強烈な飢餓感」があった。

前世で、親のコネで入社してきた二代目のボンボンたちを何人も見てきたが、ここまで客観的に自分を分析し、憂えることのできる人間は珍しい。

「……ねえ、アルト。君、モノづくりに興味ある?」

「えっ?」

「俺、今ちょっと壁にぶつかっててさ。良かったら、手伝ってくれない?」

俺は彼を身分で判断せず、単なる「面白い奴」として、俺の実験場(という名の空き地)に招き入れた。

2

それからというもの、アルトは頻繁にスラムを訪れ、俺やクロード、イレーネおばさんたちとつるむようになった。

彼は決して偉ぶらず、俺の泥臭い実験を目を輝かせて手伝ってくれた。

ある日、俺はスラムの共同井戸の前に立ち尽くし、頭を抱えていた。

スラムの井戸はひどく深く、母さんや力のない老人たちが水を汲み上げるのは重労働だ。そこで俺は、水を自動で引き上げるシステムを作ろうとしていたのだが……。

「ダメだ。カス特許の『微弱発熱』で水を沸騰させることはできても、その蒸気を押し出す『圧力』の特許がない。今の俺の手持ちのカス特許じゃ、水圧に負けてパイプが破裂しちまう」

俺の愚痴を聞いていたアルトが、ふと真剣な顔つきになった。

「レオ。その『圧力』さえあれば、君はこの重い水を自動で汲み上げる機械システムを完成させられるのかい?」

「あ、ああ。まあ、理論上はね。でも、【空間圧縮】とか【圧力増幅】の特許なんて、上級貴族しか持ってない。俺たち下民が逆立ちしたって使用許可なんて下りないよ」

アルトはしばらく黙り込むと、やがて何かを決意したように、懐から銀色に輝く印章シグネットリングを取り出した。

「……レオ。君は僕を身分で笑わず、対等な友人としてモノづくりの楽しさを教えてくれた。これは僕からの、最初で最後の『投資』だ」

「アルト……お前、その指輪……」

「僕の本当の名は、アーサー・フォン・グランヴェル。グランヴェル侯爵家の三男だ」

クロードおじさんが「侯爵家だと!?」と素っ頓狂な声を上げた。

グランヴェル侯爵家といえば、この地方のインフラ特許を牛耳るトップ貴族だ。

「僕は、自分の力で何も生み出せない自分が嫌いだった。でも、君の頭脳と、僕の『与えられただけの権利』が組み合わされば、世界を変える何かを作れる気がするんだ」

アーサーは印章を強く握りしめ、俺を真っ直ぐに見つめた。

「僕が個人名義で相続している、第12号特許【特定空間の圧力操作】。もっぱら馬車のクッションや、貴族の遊びにしか使われない無駄に高位な特許だ。……これの使用許可ライセンスを、君に無償で付与する」

3

(侯爵家の高位特許と、俺のカス特許の組み合わせ……! 最高のピースが揃ったぞ!)

俺のエンジニアとしての血が完全に沸騰した。

アーサーから【圧力操作】の特許権を付与された俺は、徹夜で井戸に巨大な装置を組み上げた。

イレーネおばさんの無料魔法で作った耐熱パイプ。

クロードおじさんから取った【微弱発熱】と【微風発生】のカス特許を何百重にも並列処理して作った、超高効率のボイラー。

そして、アーサーの高位特許である【圧力操作】を「ピストンの往復運動」として組み込んだ。

水と熱と圧力が生み出す、この魔法世界には存在しない物理エネルギーの塊。

「アーサー! いくぞ!」

「ああ、やってくれレオ!」

スラムの住人たちが遠巻きに見守る中、俺は装置を起動した。

ボイラーに火が入り、カス特許の熱が水を急激に沸騰させる。発生した膨大な蒸気の圧力を、アーサーの【圧力操作】特許が完璧なタイミングでピストンへと変換する。

ガコンッ……!

重々しい金属音が鳴り響き、そして——。

ズガガガガガガッ!!

大地を揺らすような地鳴りと共に、井戸の中に設置されたポンプが猛烈な勢いで稼働し始めた。

次の瞬間。

「うおおおおおっ!?」

「水が! 水が勝手に噴き出してきたぞ!」

重労働だった井戸の水汲みなど過去のものとするほどの、凄まじい水柱がポンプから噴き出した。

あまりの出力に制御が追いつかず、水は空高く舞い上がり、スラムの広場に大雨のようなシャワーを降らせた。

「ははっ、すげえ! 出力がバグってやがる!」

ずぶ濡れになりながら、俺は大笑いした。前世で初めて書いたコードが動いた時と同じ、最高の気分だった。

隣を見ると、アーサーも泥水にまみれながら、見たこともないような満面の笑みでガッツポーズをしていた。

「やった……! 僕の特許が、レオの知識と合わさって、人の役に立つものを生み出した……!」

4

しかし、俺たちはこの「成功」の余波を甘く見ていた。

カス特許の集合体と、高位の【圧力操作】が引き起こした未曾有の物理的エネルギーは、魔術ギルドの観測計を振り切るほどの異常な数値を叩き出していたのだ。

「なんだこの異常な魔力反応は!?」

「スラムの井戸から巨大な水柱が上がっています!」

数時間後、王都の治安部隊と魔術ギルドの調査官たちが、物々しい武装でスラムに雪崩れ込んできた。

特許庁の許可を得ていない未知の超大型機械(蒸気機関)の存在に、彼らはパニックに陥り、俺たちの装置を取り囲んだ。

「貴様ら! これは一体何の特許侵害だ!? 即刻破壊して、責任者を連行しろ!」

調査官が怒号を上げる。母さんが青ざめ、スラムの住人たちが怯えて後ずさる中——。

俺の前に、泥だらけの服を着たアーサーが一歩前に出た。

「破壊など許さない。これは僕、グランヴェル侯爵家三男アーサーの正当な特許権に基づく、新たなインフラ実験だ。文句があるなら、我が侯爵家の顧問弁護士を通したまえ」

王都の役人たちは、アーサーが掲げた本物の侯爵家の印章を見て、文字通り腰を抜かした。

持たざる少年と、悩める貴族の息子が生み出した、魔法世界初の『蒸気機関』。

この大騒動は、やがて既存の魔法特許システムに依存する貴族社会全体を大きく揺るがす、産業革命の狼煙となるのだった。


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