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川沿いの夜は、ひどく冷えた。
私は法衣の上に騎士のマントを羽織り、泥の中を腰まで浸かって進んだ。護衛の十人も、無言でついてきてくれた。
ソルティアの城壁内に入ると、廃屋に身を潜めた市民たちが私たちを見つけ、震えながら集まってきた。
「——聖女様? 本当に来てくださったのですか」
「静かに。声を小さく」
私は子どもや老人、怪我人の状態を素早く確認した。三十人ほどが怪我を負っている。幸いにも動かせないほどの重症者はいない。
「川に向かえますか? 今夜、脱出します」
「で、でも魔王軍が——」
「陽動部隊が東から動いてくれています。今が一番の隙です。行きましょう」
私の声に、市民たちは頷いた。
三時間後、私は第一陣の市民——老人と子ども優先で、二百人ほど——を川沿いのルートで誘導し、城壁の外に送り出した。
魔王軍が気づき始めたのは、その後だった。
「見張りが戻ってきたぞ!」
護衛の騎士の声で、私は咄嗟に市民の列を廃屋の陰に押し込んだ。
篝火の光が、石畳の上を舐めるように近づいてくる。
——まずい。
「聖女様、ここはお任せを」
護衛の騎士長が剣を抜いた。
「待って、」
「大丈夫です。聖女様の献身に必ず応えます」
騎士たちが走り出す。剣の打ち合う音、怒号、そして私は残った市民たちを急かしながら川へ向かった。
ずぶ濡れで、冷たくて、泥だらけで。
それでも、私は走った。
*
全ての市民を脱出させ終えた時、空が白み始めていた。
私はソルティアの城壁を出たところで、膝から崩れ落ちた。
「聖女様!!」
ルカスが駆け寄ってくる。
「大丈夫……ちょっと疲れているだけよ」
「お怪我は?」
「ないわ、たぶん。泥だけ」
私は笑おうとして、うまく笑えなかった。
涙が、気づいたら頬を伝っていた。
泣くつもりはなかった。
でも、全員無事に脱出できた、という安堵が——あまりにも大きくて、感情の制御が追いつかなかった。
「聖女様……」
ルカスが、何も言わずにそっとマントを肩にかけてくれた。




