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その夜、王都への帰還途中の野営地で眠りについた私は、夢の庭園に入った瞬間、何かが違うと感じた。


庭園の端の方——いつもは薔薇が咲き乱れているはずの場所に、黒ずんだ影のようなものが広がっていた。


「……これは」

「来ていたか」

彼の声も、いつもより疲れていた。


「どうしたの? 庭園が……」

「私の精神状態が反映されているのだろうな」と彼は言った。

「少し、荒れている」

「荒れている? どうして」


彼はしばらく黙ってから、静かに言った。

「……ソルティアで、聖女が少数の騎士とともに市内に踏み込んだと、情報が入った」

「っ」

私は息を飲んだ。


「それが……君だと、確信している」

「どうして?」と私は聞いた。

「君は、自分より他者を優先するから。誰かが先陣を切らなければならない時、必ず自分が出る——それは、君の話の端々から感じていた」

「……」

「無事でよかった。だが」

彼の声が、低く、重くなった。

「もう少しで、私は——」

そこで彼は言葉を止めた。


「もう少しで、何?」

「……いや、なんでもない」

「なんでもなくないでしょう!」

私は思わず声を上げた。

「あなたはいつも、ぎりぎりのところで言葉を飲み込む。私だってそう。お互い、本当のことを隠しながら話してる」

「……それは」

「わかってる。お互い事情がある。でも——」

私は、胸の中で何かが溢れ出しそうになるのを感じた。


「この夢が、いつまで続くかわからない。毎晩会えているけど、いつかは終わるかもしれない。その時に、あなたのことを何も知らないまま別れるなんて、私は嫌で、」


彼が口を開きかけた。


「私、あなたのことが好き」

——言ってしまった。


沈黙が落ちた。

彼の紫の瞳が、じっと私を見ている。

「……夢の中で告白を受けるとは、思っていなかった」

「冗談にしないで」

「していないよ」

彼は静かに立ち上がり、ゆっくりと私の前に立った。


指先が、私の頬に躊躇いながらそっと触れた。

「私も——君が好きだ。夢の中であっても、この気持ちは本物だと思っている」

「じゃあ、教えて」と私は言った。

「あなたの名前を。本当の名前を」


彼の指先が、止まった。

長い沈黙の後、彼は静かに言った。

「……ヴィルヘルム。それが、私の名だ」

「ヴィルヘルム」

「誰にも呼ばれたことのない名を、君に呼んでほしい」


私は、その名前を胸の中で転がした。

「ヴィル——そう呼んでもいい?」

「……好きに呼べ」

照れ隠しの、ぶっきらぼうな返事。

でも、その耳が少し赤いのを、私はちゃんと見た。


「じゃあ、ヴィル」

「何だ」

「私の名前は、神城香織。日本人で、看護師で、異世界に迷い込んだ、ただの人間」

彼は、はっと目を見開いた。

「——ニホン? それは、君の世界の」

「知ってるの?」

「伝説で、聞いたことがある。天界の一つに、そのような名の世界があると」

「天界……」と私は苦く笑った。「天界にしては、ずいぶん普通の場所だけど」


「カオリ」とヴィルが言った。

「君は——今の役割に、本当に苦しんでいるんだろう」

「……うん」

嘘はつかなかった。

「苦しい。怖い。でも、目の前の人が苦しんでるのを見たら、やっぱり動いてしまう。それが私の性分だから」

「……そうか」

彼は静かに頷いた。


「ならば——その性分を、私は尊いと思う」


その言葉が、泣きそうなくらい嬉しかった。

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