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その夜、私はいつもより早く床についた。
夢の庭園に早く着きたかったのだ。彼の声が聞きたかった。
深い眠りの底に沈んでいくような感覚の後、気づけば柔らかな光の中にいた。
庭園の薔薇が夜風に揺れ、月の光が芝生の上に白く広がっている。
「今日は来るのが早いな」
彼はいつもの東屋に腰かけ、珍しく、分厚い本を膝の上に開いていた。
「ちょっと、色々あったの。早く会いたくて」
私はそう言ってから、自分の言葉に頬が熱くなるのを感じた。
「……そうか」
彼は本を閉じ、紫の瞳を細めた。その眼差しは、いつも私を見る時だけ柔らかくなる。
「会いたかった、か。嬉しいことを言ってくれる」
「あなたは嬉しくなかった?」
「もちろん、嬉しいに決まっている」
彼は即答して、それから照れたように咳払いした。
「……ところで、何があった? 顔色が悪い」
「顔色が悪いの? 夢なのに」
「夢の中でも君の顔は見える。というより、夢の中にしか君はいないのだから、これが私の見ている全てだ」
静かな、それでいて深みのある声。
私はゆっくりと東屋の椅子に座った。
「……軍の前線に出ることになりそうで」
「——何?」
彼の表情が、一瞬だが鋭くなった。
「仕事で……。最前線に行って、力を使わなければならないかもしれない。でも、私にはその力があるかどうか、わからなくて」
「力がない、とは?」
「……自分が、本当にその役割にふさわしいのか、不安で」
私は正直に言った。嘘はつきたくなかった。でも全部は言えなかった。
私が「偽の聖女」であることを、この夢の中でも言葉にしたら、何かが壊れてしまいそうで。
彼が、私の手を躊躇いがちに握った。
「君が、自分の役割を疑うのはわかる。だが、私は知っている——君は、誰よりも真剣に、目の前の人間を助けようとしている」
「……どうしてそんなことが、」
「日々の話を聞けば、わかる。君は一度だって、自分の利益を優先したことがない。いつも他者のことを先に考えて、それで疲れ果てている」
私は唇をきゅっと結んだ。
「それは、本物の力を持っていることとは別の話よ」
「そうかもしれない。だが、力の真価とは、持っているかどうかではなく——それをどう使うか、ではないか?」
私はしばらく黙って、夜空に浮かぶ月を見上げた。
夢の中の月は、現実よりも少しだけ大きく、優しい光を持っている。
「……ありがとう」
「礼を言うな。私が言いたくて言っているだけだ」
「……ねえ」
「何だ」
「あなたは……自分の仕事、嫌いにならない?」
少し間があった。
「嫌いだ。ひどく嫌いだよ」と彼はあっさりと言った。
「私は、生来、争いというものが好きではない。静かに本を読んで、美味いものを食べて、好きな人間と話して——それだけで十分だと思っている」
「好きな人間」
「……君のような」
私の心臓が、また跳ねた。
「でも、それはできない」と彼は続けた。
「私のような者が目を背ければ、もっと多くの者が傷つく。だから、いくら嫌でもやるしかない」
「……私も、同じかもしれない」
「そうだ。だから君は、力があるかどうかに関わらず——立ち向かうんだろう」
彼の言葉が、じんわりと胸の中に沁みていった。




