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外伝 フィーネ①

「望まれなかった耳」


 フィーネが最初に覚えている感覚は、

 “愛された記憶”ではなかった。


 空気がざらつく感触。

 人の視線が、皮膚の上を這うような違和感。


 言葉になる前の、拒絶。

 

 

 フィーネは、エルフと人間のあいだに生まれた。


 耳は、少しだけ長い。

 だが、エルフほどではない。

 肌は淡いが、森の民の透明感には届かない。


 どちらにもなれない身体。


 生まれた瞬間から、

 “余りもの”として扱われるには十分だった。


 王都近郊の、小さな村。

 地図に名前が載るかどうかも怪しい、街道から外れた集落。


 家は村の外れ。

 畑と森の境目に建つ、風通しの悪い木造家屋。


 人の気配から、ほんの少し離れた場所。


 ――最初から、隔てられていた。

 

 

 父は、人間だった。


 優しかった、らしい。

 フィーネの記憶には、ほとんど残っていない。


 ただ、ある日いなくなった。


 朝、目を覚ましたら、

 父の靴だけが残っていて、

 それきり帰らなかった。


 理由は、誰も教えてくれなかった。


 母は、エルフだった。


 彼女はフィーネを愛していた。

 少なくとも、フィーネはそう信じている。


 だが――

 母はいつも疲れていた。

 村の視線。


 噂。

 陰口。


 「混ざりもの」

 「気味が悪い」

 「長生きしない」


 そういう言葉が、

 母の背中を少しずつ丸めていった。

 

 

 フィーネが“聞こえ始めた”のは、

 物心がつく前だった。


 声ではない。


 気配。

 感情。

 揺らぎ。


 誰かが怒る前に、怒りがわかる。

 誰かが嘘をつく前に、歪みがわかる。


 夜になると、

 森の奥から、死にかけの獣の気配が流れてくる。


 畑の向こうから、

 “まだ言葉になっていない恐怖”が漂ってくる。


 フィーネは、それを

 「みんなも感じているもの」だと思っていた。


 だから、口に出した。


「……この人、怒ってる」

「……ここ、怖い」


 それが、間違いだった。

 

 

 村の子どもたちは、

 次第にフィーネを避けるようになった。


 最初は、遠巻きに。

 次は、囁き声で。

 やがて、はっきりと。


「気持ち悪い」

「なんでわかるの?」

「見てるみたいで嫌」


 見ているつもりはなかった。

 聞こえてしまうだけだった。


 だが、その違いは誰にも伝わらない。


 石を投げられた。

 耳を引っ張られた。


 「エルフもどき」

 「化け物」


 母は、何度も頭を下げた。

 フィーネの代わりに。


 そのたびに、

 フィーネは「自分が悪い」と学んでいった。

 

 

 見た目が八歳ほどの頃。

 実年齢は、十六。


 母が倒れた。


 病だった。

 治療する金も、縁もなかった。


 最後の日、

 母はフィーネの耳に触れ、こう言った。


「……生きなさい」


 それだけだった。


 愛している、とも。

 ごめんね、とも言わなかった。


 言えなかったのか、

 言わない方がいいと思ったのかは、わからない。


 母は、そのまま動かなくなった。

 

 

 それから、フィーネは一人になった。


 村は、彼女を助けなかった。

 追い出しもしなかった。


 ただ、無視した。


 食べ物が余れば、偶然落ちている。

 家が壊れれば、誰も直さない。


 フィーネは、生きた。


 誰にも見つからないように。

 誰にも期待されないように。


 “聞こえる力”を、

 自分でも気づかないうちに使いながら。


 獣が近づく前に逃げ。

 死にかけの人の場所を避け。


 ――そうやって、生き延びた。

 

 

 見た目が十歳ほどになった頃。


 フィーネは、王都へ向かった。


 理由は、ひとつだけ。


 ここにいれば、

 「誰にも望まれないまま、消える」

 それが、はっきりわかったからだ。


 王都なら、

 役割がある。

 制度がある。


 “使われる”なら、

 “存在していい理由”になる。

 そう思った。

 

 

 王都ギルドの門をくぐった日。


 石の冷たさ。

 人の多さ。

 無数の感情の濁流。


 フィーネは、初めて気を失った。


 あまりにも多くの“声にならない声”が、

 一度に流れ込んだからだ。


 目を覚ましたとき、

 マリアベルがいた。


 彼女は、フィーネを“使える”と判断した。

 年齢を問わず。

 見た目を問わず。

 ただ、聞こえることだけを。

 

 

 こうしてフィーネは、

 王都ギルドの補助員となった。


 特殊任務。

 裏方。

 消耗前提。


 “戻ってこなくても困らない枠”。


 それでも――


 彼女は、ここに来て初めて思った。


(……役に立てる)


 それが、

 生きていい理由だと信じて。

 

 

 そして、

 あの日。


 ギルドの窓口で、メイス盾の青年を見た。


 視線を逸らさず、

 評価されても、折れない目。


 ――聞こえた。


 恐怖。

 決意。

 そして、

 「誰かを守る」という、まっすぐな圧。


(……この人は)

(私を、“使う人”じゃない)


 その直感だけで、

 フィーネは声をかけた。


「……お願い、できますか」


 それが、

 彼女が初めて“自分から選んだ相手”だった。

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