外伝 フィーネ①
「望まれなかった耳」
フィーネが最初に覚えている感覚は、
“愛された記憶”ではなかった。
空気がざらつく感触。
人の視線が、皮膚の上を這うような違和感。
言葉になる前の、拒絶。
◆
フィーネは、エルフと人間のあいだに生まれた。
耳は、少しだけ長い。
だが、エルフほどではない。
肌は淡いが、森の民の透明感には届かない。
どちらにもなれない身体。
生まれた瞬間から、
“余りもの”として扱われるには十分だった。
王都近郊の、小さな村。
地図に名前が載るかどうかも怪しい、街道から外れた集落。
家は村の外れ。
畑と森の境目に建つ、風通しの悪い木造家屋。
人の気配から、ほんの少し離れた場所。
――最初から、隔てられていた。
◆
父は、人間だった。
優しかった、らしい。
フィーネの記憶には、ほとんど残っていない。
ただ、ある日いなくなった。
朝、目を覚ましたら、
父の靴だけが残っていて、
それきり帰らなかった。
理由は、誰も教えてくれなかった。
母は、エルフだった。
彼女はフィーネを愛していた。
少なくとも、フィーネはそう信じている。
だが――
母はいつも疲れていた。
村の視線。
噂。
陰口。
「混ざりもの」
「気味が悪い」
「長生きしない」
そういう言葉が、
母の背中を少しずつ丸めていった。
◆
フィーネが“聞こえ始めた”のは、
物心がつく前だった。
声ではない。
気配。
感情。
揺らぎ。
誰かが怒る前に、怒りがわかる。
誰かが嘘をつく前に、歪みがわかる。
夜になると、
森の奥から、死にかけの獣の気配が流れてくる。
畑の向こうから、
“まだ言葉になっていない恐怖”が漂ってくる。
フィーネは、それを
「みんなも感じているもの」だと思っていた。
だから、口に出した。
「……この人、怒ってる」
「……ここ、怖い」
それが、間違いだった。
◆
村の子どもたちは、
次第にフィーネを避けるようになった。
最初は、遠巻きに。
次は、囁き声で。
やがて、はっきりと。
「気持ち悪い」
「なんでわかるの?」
「見てるみたいで嫌」
見ているつもりはなかった。
聞こえてしまうだけだった。
だが、その違いは誰にも伝わらない。
石を投げられた。
耳を引っ張られた。
「エルフもどき」
「化け物」
母は、何度も頭を下げた。
フィーネの代わりに。
そのたびに、
フィーネは「自分が悪い」と学んでいった。
◆
見た目が八歳ほどの頃。
実年齢は、十六。
母が倒れた。
病だった。
治療する金も、縁もなかった。
最後の日、
母はフィーネの耳に触れ、こう言った。
「……生きなさい」
それだけだった。
愛している、とも。
ごめんね、とも言わなかった。
言えなかったのか、
言わない方がいいと思ったのかは、わからない。
母は、そのまま動かなくなった。
◆
それから、フィーネは一人になった。
村は、彼女を助けなかった。
追い出しもしなかった。
ただ、無視した。
食べ物が余れば、偶然落ちている。
家が壊れれば、誰も直さない。
フィーネは、生きた。
誰にも見つからないように。
誰にも期待されないように。
“聞こえる力”を、
自分でも気づかないうちに使いながら。
獣が近づく前に逃げ。
死にかけの人の場所を避け。
――そうやって、生き延びた。
◆
見た目が十歳ほどになった頃。
フィーネは、王都へ向かった。
理由は、ひとつだけ。
ここにいれば、
「誰にも望まれないまま、消える」
それが、はっきりわかったからだ。
王都なら、
役割がある。
制度がある。
“使われる”なら、
“存在していい理由”になる。
そう思った。
◆
王都ギルドの門をくぐった日。
石の冷たさ。
人の多さ。
無数の感情の濁流。
フィーネは、初めて気を失った。
あまりにも多くの“声にならない声”が、
一度に流れ込んだからだ。
目を覚ましたとき、
マリアベルがいた。
彼女は、フィーネを“使える”と判断した。
年齢を問わず。
見た目を問わず。
ただ、聞こえることだけを。
◆
こうしてフィーネは、
王都ギルドの補助員となった。
特殊任務。
裏方。
消耗前提。
“戻ってこなくても困らない枠”。
それでも――
彼女は、ここに来て初めて思った。
(……役に立てる)
それが、
生きていい理由だと信じて。
◆
そして、
あの日。
ギルドの窓口で、メイス盾の青年を見た。
視線を逸らさず、
評価されても、折れない目。
――聞こえた。
恐怖。
決意。
そして、
「誰かを守る」という、まっすぐな圧。
(……この人は)
(私を、“使う人”じゃない)
その直感だけで、
フィーネは声をかけた。
「……お願い、できますか」
それが、
彼女が初めて“自分から選んだ相手”だった。




