外伝 フィーネ②
2話「選ばせた声」
夜明けよりも早く、
砦は“悲鳴を上げる準備”を始めていた。
音ではない。
揺れでもない。
もっと手前の段階。
形になる前の、破壊の意思。
空気が、重い。
壁の内側に、何かが溜まっている。
(……来る)
そう思った瞬間、
世界が裏返った。
◆
石が、呼吸している。
壁が、耐えることをやめている。
天井の奥で、
“まだ落ちていない瓦礫”たちが、
一斉に未来を選び始める。
聞こえる。
壊れる前の音。
潰れる前の恐怖。
叫びになる前の祈り。
それらが、
いっぺんに、頭の内側へ流れ込んでくる。
「……っ」
膝が、自然に落ちた。
鼻の奥が熱い。
血の匂いがする。
でも、それどころじゃない。
――足りない。
“数”が、合っていない。
◆
生きている人の数。
逃げ切れた命の数。
それを、
フィーネは“感覚”で数えていた。
(……ひとつ、欠けてる)
あの子。
昨日、泣いていた。
盾の裏にしがみついていた。
生きようとしていた、
あの小さな重さ。
「……ちゃたろ〜さん……!」
声を出した瞬間、
喉の奥が削れる感覚が走る。
これは声じゃない。
“内側”を削って出している音だ。
「……わかります……」
彼は、こちらを見る。
ああ、だめだ。
この人は、すでに理解している。
言わなくても、
全部、伝わっている。
「あの子……砦の後ろ……物資庫の方……」
一歩踏み出す。
――足が、言うことをきかない。
世界が、遠い。
聞こえすぎている。
◆
わかってしまう。
ここから先。
彼が行けば、
あの子は助かる。
でも、彼が戻ってこなければ、
自分は助からない。
それでも。
「……行って」
言葉が、口から落ちた。
命令じゃない。
懇願でもない。
“選ばせる”言葉。
これまでずっと、
フィーネは選ばれてきた。
役割を。
立場を。
危険を。
初めてだ。
誰かに、選択を渡すのは。
◆
彼は、迷った。
ほんの一瞬。
でも、その一瞬で十分だった。
「……任せろ」
その言葉を聞いたとき、
フィーネは、理解した。
(ああ……)
(この人は、
“戻ってくるつもり”で行った)
それだけで、
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
◆
世界が、沈んでいく。
砦が、壊れていく。
聞こえる。
死体が動く音。
瘴気が濃くなる流れ。
でも、もう“拾わない”。
これ以上、拾えば、
自分が壊れる。
だから、
“ひとつ”だけを聞く。
――彼の位置。
◆
戻ってきた。
あの人が命を抱いて。
砦が、一瞬だけ“呼吸”を取り戻す。
誰かの声。
延命の気配。
そして――
彼が、戻ろうとする。
こちらへ。
◆
それは、理解した瞬間だった。
(……だめ)
(ここで動かないと、
この人は、死ぬ)
考えていない。
聞こえているだけ。
未来の音が。
◆
身体が、勝手に動いた。
泥に手を突っ込み、
瓦礫を掴み、
裂けても、血が出ても、止まらない。
柱が、落ちる。
音が、確定する。
間に合わない。
だから――
◆
押した。
全身で。
体重も、力も、
残っている“全部”を使って。
彼が、飛ぶ。
視界から、彼が外れる。
それで、いい。
◆
静かだ。
砦の音が、遠い。
聞こえない。
初めて。
こんなに、
世界が、静か。
◆
彼が、こちらを見ている。
よかった。
それだけで全部、報われた。
言葉はいらない。
声は、もう出ない。
◆
目を閉じる。
最後に思ったのは――
(……私、ちゃんと、選べた)
それだけだった。




