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外伝 フィーネ②

 2話「選ばせた声」


 夜明けよりも早く、

 砦は“悲鳴を上げる準備”を始めていた。


 音ではない。

 揺れでもない。


 もっと手前の段階。

 形になる前の、破壊の意思。


 空気が、重い。

 壁の内側に、何かが溜まっている。


(……来る)


 そう思った瞬間、

 世界が裏返った。

 

 

 石が、呼吸している。


 壁が、耐えることをやめている。


 天井の奥で、

 “まだ落ちていない瓦礫”たちが、

 一斉に未来を選び始める。


 聞こえる。


 壊れる前の音。

 潰れる前の恐怖。


 叫びになる前の祈り。

 それらが、

 いっぺんに、頭の内側へ流れ込んでくる。


「……っ」


 膝が、自然に落ちた。

 鼻の奥が熱い。

 血の匂いがする。


 でも、それどころじゃない。


 ――足りない。


 “数”が、合っていない。

 

 

 生きている人の数。

 逃げ切れた命の数。


 それを、

 フィーネは“感覚”で数えていた。


(……ひとつ、欠けてる)


 あの子。

 昨日、泣いていた。

 盾の裏にしがみついていた。


 生きようとしていた、

 あの小さな重さ。


「……ちゃたろ〜さん……!」


 声を出した瞬間、

 喉の奥が削れる感覚が走る。


 これは声じゃない。

 “内側”を削って出している音だ。


「……わかります……」


 彼は、こちらを見る。


 ああ、だめだ。

 この人は、すでに理解している。


 言わなくても、

 全部、伝わっている。


「あの子……砦の後ろ……物資庫の方……」


 一歩踏み出す。


 ――足が、言うことをきかない。


 世界が、遠い。

 聞こえすぎている。

 

 

 わかってしまう。


 ここから先。


 彼が行けば、

 あの子は助かる。


 でも、彼が戻ってこなければ、

 自分は助からない。


 それでも。


「……行って」


 言葉が、口から落ちた。


 命令じゃない。

 懇願でもない。


 “選ばせる”言葉。


 これまでずっと、

 フィーネは選ばれてきた。


 役割を。

 立場を。

 危険を。

 初めてだ。


 誰かに、選択を渡すのは。

 

 

 彼は、迷った。

 ほんの一瞬。


 でも、その一瞬で十分だった。


「……任せろ」


 その言葉を聞いたとき、

 フィーネは、理解した。


(ああ……)

(この人は、

 “戻ってくるつもり”で行った)


 それだけで、

 胸の奥が、少しだけ軽くなった。

 

 

 世界が、沈んでいく。

 砦が、壊れていく。


 聞こえる。

 死体が動く音。

 瘴気が濃くなる流れ。


 でも、もう“拾わない”。


 これ以上、拾えば、

 自分が壊れる。


 だから、

 “ひとつ”だけを聞く。


 ――彼の位置。

 

 

 戻ってきた。


 あの人が命を抱いて。

 砦が、一瞬だけ“呼吸”を取り戻す。


 誰かの声。

 延命の気配。


 そして――


 彼が、戻ろうとする。

 こちらへ。

 

 

 それは、理解した瞬間だった。


 (……だめ)

 (ここで動かないと、

  この人は、死ぬ)


 考えていない。

 聞こえているだけ。

 未来の音が。

 

 

 身体が、勝手に動いた。


 泥に手を突っ込み、

 瓦礫を掴み、

 裂けても、血が出ても、止まらない。


 柱が、落ちる。

 音が、確定する。


 間に合わない。


 だから――

 

 

 押した。

 全身で。


 体重も、力も、

 残っている“全部”を使って。


 彼が、飛ぶ。

 視界から、彼が外れる。

 それで、いい。

 

 

 静かだ。

 砦の音が、遠い。

 聞こえない。

 初めて。

 こんなに、

 世界が、静か。

 

 

 彼が、こちらを見ている。


 よかった。


 それだけで全部、報われた。


 言葉はいらない。

 声は、もう出ない。

 

 

 目を閉じる。

 最後に思ったのは――


 (……私、ちゃんと、選べた)


 それだけだった。

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