84. 【番外編】 運と勝負の神の事情 8/13
あいつらはたぶん、あんまりわかってない。
運と勝負の神は、エルシェリア救出のためにウィデルへと向かう愛し子たちを眺めながら、考えていた。
神は、環境として箱庭全体を見ることはできても、個人を特定して追うのは、愛し子が起点でなければできない。
ソラ・ティリオスは愛し子から意識的に目を背けているし、シェ・エル・リラ・ユンが追っているのは当然自分の愛し子だ。
ラルフが、契約上の妻エルシェリアの身代わりに来たシェリルと想いを交わしたことも、シェリルが身代わりだったという事実を最近知ったということも、神の愛し子という存在がどういうものなのか、つい昨日まで正しく知らずにいたということも。
つまりラルフ側で起きたことの把握が、2神にはできていないのだ。
ラルフは、エルシェリアが神の愛し子だということには、愛し子の子孫を介して気付き始めている。
そして今。彼らはウィデルに向かっている。
何をするのが正解か。
どこに着地させるのが最良か。
運と勝負の神は考えあぐねていた。
***
ウィデルへの道が、豪雪で閉ざされている。
ラルフたちは、国境の門の所で立ち往生していた。
見るからに困っている。
(ファーストコンタクトがこれか・・・)
運と勝負の神はがくりと項垂れた。
考えあぐねて、手を出しそびれて、満を持して、やっと来たその時が、今か。
運と勝負の神なのに、今できる手助けは、豪雪を物理的に移動させることだけ。
できることなら、本業で登場したかった。
(まあ、仕方ない)
運と勝負の神は、少しどきどきしながら愛し子に話しかけた。
「道を、開きたいか?」
ラルフは素早く反応して振り返った。
自分の声に反応して愛し子が動いた、ただそれだけのことなのに、心が震える。
「春の加護がない今なら、この地に干渉することは可能だ。道を開きたいか?」
再び話しかけると、ラルフは今度はぴきりと固まった。
反応している。愛し子が、自分の声に。
嬉しくてたまらない。
これも「全能神の上の奴」の支配下にある、仕組まれた感情なのだろうか。
(夏が、俺が愛し子に干渉するたびに苦しんでたみたいに)
「聞こえているだろう? 答えろ。道を開きたいか?」
答えろ、と。
ついそう口走ってしまっていた。自分の問いかけに対する答えを、声を、ただ聞きたかった。
「開きたい」
(答えた)
会話が成立した、ただそれだけのことに、感情があふれて追いつかない。
(もういい)
難しいことを考えても、どうせ答えは出ないのだ。
仕組まれていようがなんだろうが、今あるこの気持ちは。
(俺のものだ)
「見返りは何だ」
ラルフが続けて言った言葉に、思わず笑いが漏れる。
「見返り! まさか愛し子に見返りを尋ねられるとはな! はは。いいな。さすが俺の愛し子だ」
俺の、愛し子。自分で言って、噛みしめる。
「あなたは誰だ」
名前は、ないんだ。お前が名付けてくれるか。
さすがにそんなことは、まだ言えない。
「俺は運を司る神。転じて勝負の神でもある。見返りは、そうだな。春の不機嫌を何とかしろ。俺は夏に借りがある。春がここの加護をなくすことを、夏は良しとしていない」
他言禁止の挑戦中だ。詳しいことを言うわけにはいかない。
運と勝負の神は、ラルフたちがエルシェリアを解放するためにここに来ていることを、ずっと見守っていたから知っている。
エルシェリアを助けることは、ウィデルの加護を取り戻すという意味では根本的な解決にはならないが、シェ・エル・リラ・ユンの憂いの1つを晴らすことにはつながるだろう。それは、ソラ・ティリオスの願いでもある。
そう期待しての、見返り提案だった。
「やれるだけやってみる。道を開いてくれ」
運と勝負の神は、ソラ・ティリオスとの会話を思い出していた。
『いつか、愛し子と会話をしたら、わかる。話をするだけでも浮き立つような気持ちになるし、好意を向けられたら、嬉しさに何でも叶えてやりたい衝動に駆られる』
あの時は、まだ懐疑的だった。
でも、今ならわかる。
好意はまだ向けられていないが、それでも。
運と勝負の神は力を行使して、雪をどけて道を開いた。
ソラ・ティリオスの様子を見に行くと、以前ほどではなかったが、やはり「もう全然平気」とまではいかないようで、体調、いや心の調子は思わしくないようだった。
だから、その後何度かラルフに話しかけられたが、何とか自制して、応えないようにした。
話しかけられた先がソラ・ティリオスではなく自分だった。そのことだけで、今は十分だった。
***
ラルフたちがたどり着いた先、離宮は閉ざされていた。
愛し子の意を汲んで、人の子が入れないように封鎖したのはシェ・エル・リラ・ユンだ。
ラルフは怒っていた。ラルフにとって、エルシェリアは会ったこともない契約上の妻だが、その身の上は、最愛の人から聞いて知っている。
幽閉同然だったエルシェリアが、また他人の都合で閉じ込められていると知り、激怒していた。
正確に言えば、人の子が閉じ込めたのではない。
エルシェリアは自ら生きることを放棄した。結果、今離宮の中、シェ・エル・リラ・ユンの保護下にあるのだが、そのことをラルフは知らない。
(こいつなら)
ラルフなら、心を失いかけているエルシェリアを呼び戻すことができるかもしれない。
愛し子を失いそうになる恐怖は、自分もよく知っている。運と勝負の神にとっては、思い出したくもない過去だ。
血縁があるわけではないが、シェ・エル・リラ・ユンは自分が生まれるきっかけとなった2神のうちの片割れだ。何とかできるものなら、してやりたい。
ラルフは入口で警備していた兵士を突き飛ばした。
開かない離宮の扉をがんがん叩いている。
「頼む。開けてくれ! 返事だけでもいい!」
多少乱暴にも見えるその行為は、エルシェリアの生存を危ぶんでの行動だと知れた。
神の庭での距離は離れているから姿が見えているわけではないが、この状況を、シェ・エル・リラ・ユンは自分と同じように注視しているはず。これほど愛し子の周りがざわついているのに、気にならないはずはない。
おそらく声は届くだろう。そう判断した。
「春。開けてやれ。お前の愛し子の、望みのものを連れてきた」
運と勝負の神はシェ・エル・リラ・ユンに呼びかけた。
正確に言うと違う。エルシェリアが望んでいたのはニルスとシェリルのはずだ。だが、この状況を打開できるのは、現時点、ラルフだけだ。
シェ・エル・リラ・ユンの返事はなかったが、扉は開いた。
やはり、神の庭的に距離があっても、箱庭を通して声が聞こえてはいるようだ。一言くらい何か言えよ、と苦笑していると、
「ありがとう」
ラルフが宙を向いて、一言つぶやいた。当然目が合うはずもないが、優しく目を細めたその笑顔は、間違いなく自分に向けられたもの。
(うわ)
衝動的な歓喜ではなかった。でも、じわじわと満たされていくこの感覚。
幸福感とは、こういうのをいうのかもしれない。
『愛し子が喜ぶと、神もまた至上の喜びに満たされる』
以前言っていたソラ・ティリオスの声が、頭の中で再生される。
「なるほどね」
こういうことか。確かにこれは、クセになるな。
ラルフには、自分が運と勝負の神の愛し子だという認識ができたはずだ。
これからは、ソラ・ティリオスの状態を様子見しながらにはなるが、交流をはかることができる。
もともとは、挑戦に成功してソラ・ティリオスの消滅を防ぎ、例外を作ることで「全能神の上の奴」に悔しい思いをさせたいがために、始めたことだった。
でも、今は。
ラルフと、ただ話がしたかった。
他愛のない話でいい。ただ話したかった。
その先で、名付けてほしかった。
名のない自分に、自分だけの固有の名前を。
そうすれば、ふわふわと寄る辺ない存在の自分でも、地に足がつくような気がした。
そしてそれは、もうすぐ叶うのだと、信じて疑っていなかった。
本編『39. 異変』の「なるほどね」の、アンサーエピソードになります




