83. 【番外編】 運と勝負の神の事情 7/13
シェ・エル・リラ・ユンの加護を受けた国が、盟約を破った。否、破りかけた。
ウィデルが、ソラ・ティリオスの加護する国に、突然侵攻をかけたのだという。
ウィデルとクラインでは、建国したのはウィデルの方が先だ。
シェ・エル・リラ・ユンは、まさか真隣に他の神の加護を持つ国が建つとは想定していなかったが、近隣になら創られることもあるかもしれないと、そうなった時に神同士が険悪になることを嫌って、盟約に『神の加護を持つ国への不可侵』を入れていた。
それが、破られかけている。
愛し子の子孫の裏切りは、シェ・エル・リラ・ユンをひどく消沈させたらしい。
ソラ・ティリオスの元に来て、いつもの余裕はかけらもなく取り乱していたという。
運と勝負の神は、もちろんその場には居合わせていない。
戦争が起こり、ラルフが最前線に立たされた。その話をソラ・ティリオスの所に持っていったところで、この話を聞いた。
だが、これで二神の関係にひびが入るとは思っていない。本人がやらかしたならまだしも、戦争を起こしたのはあくまでも愛し子の、しかも話すこともできない末裔だ。ソラ・ティリオスはおおらかな夏の神。それを許すことができないほど狭量ではない。
運と勝負の神は、そちらの案件は特に気にしていなかった。好きにやってくれればいい。むしろどうでもいい。
それより何より、愛し子が、今最前線に立たされている。しかも、自分は力の行使ができない。
(いや、するか、手出し)
たいがいもう、愛し子も大人になっている。神の時間的にはあっという間だが、人の子の時間としては、もうそれなりに経ってしまっている。ソラ・ティリオスも、もういい加減『子離れ』してもいい頃ではないのか。「その時は、意外に早く来るかもしれない」のではなかったか。
(正直、今は春にかかりきりで、夏はそれどころじゃないし)
やるか。
愛し子に死なれるのは、夏の神とて困るはず。
何より。
ソラ・ティリオスの生み出した愛し子ではあるが、もう。
(俺の愛し子だ。俺が、みすみす死なせるなんて耐えられない)
そんなことを考えていたちょうどその頃。
ラルフは自力で打開した。
戦争は、瞬く間に終結した。侵略は、成らなかった。
そしてそのおかげで、ウィデルの盟約は、ぎりぎりのところで破られることなく維持された。
逞しい愛し子が誇らしくもあったが、何もできない自分が、ひどく歯痒かった。
***
人の子の時間は、忙しない。
危機回避したと思ったその先から、問題が発生する。
ソラ・ティリオスの最初の愛し子の子孫によって、なぜか愛し子とシェ・エル・リラ・ユンの愛し子に、縁ができた。
偶然にしては、出来過ぎている気がしなくもない。
嫌な予感がする。
焦燥感に掻き立てられて、運と勝負の神はソラ・ティリオスの所に行って詰め寄った。
「もういい加減、愛し子離れしてくれてもいいだろう」
箱庭の狭い範囲で愛し子(とその子孫)が渋滞を起こしているからか、通常は起こらない事態が、起こり始めている。
(もう、待っていられない)
ソラ・ティリオスは、目を閉じて深くため息をついた。
「わかっている。わかっているが」
言いさしたのを、
「ソラ」
シェ・エル・リラ・ユンに名を呼ばれ、会話は中断した。運と勝負の神は、かくんと首を落とした。
(こいつは)
毎回毎回。こっちの都合など知ったことではないと言わんばかりに割り込んでくる。
ソラ・ティリオスとはそう頻繁に話しているわけでもないのに、なかなかの確率でヒットする。
だが、彼女からすれば、邪魔者は自分の方なのだろう。
文句の1つも言ってやりたいと、運と勝負の神は、こちらに歩いて来るシェ・エル・リラ・ユンを見て、しかし何も言えずに一歩後ろに退いた。
何やら背負うオーラが春の女神らしくなく、黒々しい。とてもお怒りになっていらっしゃる。
「盟約が、破られた」
運と勝負の神がいることなど目にも入っていない様子で、シェ・エル・リラ・ユンはソラ・ティリオスにそう言い放った。怒ってはいるが、少し涙目にもなっている。
怒っているのはソラ・ティリオスにではなく、自分の愛し子の末裔に対して、らしい。
ソラ・ティリオスもそれを察したのだろう、近寄って来た恋人を、微笑んで優しく抱きしめた。
「何があった?」
なだめるように髪を撫でながら、ゆっくりと問うている。
(これだよ)
少しは自分の存在を認識してほしい。
この前ほどの甘い空気はないが、ここにいることが、急にいたたまれなくなる。
(帰ろう)
声をかけることなく、音も立てずにその場を辞そうとした運と勝負の神を、ソラ・ティリオスが恋人を抱きしめたまま、目線だけで制した。
(待てってか!)
せっかく、気を利かせてやっているのに。
「エルが、食べることをやめた。もう、生きていたくはないのだと」
ぽつりぽつりと呟くように、春の女神は話し始めた。エル、は確か、シェ・エル・リラ・ユンの愛し子の愛称だ。
「それが、盟約に?」
ソラ・ティリオスの言葉に、シェ・エル・リラ・ユンは小さくうなずいた。
「結んだ盟約の1つに、愛し子の子孫の、血族間の殺傷の禁止、というのがある。エルは奴らに追いつめられて、生きることを放棄した。それは、殺されるのと同義。盟約は、これにより破られた。エルは今、我が保護のもと、何をするでもなく殻の中で揺蕩うている。あれはもはや、生きているとは言えぬ。あの子に次の盟約を、加護の礎になれなどと、願うのは酷な話」
奇妙な話だ、と思う。
本来は、愛し子が加護を願うから、盟約を交わすのだ。それを叶えて、神は名付けてもらうことができる。
だがシェ・エル・リラ・ユンはもう名があるから、名付けてもらう必要がない。そして加護をなくした国に再び加護を与えようとしているのは、神の方なのだ。
ある種の逆転現象が起こっている。
「愛し子に、こうなった時のことを話していなかったのか?」
ソラ・ティリオスの問いに、シェ・エル・リラ・ユンは力なく首を振った。
「話しておらぬ。盟約のことすら、話していなかった。あの子は、先の愛し子の末裔に、虐げられておった。そやつらの後始末をしろとは、言えなんだ」
「こうなる前に、何でもっと早く助けなかった」
思わず運と勝負の神は口を挟んだ。
手を出したくても出せない自分とは違う。
辛い立場に置かれた愛し子を、なぜ放置することができたのか、理解できない。
シェ・エル・リラ・ユンはその存在に初めて気が付いた、とでも言うように、運と勝負の神に振り返った。
「できるなら、とうに策を講じておる。だが我に、人の子に直接関与する能力はない」
怒るでもなく、淡々と事実として述べる女神には、諦念が漂っている。
「すまん」
愛し子に何もできないで、平気でいられるわけはなかった。
だが、何もできない、ことはない。運と勝負の神の力は、人の子に直接作用する。
「俺に言ってくれたら」
「嫌だ」
食い気味に断られた。
自分の愛し子を他の神に干渉されたくないと思うのは、シェ・エル・リラ・ユンも同じこと。
やはり、本能的なものなのだろう。
(面倒だな)
愛し子は、餌みたいなものだ。
箱庭を調整する労働力たる神を、箱庭に執着させ、繋ぎとめるための、餌。
神。箱庭。愛し子。
全能神の「上の奴」が、せせら笑っているような気がした。お前たちは、所詮使い捨ての消耗品なのだから、せいぜい働けと。
何をやっても無駄な足掻きだと、言われているような。
「許そう」
考え事をしていた運と勝負の神は、だからソラ・ティリオスの突然の言葉に、反応が遅れた。
「へ」
気の抜けた運と勝負の神の返事に、ソラ・ティリオスは苦笑した。
「好きにやれ、と言った」
それは、手出し解禁宣言だ。
おそらく、恋人が腕の中にいる手前、はっきり言えないでいる。他言は、禁止事項だ。
「いい、のか?」
この言葉をもぎ取るためにここに来たはずなのに、そんなことを聞いてしまう。
「ユンを悲しませるのは本意ではない。動くことができるのは、お前だけだ」
苦痛にも耐える、と。
だから、いろいろ何とかしろ、と。
結局は恋人か。
ここで、「だったら何でもっと早く」などと言うのは、野暮なのだろう。
(だが、これで)
待ち望んだ手出し解禁だ。
事態はわりと面倒くさいことになってはいるが。
何もできないよりはずっといい。
運と勝負の神は今度こそ踵を返した。




