85. 【番外編】 運と勝負の神の事情 9/13
それは、怖ろしいまでの急展開だった。
シェ・エル・リラ・ユンの許しを得て扉は開き、ラルフ (とセドリック) は離宮に入っていった。
そして、エルシェリアはラルフの説得で、生きる意思を取り戻した。
ああよかったなあ、春。
思っていた、その矢先だった。
「ありがとう。決めたわ」
ラルフに自らの今後についての選択を迫られて、吹っ切れたように笑ったエルシェリアは、まさかの両取りを提案した。
「この国の人たちが苦しむのは嫌。私にできることがあるというのなら、ウィデルの加護を取り戻したい。でも、ここで女王として生きるつもりはないの。私の居場所は、ここにはないと思ってる。ニルスとシェリに会いたい。2人と一緒に暮らせるなら、クラインに行くことも厭わない。・・・我儘すぎる?」
「いえ・・・。それでいいんです」
ラルフはふむ、とつぶやいて考え込んだ。
そして、ふと俯きがちになっていた頭を上げると、斜め上に向かってシェ・エル・リラ・ユンに問いかけた。
「春の女神。俺があなたと盟約を交わすことは、可能だろうか?」
(おいおい嘘だろう!)
その言葉を聞いた瞬間、運と勝負の神の、体の内のどこかにある何かがずくん、と痛んだ。
(俺の愛し子なのに)
別の神に話しかけている。
しかも。
(春と盟約を交わす、だと?)
受け入れられるはずがない。
怒り、悲しみ、混乱。いろんな感情が渦巻き過ぎて、叫び出したいような衝動に駆られる。
自分の感情なのか、「仕組まれた」感情なのかもわからない。
『理屈じゃないんだ』
ソラ・ティリオスの言葉がよみがえる。
まさにそれ。激情と、それに伴う苦痛に、運と勝負の神は必死に抗っていた。
(あいつ、これにずっと耐えてたんだな)
思いながら同時に、ふと気付く。
(俺の愛し子になった、ということか?)
ソラ・ティリオスが負っていた痛みを、自分が肩代わりしているのだとしたら。
今は互いに別の場所にいる。ソラ・ティリオスが自分と同じように苦しんでいるかどうかは、わからないが。
その間にも、会話は続く。
「可能か可能でないか、と問われれば、可能だが」
ラルフの問いに、シェ・エル・リラ・ユンは少し当惑気味に答えた。
そうか、とラルフはつぶやいた。
「もう1つ聞きたい。盟約を交わした後、加護を保ち続けるにはこの地にい続ける必要があるのかどうか」
「無論。盟約は加護の礎。盟約を護る者がこの地を離れれば、加護は停止する」
会話は続いているが、体を内から灼かれるような痛みに邪魔されて、よく話が入ってこない。
「離れたその間だけ、一時的に停止する、ということか。そうじゃなければ、神の加護を持つ国の王が国外に出られない、とは聞いたことがないもんな。理解した」
「・・・お前は、何をしようとしている?」
うんうんと1人で納得してうなずくラルフに、シェ・エル・リラ・ユンは訝しげに尋ねた。
彼女は知らない。自分以外の神の愛し子と話すことが、その相手の神に多大な苦痛を与えることを。
ソラ・ティリオスも、自分が痛みに捕らわれるまでは知らなかった。
そして今、それを伝えることはできない。
箱庭を通して会話は成立しているものの、シェ・エル・リラ・ユンと運と勝負の神は、神の庭の違う場所にいる。互いの姿を認識できる場所にはいないのだ。だからシェ・エル・リラ・ユンは、運と勝負の神の惨状に気付いていない。
かと言って、ソラ・ティリオスの生み出した愛し子の影響が運と勝負の神に反映されていることを、口で説明ができるわけがない。この一連は、他言禁止。
ラルフは真剣なまなざしで、斜め上を見上げた。
「エルシェリア王女が盟約を結んだら、神の愛し子だということが全世界的にばれてしまう。世界中から注目されるだろう。王女は書面上はもうクライン国籍だが、クラインへの移住も難しくなる。だから、俺が矢面に立つ。俺はもうすでに『英雄』として周知されている。呼び名がもう1つ加わったとして、セキュリティ的な意味で大きな影響はない。俺が、春の女神と盟約を交わしてウィデルの加護を回復させる」
「駄目だ・・」
激しい痛みの中、何とか絞り出した制止の声は、自分で思うよりもずっと弱く、掠れていた。
盟約を他の神と交わしてしまったら。
もうラルフは「俺の」愛し子ではなくなってしまう。
やっと、やっと「俺の」愛し子になったのに。
この時も、「名付けてもらえなくなる」かもという話はどこかに飛んでいた。ただただ、嫌だった。
「我も、簡単にはうなずけぬな」
それに、シェ・エル・リラ・ユンもかぶせる。
シェ・エル・リラ・ユンが難色を示すのは単に、自分が生み出したのではない神の愛し子と盟約を結ぶことに抵抗があるせいだろう。
運と勝負の神とてわかってはいる。ラルフは、自分たちの挑戦のことなど知らない。だから、考え得る最良の解答を導き出した。
ラルフとしては、「シェリルをエルシェリア化計画」のためには、『エルシェリア』を神の愛し子として表に出すわけにはいかない。だから、こんなことを言い出したのだと。
わかる。わかるが、でも。
「大前提で、私は礎とかそういう、『加護を持つ国の領土』というものの認識を誤っていたようなんだけど、ユン様。私がクラインに移住するのは、いいの?」
エルシェリアが斜め上を仰ぐ。
「加護に必要なのはあくまでも盟約。エルがこの地を離れることを望むのなら、止めることはせぬ。エルが他の神の加護ある土地に在れば力の介入はできなくなるが、そも我の力は人の子に直接の影響を与えるものではない。エルがどこへ行こうとも会話は可能ゆえ、今までとそう変わることもなかろう」
「会話はできるのね。よかった。私だってユン様とお話できなくなるのは嫌だもの。・・・じゃあ、私が盟約を結ばなくても、いい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
間が長い。少しずつ緊張感が漂い始める。
「いい、とは思わぬが・・・・。エルの願いに反して、加護の礎として縛り付けるようなことは我とて望むところではない」
シェ・エル・リラ・ユンは渋々といった様子を隠しもせずに言ったが、エルシェリアは素直に喜んだ。
「ありがとうユン様! 大好き」
この流れは、駄目だ。止めなければ。
思うが、感情が乱れてうまくまとまらない。
「でもハリントン卿」
エルシェリアは、今度は目線をラルフの方に向けた。
「あなたが盟約を交わしたら、クラインに戻れなくならない? それはいいの?」
ラルフは口角を上げた。
「どうぞ、ラルフとお呼びください。俺は春の女神と盟約を交わした後、ウィデル国民の適任者を選出して、管理者権限を移行することを考えています。盟約が加護の礎だと言うのなら、それを明け渡せば俺はその礎から解放されて、ウィデルにいる必要はなくなる。盟約を交わすのがエルシェリア王女なら次の管理者はその子孫、というのが常道でしょうが、春の女神も、盟約を交わすのが俺だったら、別にその後は子孫である必要もないんじゃないかと」
「まあ、ないな」
シェ・エル・リラ・ユンはあっさりと言い切った。
「盟約でその旨決めておれば、問題はなかろう。・・・先の愛し子とエルしか知らぬゆえ、愛し子が『こういうもの』だという基準は我にもないが、お前は毛色の違う愛し子だな。突拍子もないことを考える」
笑みを含んだシェ・エル・リラ・ユンの声に、ラルフは苦笑した。
「愛し子を自覚したのが最近なもので」
苦しい。ラルフが他の神と交わす和やかな会話を、見たくも聞きたくもないのに、でもそらすことはできない。
体の内を灼く痛み。消滅を覚悟するほどの。
「では、盟約を」
言いかけたラルフを、運と勝負の神はそれでも反射的に遮った。
「駄目だ・・・」
嫌だ、とはさすがに言えなかった。
「何か、問題があるのか?」
ラルフの曇りなき純粋な問いに、話しかけられた喜びと、答えられない辛さがないまぜになる。
「問題は・・・」
言い淀む運と勝負の神に、痺れを切らしたのはラルフではなくシェ・エル・リラ・ユンだった。
「我はエルの望みを叶えてやりたい。この地の加護も、戻してやりたい。それを阻むに足る正当な理由を言えぬのなら、我はこの愛し子の案に乗ろうと思うが」
「・・・・」
運と勝負の神は、答えなかった。答えられなかった。
他の神と盟約を交わすなんて嫌すぎる。などどは言えないし、そもそもこの挑戦は「他言無用」。
挑戦に失敗するから違う案に変えてくれ、とも言えない。それに、これ以上の案など浮かびもしない。
「・・・もういい。好きにしろ」
思わず吐き捨てた。詰みだ。この痛みから逃れられるならそれもいいか、とまでも考えてしまう。
「話にならぬな。よい。盟約を」
押し進めるシェ・エル・リラ・ユンに、提案したラルフの方が少し怖気づく。
「い、いいのか? 大丈夫なのか?」
「よい」
そして、盟約はラルフとシェ・エル・リラ・ユンの間で交わされた。
交わされた瞬間、運と勝負の神は苛まれていた痛みから解放された。つながっていた何かが引きちぎられたような、鋭い喪失感と共に。
ラルフは盟約を結んだことで、シェ・エル・リラ・ユンの愛し子になった。
本編「43. エルシェリア ②」の、「ありがとう。決めたわ」以降の裏エピソードになります




