#29
「一種の伝染病みたいなもの?」
紀子が突然、口を開いた。
「物知りガール、ザッツ・ライト!」
「さっき陶蝶先生が書いていた泥腐腕のこと、ちょっと話したよね?」
「ああ」
「泥腐腕っていうのは一種の伝染病みたいなもので、それに罹ると普通の人間だった者がだんだん魚みたいな蛙みたいな醜悪な生き物みたいに姿が変わってしまうんだって」
「その通りデース。インスマウス病気ネー」
「インスマウス! やっぱり? 私も、それと『同じ』なんじゃないかって思っていたんです!」
紀子が目を輝かせながらノートパソコンを取り出す。「待っててね」とか言いながらなにやら操作している様子。
っつーかそれ有名なんか? インスパイア? じゃなくてネズミ?
ここに来て、まさかの紀子とサワダの意気投合。お、俺にもわかるように説明してくれよ。なーんて、かっこ悪いから言わないけどさ。
やがて紀子は何かを見つけたららしく、読み上げはじめた。
「19世紀初頭、マサチューセッツ州の小さな港町インスマウスにおいて、大多数の住民が連行、収監、処刑され、町の一部が焼き払われたりした事件があったのね。建物の破壊にはダイナマイトまで使われたらしいの。あと、その沖の暗礁の向こう側に潜水艦が魚雷を発射したって噂まであって」
ちょ、ちょっと待てよ。連行や収監はともなく、処刑とかダイナマイトで破壊って。
見たことも聞いたこともない異国の小さな港町と、自分の故郷であるこの村とが重なり、胸が痛む。
しかもその魚雷を発射って……暗礁? この真魚島も似たような位置関係だし……。
「インスマウス病気、その後、軍部が研究していたネー。バット、非人道的で研究は廃止ネー」
「ぐ、軍部って……魚雷とかダイナマイトとか処刑とかって、ちょっとあまりにも」
「お兄ちゃん。その人たちが処刑された理由はね、怪しい邪教と結託して人類全てを滅ぼそうとするテロ行為を計画してたからっぽい!」
いや、テロ……テロだからって……ちょっと異様じゃないか?
「テロにしたって、やりすぎじゃ……」
「お兄ちゃん。サカナ人間が、町を歩いただけで、その町の人が全員サカナ人間になっちゃったらどうする?」
「え?」
「だから焼いた、みたい。陶蝶先生の書いていた泥腐腕にも、同じような被害と焼却との記述があったもの」
……いや、さ。病気だからって焼くって? ……え、まさか。
「軍部がからんでいたってことは細菌兵器とかか? エイズやエボラ出血熱もアメリカが開発した細菌兵器って噂あるよな」
と、口に出してすぐサワダを見る。そうだ、こいつアメリカ人だっけ。
「哀しいコトーニー。その噂知ってますネー。バット、インスマウス病気、アメリカは作ってないデース」
「ね、お兄ちゃん、これちょっと読んで」
紀子に袖を引っ張られ、ノートパソコンの画面に映し出されているテキストを黙読する。
謎の暗黒教団とその儀式。彼らが信奉する、海の奥底に眠る異形の神。その力をわずかに引いた眷族たる「DEEP ONE」。
……ディープ・ワン……あのサカナ人間が?
じゃあ、タモっちゃんも? でも……
紀子が画面を切り替えて別のテキストを表示する。
……一見して人間、いや巨大な両生類のようにも見え、皮膚は鮫肌で吹き出物だらけ。首の両側にしわだらけでくびれているが、そこには鰓がある。その頭部はサカナを思わせる。頭が禿げ、妙に額が狭くて鼻が平べったくなり、眼はふくらんで開きっぱなしに。若い頃はちゃんと人間の姿をしているが、歳を経るにつれその顔は先述の魚顔「インスマウス面」へと次第に変容し、やがては完全な化け物の姿……魚人間へと変化してゆく。ひどい猫背となり、よたよたと引きずるように跳ねるように歩くが、海に入れば本物の魚のように上手に泳いでゆく。
あれは伝染病なんかではない。悪魔の邪教の奉ずる神ダゴンの僕。死を恐れぬ強靭な魔物と人間との忌まわしき混血の種族。
ディープ・ワンの特徴が書かれているのか?
一瞬、小説かなにかの設定を読んでいるのかと錯覚する。でもこれ実際にあった事件なんだよな?
「ね、サワダさん。軍の計画って……兵器とか仮面ライダーとか、総合するとサカナ人間みたいな兵士を作ろうって感じ?」
「オー! ピンポンネー!」
……って、ちょっと待てよ。うちのあの工場が、その兵士を作る工場ってことか?
その時、不意に思い出してしまった。
「……俺、見たかもしんない……工場で見たんだよ!」




