#24
手を伸ばして引き寄せる。やっぱり……見たことがある。
『おどうぐばこ みなせさゆり』
静かに箱を開ける。闇の中にカビと埃の匂いが少し濃くなる。
中には……ビニール袋と小さな鍵。
ライトの光の中にぼんやりと浮かぶタイトルは……日記帳……さゆりちゃんのヒミツの日記だ。
鍵をキーホルダーに取り付けると、日記帳を抱えて押し入れから降りる。落とさないようビニール袋のままシャツとズボンの間に挟みこむ。
板を元通りに直して床へ降りると、紀子は机の上の写真を眺めていた。
「この写真、私と同じ歳くらいでしょ? 綺麗な人ね。さゆりさんって」
「まぁね」
「お兄ちゃんのこと褒めたわけじゃないのに」
「……」
そ、そうだけどさ。
でも紀子の目は、いつもよりは優しい。
「形見分け、いいの?」
「ああ。もらったよ」
シャツのボタンをちょっと外す。
「きゃ……ちょ、ちょっと……見せなくてもいいわよ」
開けかけたジーンズのジッパーを再び閉じる。紀子にちょっとだけ笑顔が戻った。
再び音の鳴る廊下を通り、居間へと戻る。
時間を見ると、夜の10時をまわったあたり。マリ子さんに頭を下げて俺たちは出発することにした。
「もう行きます」
「気をつけてね。きっと逃げてね。生き延びてね……小百合の分まで」
「……マリ子さん、ありがとうございました」
それ以上は何も言葉を交わさずに、20年ぶりくらいのさゆりちゃんの家を出た。
「よかったの?」
「マリ子さんを連れていかなくてってことか?」
「あの人を一人くらいなら、パパかママのとこで働き口探せ」
「紀子」
「はい」
「マリ子さんの目はそういうことじゃなかった。本当に移る気ならいつだって移れるはず。理由があるんだ。そしてその理由は俺たちに語らなかった。だとしたら……俺たちが口を出すわけにはいかない」
紀子はうつむいて、そして俺の手を握った。
「お兄ちゃんも、ここに住みたいの?」
「俺は『池袋鮫』だぜ。都会以外では水が合わねぇよ……ってことで帰るぞ」
「ね」
紀子の足が止まる。
「なんだ? 都市伝説の謎は解いたろ? まだ何を」
「お兄ちゃんは、この村に居たんだね」
「そ、そうだけど……昔、だぞ」
「でもまだ大切な人、居るんでしょ?」
紀子は俺の腹をぽんと叩く。さゆりちゃんの日記が、そこにはある。
「夜明けまでまだ時間があるじゃない。ひょっとしたら出来ること、まだあるかもしれないじゃない」
「サカナ人間が出るって聞いただろ? 俺には紀子を守る仕事がある」
紀子は俺をじっと見つめる。
「ここに心を置いてゆくの? そんな中途半端な状態で、私のこと本当に守りきれるの?」
……。
言葉がうまく出てこなかった。
女ってやつは、年齢なんぞ関係なく怖いことを言う。
「日記、さゆりちゃんとこで読んでくればよかったな」
「……車に戻ってもいいよ?」
「そうだな。読んでいる時の無防備さ考えるとな。日記の内容のヤバさ次第ではすぐ逃げられるし」
「お兄ちゃん」
「なんだい?」
「泣きたくなったら泣いていいんだよ。一緒に泣いてあげる。」
……なんでこう女ってやつは。
『ね、よーすけくん。わたしが泣きたいときはそばにいてね。かわりによーすけくんが泣きたいときはわたしがそばにいてあげる。いっしょに泣いたら、かなしいのはんぶんへるもんね』
……さゆりちゃん。
「紀子、とりあえず車へ急いで戻ろう」
「はい!」
村の中を歩くにつれて土地勘がだいぶ戻ってきた。
この村の海側は小さな港になっている。三本杉のある高台から斜面上に点在する村の家々を見下ろすように道は伸び、その先は湾の端へ突き出た岬へと至る。
工場も研究所もそこにあった。
岬は海に接する三方を切り立った崖に囲まれ、天然の要塞のようにも見える。
家や廃屋の影に隠れつつ村を通り抜けながら、遠くに見える研究所や工場を時折見上げては何も動きがないことを確認する。
どうしても、あそこから見られているような気がしてやまない。
早くなってゆく鼓動を無理やり押さえつけて、また進む。
薄っぺらい月の夜という暗さ。サカナ人間にはまだ出会っていない。それでも、心の平静をかき乱すには十分すぎるほどの存在感だった。
突如、紀子が俺の手をつかんだまま踏ん張った。
「ね、あそこに何か見えるよ」




