第一章Episode5「五英傑の一人」
「セリシア・ウィステリア」
その名が落ちた瞬間、村全体が沈み込むような静寂に包まれた。
風は止み、焚き火の爆ぜる音さえも、彼女の存在感の前では息を潜める。俺の心臓だけが、警鐘を鳴らすように肋骨を内側から叩いていた。
視線の先には、世界から切り離されたように静謐な彼女がいた。
エメラルドグリーンの髪がふわりと揺れる。ただそれだけで、空間そのものが彼女にかしずいているかのような錯覚を覚える。
屈強なわけでも、威圧的でもない。だというのに、周囲をひれ伏させる絶対的な「圧」がそこにはあった。
「セリシアさん、戻りました。そして、この人は――アスさんです」
ユノアの声に、セリシアがゆっくりとこちらへ視線を向ける。
底の知れない瞳と目が合った瞬間、背筋に悪寒が走った。恐怖ではない。生物としての格の違いを見せつけられたような、逃れられない感覚。
「……はじめまして、アス君」
彼女の声は、どこまでも澄んでいた。
触れれば崩れそうな硝子細工のような繊細さと、深海に沈んでいくような冷たさ。相反する響きが胸を締めつける。
彼女は音もなく近づき、俺の魂の底まで見透かすような視線を向けた。
「ユノアが君を連れてきた理由……わかる気がする。君の中にある、古くて懐かしい“ひずみ”」
その言葉を聞いた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような痛みが走った。
思わず胸を押さえる俺を見て、彼女は確信したように続ける。
「記憶が欠けているのかな? 欠落は魔力の軌道に歪みとして残るんだよ。そして――君からは『深冥の蹂躙者』の残滓が漂っているような…」
場が凍りついた。
人類の敵である者の気配。だが彼女は、それを「敵意」ではなく「守護」だと断言した。さらにそれが『五英傑級』の魔力によるものだとも。
理解を超える事実に思考が追いつかない。
だが、セリシアのあたたかい手が腕に触れた瞬間、直感が告げた。
自分は、自分が思うような人ではないのだと。
「アス君。君は自分で思っているよりずっと、“危険な存在”かも…しれない」
揺るぎない彼女の言葉とともに、俺の中で何かが目覚めようとしていた。
それは、決して避けることのできない運命の始まりだった。
次回Episode6「終わりの始まり」




