第一章 Episode1『沈んだ記憶』
俺は、どこにいるんだろう………。
足は疲れ切り、体はボロボロだ。
泥とほこりにまみれたローブを身にまとい、黒い髪を風になびかせる。
目の前の景色は、ただ延々と続く森と荒野、見知らぬ街道の重なり。
世界は広く、無情に冷たかった。
「俺は……一体、何者なんだろう……」
けど、名前だけは覚えていた。
それ以外のこと――過去の出来事、家族、自身の能力のことすら霧のように消え去っていた。
「……俺は、アス……だったはずだ」
声に出して名前を呼ぶ。それだけが、自分の存在を証明するものだった。
しかし、それ以上は何も思い出せなかった。
自分が何者で、何ができるのか――答えを探して、俺はこの世界を彷徨う《さまよう》しかなかった。
この魔法と魔術が発達したこの世界の中心に君臨するのは、王都レガリア王国。
天空に突き刺す城塞の尖塔は、王国の威厳と権力を象徴する。
広大な王都は、軍事、魔法、経済、宗教――あらゆる権力の中心として機能し、この地に生きるものすべて者を支配している。
しかし、王都レガリア王国は孤立しているわけではない。
その周囲には、五つの国々がそれぞれの領土を抱き、王都の中心に世界の均衡を保っている。
――そんな中、俺は五つの国のひとつ、ノクティス王国の外れにある深い森の中にいた。
「だ、だいぶ暗くなってきたな……」
疲れた足を引きずりながら呟く。寝泊まりする金ももう底をつきかけている。
持っていたバッグの中のわずかなお金は、ここまででほとんど使い果たしてしまった。
野宿するしかない――そう思う。だが、この森では安心して眠ることなどできない。
夜は魔獣がうろつく。うかつに寝れば、命を奪われるのは時間の問題だ。
――魔獣とは、この世界に存在する敵対生物の総称。
その強さは、周囲に漂う《ただよう》魔力の密度でおおよそ把握できる。
どんな魔獣も魔力を宿しており《やどして》、油断すれば一瞬で命を奪われる危険がある。
「ノクティス王国の夜は危険って聞いたからな…」
辺りを見回すと、森の木々は深く、黒い影が蠢いて《うごてめいて》いる。
風の音、遠くの枝が折れる音――すべてが敵意に満ちているように感じられた。
俺は慎重に体を伏せ、魔力の感覚を研ぎ澄ます。
「……ここで一晩やり過ごせればいいが……」
不安と緊張が入り混じる中、俺は夜の森を歩き続けた。
踏み込むごとに枝が軋み《きしみ》、土が崩れる。
それでも、歩みを止めるわけにはいかない。
暗闇の奥から、何かがこちらを見つめている気配――
森の底から、低く、重く、うねるような魔力が漂ってきた。
「……やっぱり、ここは甘くないか……」
その時、森の闇に、かすかに光る瞳が見えた――魔獣か、それとも……。
第一章「始まりの邂逅」《かいこう》
次回Episode2「運命の交錯」明日投稿予定




