54.
エイヴリルは夫の肩ごしに事態を見守るばかりだ。そのうちに、廊下の反対側から警察の増員が走り寄ってくる。
「お前たち、何をしている⁉︎」
あっという間に捜査官たちが彼らを取り押さえ、キトリーが持っているナイフと従者の青年が持っている刃物は迅速に回収された。
わずか数分で制圧されてしまったキトリーは放心状態だ。
「待ってどうして……どうしてこんなに人がいるの。私はただ……大切なフェルナン様を奪おうとしたこの方とお話がしたかっただけなのに」
事態を把握し、ガクガクと震え始めたキトリーに、フェルナンがため息をついた。
「もう演技はやめませんか? 私の目の前で彼女を刺そうとしたんだ。君のお父上がどんなに手を回してももう無理だ。そしてこの状況を見たら、さすがにどちらの味方をするべきか迷っていたブランドナー侯爵家も態度を決める。君はもう終わりだよ」
「フェルナン様、何をおっしゃっているの? 全然意味がわからな……」
婚約者の言葉に応じず、ひたすら震え続けるだけのキトリーに、フェルナンは呆れたように言葉を遮った。
「これまでのことも全部知ってるんだ。私の恋人が乗っている馬車を君が襲わせたことも、恋人の父親が失脚するように仕向けたことも、他のことも全部知ってる。もういい加減にしてほしい」
「何を? 私はそんなこと知りませんわ……!」
目を潤ませるキトリーだったが、蒼い顔をしたボードレール侯と捜査官が目の前にやってくると表情が変わる。
「キトリー。もういい」
「……お父様」
その瞬間、流れていた涙は止まり、可憐で儚げな表情は消え失せた。それは、社交界での彼女からは想像もつかないほどの、温度のない冷酷な表情だった。
キトリーはそのまま一言も弁解することはなく、無言で捜査官に連行されていく。それを見つめる侯爵夫人の悲鳴に近い泣き声が廊下に響いた。
「キトリー……本当にどうしてこんなことを……!」
けれど、夫人に同情する気にはなれない。
(先程、キトリーさんが出て行こうとしたときに、あちらの従者を指名されていた時点で、侯爵夫人には何が起きるのかわかっていたはずです。それなのに止めなかった。ボードレール侯爵家は、キトリーさんの行動を薄々知っていた上で自由にさせていたということですから)
そんなことを考えていると、自分の後ろにエイヴリルを守っていたディランが振り返り、妻の無事を確認して息を吐く。
「エイヴリル、大丈夫か?」
「はい、私はなんともありません」
ウィッグと分厚い眼鏡を外しつつ答えると、ディランは少し安堵したようだった。それから、一部始終を目撃したであろうクリスに問いかける。
「クリス、何があった?」
「私が来たときには、キトリー嬢のお付きの青年がコリンナ……いえ、偽のエイヴリル様に斬りかかろうとしているところでした。さすがにまずいので止めたところ、今度はキトリー嬢が自分でナイフを取り出し、斬りかかる事態に」
「なるほど。もしかして、あれに入れて運ぶつもりだったのか。準備がいいな」
「……!」
ディランが険しい顔で見つめる先には、人が入りそうな大きさの木箱があった。
鉄製の台車に乗っていて、用意周到である。この後、中身を入れたら速やかにどこかへ運ぶ予定だったことが見てわかる。
前回は眠り薬で眠らせての犯行だったのに、今度は刃物が使われたことが恐ろしい。けれど、その囮となったはずの義妹はフェルナンに気遣われて満足げにしていた。
あまりにもいつも通りの様子だったので、エイヴリルはあわあわと声をかける。
「コリンナ、怪我はないでしょうか?」
「ふん。これぐらいなんてことないわよ。どうせフェルナン様が助けに来てくださるってわかってたし? ね?」
コリンナはそのままきゅるるんとした瞳でフェルナンを見上げた。明らかにフェルナンは困惑しているし、自分とよく似た顔と格好でその表情をするのは恥ずかしいのでやめてほしい。
咳払いをしたフェルナンは、婚約者の逮捕に混乱しつつも、自分に言い聞かせるように呟く。
「これで、キトリーは現行犯逮捕か。絶対に言い逃れできない、これ以上ない好条件だ。これでよかったのか……いや、よかったんだろうな、ここまで長かった」
あらゆることに場馴れしているはずのフェルナンが、ここまで取り乱しているのが印象的だ。それだけで、キトリーの余罪や恐ろしさが伝わってくる。
そして、よくコリンナはこの状況で自ら進んで囮になってくれたものだ、と感謝する。
(大変な事件でしたが、やっと終わりましたね)
エイヴリル以上に疲労を感じさせるディランの声が廊下に響いた。
「毒をもって毒を制す、か。随分乱暴だったけどな……」
「ですね……」
こうして、ランチェスター公爵夫人の誘拐事件は幕を閉じたのだった。





