45.
何かいつもと違う事が起きれば、その余波はあっという間に広がる。
修道院ボランティアによる生活必需品の支給や格安販売の知らせは、エイヴリルが大法螺をふいた相手に、想像以上の速さで届いたらしかった。
その日の夕方、店の営業が始まると同時に、客の来店を知らせる鐘の音が鳴り響く。
当然、エイヴリルもある程度影響が出ることを予測して今回の案を実行したのだが、あまりにも早いその人物の訪問に、エイヴリルは目を瞬いた。
「コンスタン・シュクレール様。お久しぶり……四日ぶりでしょうか? 次の日にはコリンナに会いに来てくださると思ったのに、全くいらっしゃらないので心配しましたわ」
「派手で計算高い女に引っかかって、この街に入るのが怖くなったんだよ」
コンスタンは苦笑しつつ冗談を飛ばしているが、今日の彼はなぜか目が笑っていなかった。この前会った時は、最初こそギラギラした雰囲気で近寄りがたかったものの、最終的には話しやすい人物だと思えた。
彼がこの店から手をひくメリットを提示できれば、エイヴリルの案に乗ってくれると約束を取り付けるところまで話をつけたはずだったのだが、今日の彼はどこかおかしい。
(何かあったのでしょうか?)
違和感はすぐに緊張に変わった。
「至急、店主に取り次いでくれるかな。今日は客としてではなく、仕事の話をしに来た」
コンスタンはすぐに華やかなサロンの裏にある、店主専用の部屋に案内された。
なぜか同席してくれと言われたため、エイヴリルも一緒に部屋へと入ることになってしまったのだが、その理由に心当たりがない。これまでに入ったことがない殺風景な部屋を見回して、エイヴリルは姿勢を正すばかりだ。
(さっき、私に同席を求めたコンスタン様の言葉には有無を言わせない強さがありました。これから何が始まるのでしょう)
そうしているうちに、彼の訪問を聞いたロラが慌ただしく部屋に駆け込んでくる。
「これはこれは、シュクレール商会の商会主様。お待たせをしまして、はい」
突然、豪商シュクレール商会の主が客としてではなく商会主として訪問してきたことに、ロラは大層驚いているようだ。
(これだけの大商会ですもの。経営者が直接話しに来るなんて、ありえないことですものね……)
四日前、彼がコリンナの客として訪問したとき、ロラは彼を『ただの大金持ちの客』としてしか扱っていなかった。これは、身元を明かさないことが恒常化している娼館街のマナーのようなものだ。でなければ、客足は遠のいてしまう。
けれど今日は別。ロラにも緊張が感じられる。
「それで、今日はどのようなご用件で……?」
応接セットの前に立ったまま、猫撫で声で揉み手をするロラの様子からは、いつもの厳しい守銭奴の空気は全く感じられない。この二者の関係をそのまま表しているようだ。
コンスタンはロラに着席を促すことすらせず、高圧的に話し始めた。先日の遊び好きな客としての顔ではなく、辣腕な商会主としての顔なのだとすぐに伝わる。
「今日私がわざわざ直々に来たのは、この店との取引を見直すためだ」
「取引の見直し……⁉︎ いやその、この前の注文は少しばかり少なかったですが、来週は必ずいつも通り注文させますから」
焦った様子のロラに、コンスタンは興味がなさそうに言い放つ。
「そういえばそんな話も聞いたが、今は関係ない。うちにとって、こことの取引は金額だけを見ると微々たるものだからな」
「ではなぜ……いや、それで、どんな方向に見直しを?」
応じるロラの額には汗がにじんでいる。けれど、コンスタンは驚くほど平坦な声でロラに告げるのだった。
「今後、この店との取引は打ち切ることにした。これがその解除通告書だ」
「は……⁉︎」
ロラの素っ頓狂の悲鳴とともに、コンスタンは応接テーブルの上にひらりと二枚の書類を置いた。一方のロラは目を見開いて固まり、何を言われているのか全くわからないという表情をしている。
エイヴリルは二枚の書類にさりげなく目を通す。
(一枚は契約書で、もう一枚は契約解除に関する通告書ですね)
契約書には、ベル・アムールに対しシュクレール商会は品物を市場価格の四倍で販売し、差額をベル・アムールとシュクレール商会、八対二で分配すると書いてあった。
一方の解除通告書にはこれまでの契約をすべて破棄し、関係する書類はすべて処分するという内容が書かれている。まるで関わりを跡形もなく消し去りたいとでもいうような文言に、エイヴリルは思わず目を瞬く。
(確かにこれは私が望んでいたことですし、先日はコンスタン様に直接お願いもしました。ですがどうしてこんなに急に……)
何よりも、あの時点ではコンスタンからは裏社会とのしがらみを示唆された上で、明確に拒絶されたはずだった。その事情からも、事態はそう簡単に変えることはできないと理解していたのだ。
それなのになぜ、と困惑するエイヴリルに対し、隣に座るコンスタンは意味深な笑みを向けてくる。
「この十一区で暮らす君は知らないかもしれないが、今、王都の貴族の間でちょっとした事件が起きているらしいな」
低くゆっくりとした言葉の響きで、会話の向きが変わった。彼は楽しむようようでいて、低く落ち着いた声音で続ける。
「王宮で行われた国王夫妻が主催するお茶会の最中に、ランチェスター公爵夫人が攫われて行方不明らしい。公爵が必死になって探しているが、まだ夫人は戻っていないのだとか。だが、あのなりふり構わない捜索方法で見つからないんなら、行先は一つ。ここだ」
「――!」





