44.
ベル・アムールに異変が起きたのは、修道院のボランティアが店を訪れた三日後のことだった。
「今回の注文はこれだけかい?」
一階の第一サロンで、娼婦たちから週に一度の生活必需品の定期注文を取りまとめたロラが、怪訝そうに眉を顰める。
そこに書いてあったのは、化粧品数点だけ。どれも修道院ボランティアの仲立ちでは手に入らない品ばかりだった。当然といえば当然である。
(必要なものは修道院経由で格安で手に入るようになりました。最終的には、ベル・アムール経由でしか手に入らない新品のドレスや化粧品までも市価と揃えることが目標ですが……。今のところ、狙い通りです)
開店に向け支度をしていたエイヴリルとフレイヤは、ほかの皆と目配せをしあう。それから、代表してフレイヤが封筒を取り出した。手紙と見間違いそうな大きさをした、何の変哲もない普通の封筒だった。
「ロラさん、こちらを」
「何だね?」
怪訝そうなロラに、フレイヤは上品に微笑んで見せる。
「今月分の家賃と借金の返済ですわ」
「これは……いつもより多いんじゃないかい」
明らかに驚いているロラに対し、フレイヤに続けとばかりに、ほかの女性たちも抱えていた包みや封筒から紙幣を取り出す。
「ロラさん、あたしも」
「今月は出費が少なかったもの。浮いた分を全額返済に回せるわ」
「借金が膨れ上がるのは『利息』ってののせいだってあの子が言ってたしね。それなら、前倒しで返して行かないと。私も多めに返すわ」
次々にそれぞれの借金がテーブルの上に置かれていく。それを黒服の男性従業員たちが回収しに来たが、ロラはあわてて彼らを制止した。
「ちょ、ちょっとまっとくれ。こんなの承知していないよ。どういうことだい⁉︎ ……エイヴリル! お前だね、余計な入れ知恵をしたのは」
「いえ、入れ知恵だなんて。ただ、借金は早めに返すのが身のためだとお話ししただけですわ」
「それが余計なことだって言うんだよ!」
エイヴリルが落ち着いて説明すれば、ロラは声を荒げた。けれど、数人の女性がそれに続く。
「ベル・アムールとの契約書をこの子に読んでもらったら、随分こちらに不利なことが書いてあるみたいじゃないの! ロラさん、ちょっとひどいんじゃない?」
「私たちの中には文字を読めない人がいるからって、結構好き放題だったのね? 私たちの稼ぎがなければこの店も立ち行かなくなるっていうのにさぁ」
普段、女性たちはロラからの報復を怖がって、意見することはあまりない。けれど、今日は五十人以上がここに集まっていて、意見を一つにしていた。
黒服の男性従業員もいるが、それを踏まえても明らかに数的に優位だ。普段は聞かれないような不満が噴出して、サロンは一気に不穏な空気になっていく。
けれど、ロラが動じることはない。
「……ふん、生意気だね。いくら、たった一度の借金返済がスムーズだったとはいえ、次回はそうはいかないよ。いいのかね、そんなことを言って」
偉そうに腕組みをして言い放てば、女性たちが束になって抵抗する。
「あたしたちの借金のほとんどは家賃と買い物の代金が膨れ上がったせいだよ!」
「そうよ! そのせいでこの街に閉じ込められて出られない」
「病気になって医者を呼ぶのに高額を請求するのもどういうこと? それですら数倍の値段を取ってるっていうじゃないか」
口々に告げられる不満に、ロラは鋭い目つきで凄む。
「お前たち、本当にそんなこと言っていいと思ってるのかね? 文句を言っているのは、ろくに客もつかないやつばかりじゃないか。借金ごとうちを追い出したっていいんだよ?」
「!」
その言葉には、数的優位を生かして共闘する女性たちもさすがに怯んだようだった。なぜなら、この店の労働条件がほかの店に比べて圧倒的にまともだということを皆知っているからである。
もちろん、常識に照らすと本来はまともとは言えないのだが、それほど他の店がひどすぎる。
(こういったところも、皆が労働環境の改善を申し入れにくい状況を作り出しているのでしょう。娼館同士、横のつながりで女性たちを囲い込んでいるのですね……)
そんなことを考えていると、営業前の店の扉が急に扉が開いた。一人の中年女性がひどく焦った様子で駆け込んでくる。
「ロラ! 一体どうなってるんだい? 今日急に修道院のボランティアがやってきて、店の子たちに生活必需品やドレスを配って帰って行ったんだが」
それは、ベル・アムールの隣の区画の娼館を経営する女性だった。ロラとは経営者同士うまくやっているようで、時折こちらに顔を出しているのを見たことがある。
彼女はベル・アムールのサロンが異様な雰囲気に包まれているのも気付かないようで、慌てたまま続けた。
「しかもあいつら、毎週来るっていうじゃないか。一回や二回ならまだしも、そんなに来られたら貴重な収入源がなくなるし女どもを囲い込むのも難しくなる」
「ちょ、ちょっと」
ロラは慌てて彼女の口を押さえ、話すのを止めようとした。けれどすぐに扉が開いてまた別の中年女性が駆け込んできた。
「今、修道院のボランティアがうちの店に来たんだよ! 無料で下着や石鹸を配ってる! いつもは高額で買わせているドレスも格安だと! これはベル・アムールから始まった活動だというじゃないか。説明しとくれ! 神に背くことになるから追い返すわけにもいかないし」
(これは……!)
三日前にベル・アムールを訪れた修道院ボランティアが、ほかの店にも訪問するようになったのだろう。期待した通りの動きが想定よりずっと早く広まっていることに、エイヴリルは驚いた。
(ディラン様が直接働きかけてくださったからですね! 裏社会との関係もあり、娼館で働く女性たちに直接支援することは難しいですが、仲介となる修道院へならいくらでも支援できます。この動きはさらに広く浸透していくのではないでしょうか)
まだ営業開始前だというのに、ベル・アムールのサロンは騒然としている。金切り声で騒ぎ立てるロラをはじめとした娼館主たちをじっと眺めていたフレイヤは、エイヴリルにそっと囁く。
「これで狙い通りなのかしら?」
「はい。今日のところはこれで十分です」
エイヴリルは微笑んで頷くのだった。
(今すぐに劇的な変化をもたらすことは難しいかもしれません。ですが、これが将来、十一区が変化していくきっかけの一つになると信じたいです)
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