34.
「君の勇気に感動したよ。いいさ。手持ちの現金を全部やろう」
「⁉︎ いえ、本当にそういうことではないんです⁉︎」
否定すればするほどコンスタンの誤解は深まっていくようだった。
さっきまで絶対に無理だと思われていた『財布を空っぽにする』という目標は思いがけない形で達成できそうだが、今のエイヴリルはコリンナの代理なのだ。
彼女になりすまして、客を奪うことなど望んでいない。
(このままでは、次にこの方とコリンナがお会いした時、話が噛み合わなくなってしまいます……!)
しかし、彼は引き下がる様子がなかった。大変厚みのある札束をエイヴリルに押し付け、頷く。
「ここが十回通わないといけない店ということは、噂で知っているよ。だから、この金で十回通った分にするなんてケチなことは言わない。ちゃんとあと九回通うから安心してくれ」
「ありがとうございます⁉︎ ですが……」
(困ったことになりました……と思いましたが、この方は私とコリンナが同一人物だと信じていらっしゃるようです。ということは、まだ作戦は続行可能なのでは)
そう思ったエイヴリルは、試しに聞いてみることにする。
「その、このお金をいただくよりも、お願いしたいことがございまして」
「何でも言ってみなさい」
「病で臥せっている友人がおります。彼女のためにお医者様を手配いただけないでしょうか?」
そう口にすると、コンスタンは目を丸くした。
「……そんなことでいいのか?」
「そんなこととおっしゃいますが、私たちには大きなことなのです。ロラさんを経由してお願いすると、法外な治療費を請求されるということですから」
「あー……そういうことかー……」
初めはぽかんとしていたコンスタンだったが、エイヴリルの言葉を聞いてこめかみを人差し指で押さえた。そして唸った後、上目遣いの視線を送ってくる。
「……このお金を使って、君が自分で依頼するんじゃだめ?」
「だめです」
「どうして?」
「私は、店主であるロラさんを通さずに依頼したという実績が欲しいのです。そうすれば、次回以降もお願いできますから」
「そっかー……そうだよなー」
コンスタンはそう言うと黙ってしまった。言葉は軽いものの、真剣な表情だ。
しばらく思考した後で、彼は顔を上げる。意外なことに、さっきまでの掴みどころのない遊び人の顔はしていなかった。新聞に載っていたのと同じ、辣腕経営者の表情だ。
「さっき、君はここに納品されている品の質について聞いてきただろう?」
「はい」
エイヴリルが頷くと、彼は低く落ち着いた声で続けた。
「あんなことを聞いてきたのは、この街で君が初めてじゃないかな。外の世界を知らないと、疑問に自信を持てないし交渉もできない。身の回りの品はともかくとして、ドレスや靴やジュエリー、高価な化粧品なんかは、外の世界で触れていないとわからないものだからね」
「ここで働く女性は皆、訳ありですから」
にっこり笑って見せると、コンスタンはふっと笑みを漏らした。
「たとえ理不尽な仕組みに気がついても、何も言わない方がいい。それが、この街で生き抜こうという女性における『賢い』の意味だ」
それは、わかりやすい牽制だった。面倒ごとには関わらないのが自分の身のためだ。そう言われていると思えば、緊張感に包まれる。
けれど、エイヴリルもここで引き下がるわけにはいかない。
「ここで働く女性は皆、生活必需品の購入を娼館経由に頼っています。ですが、その金額は市価の数倍、ドレスなどは一着買うだけで一ヶ月のお給金が消えてしまうこともあるようですね」
「それは仕方がないんじゃないかな? この街はそういうふうにできているからね」
「どうしてそう言い切れるのでしょう」
引き下がらずに問い掛ければ、コンスタンの表情はさらに大商会の経営者の顔へ戻っていく。
「この街を支えているのは裏社会だ。つまり、国や法律の手が及ばない組織によって成り立っている。表向きはきちんと法に守られているように見えても、実情は違う。だから、そうあり続けるものなんだ。それで得をする人間がいるからね」
濁した言葉だが、コンスタンが何を言いたいのかはよくわかった。
(シュクレール商会にとって、ベル・アムールでの売り上げは全体のほんのわずか、本当に微々たるものなのでしょう。それでもこんなふうに言い切るのは、利益だけの問題ではない……)
彼らが足並みを揃えてこの制度を保っているのは、裏社会との昏い繋がりが原因なのだろう。
裏社会との摩擦を背負うことになっても仕方がないと思えるほどのメリットがなければ、彼がエイヴリルの提案に耳を貸してくれることはなさそうだった。
けれど、ロラがこちらを見ていないのを確認した上で、彼に向き合う。
「コンスタン・シュクレール様。私はこの街を変えたいと思っています。その一歩が、ベル・アムールで働く人々が適正価格で生活必需品を購入できるようになることではと」
「……まぁ、そうだねぇ」
「そのためにはシュクレール商会の協力が必要なんです」
強い口調で続けると、コンスタンは嘲笑することも怒ることもなく、穏やかに笑った。
「そうか」
その姿は、余裕を漂わせているという言葉では表現しきれないほどに、悠然としている。それを見て、エイヴリルは思うのだ。
(この方は政財界にまで名前が知られ、顔が利く豪商です。普通、そういった方々というのは同時に爵位も持っているものですが……。裏社会との繋がりを選んだ彼は、爵位を手にすることができないのかもしれませんね)
この国には男爵位を金で買う制度が存在し、ある程度財産を成したものであれば一代限りの男爵位を買い、貴族になることができる。人脈を築ければそこからさらに成り上がっていくことだって可能だ。
(そうしていないのは、きっと彼はそれだけ裏社会との繋がりが深いということ)
以前、エイヴリルは豪華客船に乗って人身売買事件に巻き込まれたことがあった。あの事件も元を辿れば裏社会と繋がっている。そして関わった人間は皆厳しく処分された。
(この方が余裕を見せているのは、私には何もできないと確信しているからですね)
確かに、派手なものと遊びが好きな貴族サロンに出入りする『コリンナ』なら難しいだろう。けれど、ランチェスター公爵夫人としてならどうだろうか。
エイヴリルは目の前の男から視線を逸らす。
(公爵家の名を使うのはできることなら避けたいところです。ディラン様に居所をお知らせできたとはいえ、身の安全に関わりますから。ですが、ここは使い所ではと)
すると、ロラの動向を探りつつ自分の後ろ盾を明かすタイミングを考えるエイヴリルに、コンスタンが意外なことを言い出すのだった。





