32.
コリンナは単純にお金の話を聞きたかった、もしくは彼がどれぐらい裕福なのか知りたくて振った話題のはずだ。
けれど彼は金を動かす話をしたのだろう。
全然会話が噛み合っていなかったはずなのに、それでも彼からの興味を充分に引いたコリンナはやっぱり凄すぎる。心の中で賛美を送りつつ、エイヴリルは頷いた。
「そうでしたわね。事業のお話です」
「私との会話などその程度ということか。君はなかなか手が届かない女のようだ」
言葉自体は責めるようだが、微笑みはことのほか優しい。彼に聡明な女性との出会いがないとは思えないので、恐らくもともとコリンナのような女性が好みなのだろう。
先の「君みたいに蝶のような女性と遊んでいると気が紛れる」発言も踏まえると、普段は相当なストレスを抱えていそうなのも伝わってくる。
きっと、ここでは日常を忘れてパーッと遊びたいのだろう。その意味で、多少わがままなものの派手好きであっけらかんとしたコリンナは、彼にとって最高の遊び相手なのかもしれないと思えた。
(もしかして、私がコリンナである限り、このコンスタンさんはお話を聞いてくださるのではないでしょうか。なんだか、余裕が出てきたような気がします!)
となると、心置きなく目的を話題にできる気がした。
今、エイヴリルの頭の中にはルイーズのことが浮かんでいた。いろいろ考えた結果、この十一区で働く女性たちの暮らしを変えるには、生活必需品を市価の三〜四倍でないと購入できない現状を改めることが第一歩のような気がする。
しかし、少し考えただけでもそれが容易ではないというのはわかる。過去にこのことに気が付かなかった人がいないはずがない。それなのにこの制度が残っているのは、制度自体が町の歴史や社会の仕組みと深く絡み合い、根付いてしまっているという証明に違いないからだ。
(少し考えただけでも、果てしない道のりです。しかしこの方は、ベル・アムールへ出入りする商会の経営者というだけでなく、政財界にも大きな影響を持っているお方です。何とかしてこちら側に引き入れたいところです……!)
そんなことを真剣に考えていると、黒服の従業員がグラスを二つ、シャンパンのボトルを運んできた。ボトルはシャトー・オルフェウスのヴィンテージ。この前、エイヴリルが闇貿易商の客の財布を空にするため、苦肉の策で頼んだのと全く同じものだ。
この店で最も高い酒を、誰にもアピールすることなく注文していた彼の財布を空にするのは絶対に無理そうだった。
同時に、オードブルがのったプレートもテーブルの上に置かれる。今日も厨房にエイヴリルはいない。そのため、娼婦たちから料理の腕がいまいちだと評判の元御者のシェフが腕を奮っていた。
揚げた芋を守るためにエイヴリルのことも守ると結束してくれた同僚たちは、運ばれてきた料理を見てあからさまにがっかりしている。
「今日、あの子がサロンにいないから、てっきり厨房に入っていて当たりの日に違いないと思ったのに……焦げてるぅ……」
「誰かうちのシェフに強火以外を教えてあげて?」
「あの子、どこにいっちゃったのかしら」
ここにいるのだが、皆は全然気がついていないようだった。普段はメイドの格好をして走り回っているので、まさかここでコリンナになりきっているなんて誰も思わないことだろう。
優雅な音楽が鳴り響くサロンにざわざわとした困惑の声が広がる中、外野のざわつきなど気にしていない様子のコンスタンは、グラスを手に取りエイヴリルに向かって掲げた。
「魅惑的な悪女のコリンナに乾杯」
「コリンナに……かんぱい……」
復唱しつつ思わず目を泳がせてしまったが、怪しまれる目前のところでなんとか踏みとどまった気がする。
「さぁ遠慮せずに」
「あ、ありがとうございます」
とにかく、喋れば喋るほどぼろが出そうだし、コリンナでないと早々にバレてしまいそうだ。とりあえずここは大人しく彼の勧めに従うのがいいだろう。
一方、テーブルの上の料理に視線を落としたコンスタンは、皆の話題に少し遅れて苦笑した。
「ここには最上級の食材を納品させているはずなんだが、いつ来ても料理が微妙だな」
「私は好きです。おいしいんですよ」
何度でも言いたい。エイヴリルはここの料理が好きだ。今も、異様なオーラを放つピンチョスを進んで口に運んだところだった。
自分の食の好みがずれていることはわかっているが、ここの料理をはっきり微妙と評されると、素直に同意するのは嫌なのだった。
すると、エイヴリルの振る舞いを見た彼は微妙そうな顔をした。
「君は昨夜『最高の料理店で、最上級の、最も高いメニューしか食べたくない』と言っていなかったか……?」
「あっ」
そうだった。コリンナならここで出てくる料理を褒めるはずがない。悪女を演じるということになると、どうして自分はこう詰めが甘くなるのか。
慌てるエイヴリルだったが、コンスタンはすぐに考え直したようだった。エイヴリルの本音を『気遣い』と変換したようで、優しいがギラギラした眼差しを向けてくる。
「若い女の子は素直に思ったことを言っていいんだよ。無理にまずい料理をおいしいと言う必要はないんだ。お金だっていくらでも出す。素直なのがかわいいからね」
「は、はい……」
エイヴリルはこくこくと頷くだけだ。食事に関してはもうこれ以上何も言わない方がいいだろう。
(幸い、コンスタンさんも納得してくださったようです。コリンナと私は食の好みが大きく違いますし、話題を変えましょう)
反省していると、隣のテーブルに座っている同僚たちの目線がこっちに向いた気がした。少しの間の後で、ひそひそと話す声が聞こえる。
「ねえ、待って」
「隣で微妙な料理をおいしそうに食べているあの子ってさ……」
困惑した声の後に誰かの確信めいた声が響く。
「エイヴリルさんだよね」
(その通りです……!)
しかし、なぜこのタイミングで。





