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瓦解

 部屋を満たす淫らな静寂と、張り詰めた殺意の緊迫を切り裂くように――突如として、扉が凄まじい音とともに乱暴に蹴破られた。



「動くな! 王立軍だ!!」


 なだれ込んできた武装した軍人たちが、部屋に充満する甘ったるい香の煙に眉を顰めながら、一斉に銃口を向ける。

 しかし、彼らがその目を見開いた先、視線の中心にあった光景に、屈強な兵士たちの動きが完全に凍りついた。


 そこにいたのは、はだけた衣服のまま上裸の男の身体に馬乗りになり、その太い首を全力で締め上げている女性――エマ・ヴァレンタイン伯爵令嬢の姿だったからだ。



 その後の展開は、息を呑むほどに早かった。



「がはっ……、はっ……!」


 気道を解放されたラファエルは、激しく咳き込み、息も絶え絶えになりながらシーツの上へと崩れ落ちた。もはや抵抗するだけの体力も残っておらず、なだれ込んだ軍人たちによって容赦なく床へとねじ伏せられ、拘束されていく。


 エマは、衣服の乱れを隠す保護と、状況が状況であるための形ばかりの身柄拘束を兼ねて、すぐに駆け寄ってきた軍の将校によって、厚手の軍上着と毛布で幾重にも包み込まれた。



 騒然とする小屋の入り口に、いつの間にか見知った顔が立っていた。


 レオン。そして、衣服を血と泥で汚し、満身創痍の姿となったルイス。


 エマは毛布に包まれ、媚薬の熱が冷めやらぬ身体を震わせながら、信じられないものを見る目でレオンを見つめた。



「……レオン。どうして……? 資料を届けたら、子供たちを連れてすぐに逃げろって、紙で伝えたはずでしょう……!」


 一人で泥を被り、ラファエルと刺し違えてでも子供たちの未来だけは逃がそうとした、エマの悲壮な決意の計画だった。

 しかし、レオンはそんなエマの悲痛な眼差しを真っ向から受け止め、どこか大人びた、そして誇らしげな笑みを浮かべてみせた。



「もちろん、エマ様の言う通りに資料は届けたよ。……だけど、俺一人でやったわけじゃないんだ」


 エマが最高幹部であるラファエルへと近づき、教団の奥深くへと入り込んでしまってから、二人の接触は激減していた。

 エマはその間、世界中で自分ひとりだけが孤独なプレッシャーに押し潰されそうになりながら戦っていたつもりだった。だが、レオンもまた、ただ泣いて待っていたわけではなかったのだ。


「エマ様と会えなくなってから、俺は守られてるばかりの自分が、どうしようもなく情けなくなった。親を殺されたやつらの側に何年もいたのに、都合よく記憶を消して、このまま死ぬまでこうしていればいいって、殻に閉じ籠もってた自分が許せなかった。だから、待ってるだけじゃなくて、俺も何かしなきゃって……。この教会の孤児たちのうち、教団に不信感を持ってる奴を集めて、少しずつ協力者を増やしていたんだ。皆、エマ様のことが大好きだからね」



 レオンは、自分の後ろの暗がりに控える、数人の孤児たちの姿を誇らしげに指し示した。


「皆で手分けして、教団の目を盗みながらエマ様の資料を回収したり、エマ様が裏山へ連れて行かれるのを目撃した仲間の情報から、この隠れ小屋までの正確なルートを探ったりしたんだ。俺はルイスを呼びに走りに行ったけど、教会を出てすぐの街道で、ちょうどこちらに向かってた彼と会うことができた。全部、皆で繋いだんだよ」


「レオン……、あなた……」


 エマの視界が、みるみるうちに熱い涙で滲んでいく。



 ミイラ取りがミイラになりかけ、狂おしい快楽のなかでラファエルに恋してしまった。そんな自分に「判断を間違えるな」「あの凄惨な死に際の記憶だけを信じろ」と激しく言い聞かせ、暗く孤独なトンネルを一人きりで猛進してきた。

 だけどその焦りのせいで、自分を思ってくれる周囲の優しさが、完全に視界に入らなくなっていたのだと、今になってようやく気づかされた。



 そこへ、痛む足を引きずりながら、ルイスがゆっくりと歩み寄ってきた。彼はエマの前に静かに屈み込むと、まだ殺気を微かに湛えている彼女の青い瞳を真っ直ぐに見つめた。

 そして、低く、落ち着いた声でエマに語りかけた。


「……エマ。何がそこまで君を頑なに突き動かしたのか、俺にはわからない。君がどれほど深い闇を抱え込んで、何と戦っているのか、そのすべてを理解してやることはできない」


 ルイスは大きな手で、毛布の上からエマの小さく震える肩を、そっと叩いた。


「でもな、これだけは言っておく。一人で何でも背負って、一人でやろうとするな。君がそんな、世界中で一人きりのような顔をしていたら……家族や友人が、どれほど身を引き裂かれる思いで心配するか、少しは考えろ」



「家族」――「友人」――。

 その温かい言葉の響きが、前世から通じても一度も触れられたことのなかった、エマの胸の奥の最も柔らかく、最も脆い場所に、深く突き刺さる。


 前世で誰にも看取られず孤独に死に、今世でも誰も信じられず、ただ独りで復讐の黒い炎を燃やし続けてきたエマの心が、やっとその瞬間、音を立てて完全に崩壊した。


「……っ、う、あ……」


 大好きな人だった。

 ラファエルのことは、心から憎く、そして同時に、確かに心から好きになってしまっていたのだ。すべてを投げ売って、彼の差し出す愛に溺れてしまえれば、どれほど楽だっただろう。すべてを捨てて、二人で世界の果てへ逃げ出せたら。


 だが、すべてを捨てて狂気に走ることなど、彼女には不可能だったのだ。



「あ……、う、ああああ……っ」


 エマは、目の前にいるルイスの服の胸元に、縋り付くようにして顔を埋めた。


 淑やかな伯爵令嬢としての仮面も、復讐者としての凍りついた冷徹さも、すべてが溢れ出す涙とともに洗い流されていく。


 エマはまるで、道に迷ってようやく親を見つけた幼子のように、わんわんと大声を上げて、生まれて初めて、息を切らせながら激しく泣き続けた。ボロボロと溢れる涙が、ルイスの汚れた上着を濡らしていく。

 ルイスは何も言わず、ただその小さな頭を、大きな掌で不器用に撫で続けた。



 部屋の外では、捕らえられたラファエルがエマの名前を叫びながら、軍民の怒号とともに連行されていく物音が響いていた。



 そして、今のエマを包む毛布とルイスの胸の温度だけは、復讐に凍りついていた彼女の魂に、確かに人間の温もりを思い出させてくれていた。

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