攻防戦
資料室でのあの息の詰まるようなやりとりを経て、ようやく表面的な平穏を取り戻したあと、私たちはいつものように、温かいハーブティを挟んで礼拝堂の奥の部屋で向かい合っていた。
私は指先に残る微かな震えと鼓動を心の奥底へと封じ込め、令嬢としての完璧な、そしてどこか儚げな穏やかの表情を顔に張り付けた。
「神父様……私、もっと子供たちの力になりたいのです。この教会に集まる皆さんの、本当の助けになりたい。ただの気まぐれではなく、本気で心からそう思っていますの」
言葉に熱を込める。
詐欺師や洗脳者を信じ込ませる最大の秘訣を、私は前世で知識として持っていた。嘘に本物としての真実味を持たせるには、言葉の核に、決して揺らがない「本心」を混ぜ込まなければならないのだ。
この教会に集まる人々を、そして無垢な子供たちを助けたい。
その言葉自体は、前世のあの惨めな死を乗り越え、この世からカルトという病理を叩き潰して被害者をこれ以上増やさないと誓った、私の偽らざる本心そのものだった。
私の青い瞳に宿ったその強い光に、神父は驚いたように少しだけ目を見張った。
だが、この男の観察力はやはり並外れていた。
神父はすぐにその形の良い唇を柔らかく綻ばせたものの、その笑顔の奥にある冷徹な刃は、未だ引っ込んでなどいなかった。
「エマ様……。あなたのような高潔な伯爵家のご令嬢がそのように言ってくださるなんて、神の祝福以外の何物でもありません。ですが……」
神父はそこで少し言葉を遮ると、机を挟んで私の顔をじっと覗き込んできた。
獲物を狙う蛇のような、肌を舐るような視線が私を突き刺す。
「あなたをそこまで突き動かすものが、ただの純粋な慈善の心だけではないように見えるのです。その瞳は、まるで何か大きな、恐ろしいほどの使命を一人で抱えているような……。差し支えなければ、あなたの心の重荷を、少しだけでも僕に分けてはいただけませんか?」
(――試されている)
ここで「そんなことはありません」と綺麗な絵空事で返せば、この男の疑惑は確信に変わるだろう。
私の瞳にある『執念』の正体を、奴が心の底から納得する形として差し出さなければ、この場は切り抜けられない。
答えをしくじれば、即座に破滅だ。
私の脳細胞が猛烈な勢いでフル回転する。
私はあらかじめ、このような「決定的な追及」をされた時のために、あえて誰にも語らずに温めておいた極上のカードを切ることにした。
学園で私の婚約者が転入生の女生徒に魅了され、裏切りに遭ったという事実。そしてその逢瀬の瞬間を見てしまうという不運。婚約破棄されれば、家の事業にも悪い影響が出るかもしれないという恐怖。
世間的にはただの哀れな悲劇だが、カルトの人間にとっては主食であり大好物たる『深い失恋の傷』を、極上の説得力として奴の前に差し出したのだ。
私がすべてを話し終え、寂しげに視線を落とした部屋の中には、お茶の湯気だけが静かに立ち上っていた。
沈黙が痛いほどに引き伸ばされる。
ちらりと下からラファエルの表情を盗み見た。私の告白は、この狡猾な男の疑惑を完全に払拭できただろうか。
(今回ばかりは、飲むしかない——)
その疑惑を少しでも払拭するために、エマはせり上がってくる吐き気を押し込むように、意を決してハーブティを胃に流し込んだ。
心臓の鼓動が早くなるのを、必死で押さえつける。
すると、神父はそっと手を伸ばし、机の上にある私の震える手を、大きくて温かい手のひらで包み込んだ。
「――お辛かったですね、エマ様」
その声には、先ほどまでの冷徹に探るような素振りは消え失せ、まるで本物の聖職者のような、深い慈愛と寄り添いの響きがあった。
「信じていた方に裏切られ、不安の中で藻掻いて苦しんで……。あなたがどれほどの恐怖と孤独の中で、必死に前を向こうとしていたか。脇目も振らず薬草園を耕していたあなたの様子を見れば、それがただの現実逃避ではなく、生きようとする強い意志の現れだったのだと、今ようやく理解できました」
神父の手のひらから、心地よい体温が伝わってくる。
その温もりに騙されてはいけない、と脳が全力で警報を鳴らす一方で、私は心の中で小さく安堵の息を漏らした。
(良かった……一応、納得したようね)
ラファエルは私の「執念」の理由を、婚約者を奪われた貴族の令嬢のプライドと、居場所を失った孤独によるものだと誤認した。カルトの人間にとって、これほど扱いやすい『極上のカモ』はいないからだ。
「どうか忘れないでください。たとえ学園や貴族社会があなたを裏切ろうとも、この教会は、僕は、そして子供たちは、絶対にあなたの味方です。あなたがここに差し伸べてくれた温かい手は、僕たちが全力を賭して守り抜きます」
「神父様……」
見上げる私の瞳から、一筋の涙が溢れ、頬を伝って流れ落ちた。
張り詰めていた緊張が解けた安堵からか、あるいはハーブティによる筋肉の弛緩のせいか——私の細胞がこちらの都合を察してくれたかのように、実に完璧なタイミングで涙が溢れてくれた。
神父は私の涙を愛おしそうに見つめながら、さらに言葉を重ねる。マインドコントロールの常套句をこれでもかと浴びせてくる。
「あなたは特別な人です。僕や子供たちにとっても、この教会にとってもかけがえのない存在だ。打ち明けてくださって、ありがとう。エマ様はとても頑張っていますよ」
「ありがとう……ございます……っ」
私は両手で顔を覆い、すすり泣くふりをしながら、深く頭を垂れた。
(『特別な人』『がんばっている』……そうやって私を上手く囲い込めたと思っているのね、神父様)
最大の危機は脱した。神父の信頼――いや、「手懐けた」という絶対の確信を勝ち得た今、私は教団のさらに深い闇へとアクセスする切符を手に入れたも同然だ。
だけど、ここからが本当の勝負だ。
一度でも疑われた以上、今後はますます慎重に動かなければいけない。
それに、この精神を削るような危険な男との心理合戦に、いつまで自分の理性が持ち堪えられるのかも分からない。
「——それで、何の資料を探しておられたのですか?」
ほっと息をついた瞬間に突きつけられる、一番最初の問い。
抜け目のない神父は、ピンポイントにタイミングを狙って、再び静かに毒の牙を突きつけてくる。
ドクン、と冷たく跳ねる心臓を無視して。
私はハンカチで涙を拭いながら、にこやかに次の問答へと身を正すのだった。




