悪魔のダンス
あの激しい憎悪を辛うじて「悲劇の令嬢の狂乱」へとすり替えたあの日から、私の計画は驚くほど順調に進み、上手くアストリッド教会の懐へと入り込む事に成功した。
神父がこの巨大な宗教組織の中で、一体どれほどの地位にいるのかはまだ分からない。けれど、日々接する中で見せるあの底知れない笑顔と、信者を巧みに誘導する怜悧な手腕を見るたびに、決して侮れない男だと警戒を強めていた。
教会での私の主な役割は、併設された孤児院で子供たちの世話をする事だった。
泥だらけでも楽しそうに、擦り切れた服を着て走り回る孤児たちと接していると、私はどうしても前世のあの閉ざされた村での自分をリンクさせてしまう。
(まだ何も知らない、無垢な子供たち……)
前世のあの一見ユートピアのようなカルト村にいた子供たちのうち、ほとんどは大人になってもあのまま村に残っていた。
外の世界に一度は出て傷つき、結局はあの優しくて、すべてを分け合える閉じた楽園で暮らし続ける。
それだって一つの生き方であり、彼らにとっては間違いではないのかもしれない。ただ、私にとってはそれがどうしても違った、というだけの話だ。
実際、ここで暮らす孤児たちも、この教会に保護されていなければ、今頃は路地裏で飢え死にするか、奴隷として売られるような、今よりも遥かに劣悪な環境にいただろう。
前世の日本のような手厚い福祉や人権なんて概念はない。ここはまだ、持たざる者が容赦なく切り捨てられる、中世のような残酷な世界観なのだから。
(だけど――だからって、許されるわけがないわ。彼らには選択肢すら与えられていない)
心が痛むのは、この無垢な子供たちが、大人たちの指示で「ハーブ」の栽培を手伝わされていることだった。
自分たちが育てているものが、人間の精神を狂わせる違法薬物かもしれないと知らずに、無自覚なまま犯罪の片棒を担がされている。その構造は、やはりどう考えても狂っている。
もし、私の手でこの教団を根絶やしにすれば、子供たちは再び行き場を失うだろう。救いの家を壊した私を、一生恨み続ける子供だってきっといる。
「それでも、私はやらなくちゃ……」
誰に届くでもない決意を、胸の奥で低く呟いた。
良く晴れた日の事。
その日は救世主が悪魔を退けた日とされていて、毎年必ず、悪魔に扮した大人に子供たちが木の実を投げて追い払うという行事を行うのだそうだ。
「エマ様……本当にこれ、僕に似合ってますか?」
「大変よくお似合いですわ、ラファエル様」
神父ラファエルは、悪魔に扮している。悔しいが、黒い毛皮と長い尻尾はその美しい造形を更に際立たせていた。
「はあ……木の実、当たると結構痛いんですよね……。それに神父なのに悪魔役だなんて、なんだか複雑な気持ちですよ」
「そうですね……だけど、その毛皮も尻尾もとっても可愛らしいですわよ? さあ、子供たちが今か今かと待ち侘びておりますわ。早く行ってらっしゃいまし」
私は両手を頬に当てて、いかにも楽しげな、無垢な令嬢の笑みをニコニコと浮かべて彼を送り出す。
(ええ、本当によくお似合い。だってあなた、本物の悪魔なんだもの)
「……人間ども、食ってやるぞ〜!!」
「うわー、来たあ!! 皆、投げろー!!」
ラファエルは情けない声を上げながらも、子供たちのために全力で「悪魔役」を熱演して追いかけ回されている。
教会を訪れていた信者たちは「なんと子供思いの慈悲深い神父様か」と微笑ましそうに眺めている。
実につまらない、よく出来たパフォーマンスだ。その光景を、私は木陰からにこやかに見守っていた。
「お疲れさまでした。子供たちもとても楽しそうでしたわね」
「やれやれ、やっと終わりました。……ところで、今年は子供たちが事前に戦略を練っていたみたいで、罠が仕掛けられてたり陣形が組まれてたりして驚きましたよ。まさかエマ様の入れ知恵ですか?」
「いいえ、私はただ盤上遊戯を教えただけですわ」
「絶対それが原因でしょう!」
あたたかい笑い声が、穏やかな境内に響き渡る。
子供たちは私が教えたゲームのルールを応用して、見事にラファエルを翻弄したらしい。いつかどこかで彼らの役に立つかもしれないと、私はこの子供たちに「いざという時の動き方」を教え込んでいるのだ。
だが、そんな騒がしい子供たちの中で、一人だけ、どうしても気になる少年がいた。
レオンという名のその少年は、他の子供たちが無邪気に群れる輪には決して入ろうとせず、いつも少し離れた場所から、虚ろな目で周囲を眺めていた。
彼が誰かと親しげに話すところを、私は一度も見たことがない。
周囲からは「心を閉ざした可哀想な孤児」だと思われているようだった。けれど、私は知っている。あの少年の瞳を。
物陰から神父や大人たちを見つめるその瞳の奥には、絶望が宿っていた。それは、私があの「こわい部屋」の鏡の中で見たものと同じ――心が壊れてしまった瞳だった。
(……あの少年も、前世の私と同じなのかもしれない)
レオンの凍てついた眼差しに、私は深い痛みを覚えていた。
私は、一つ試してみる事にした。
数日間、不自然にならない程度に彼を観察していると、ある事に気づいたのだ。
教会の聖典や、大人たちが放置した書類に彼がほんの一瞬だけ視線を落とす仕草――その目の動きから、どうやら孤児でありながら、彼は「文字が読める」らしいのだ。
私はエプロンのポケットから、街で密かに買っておいた蜂蜜飴を一粒取り出した。
木陰の特等席で、いつものように膝を抱えて地面を見つめているレオンへと歩み寄っていく。
私はそっと彼の隣に寄り添うようにしゃがみ込むと、何も言わずに、その小さな手のひらの上に蜂蜜飴をぽんと差し出した。
「これ、美味しいのよ。少し、食べてみない?」
黄金色の飴を包む、小さな紙。
レオンは私の動きを見て、それを真似をするように緩慢な動作で飴を口に放り込んだ。
彼の焦点が残された包み紙へと合わさった瞬間、レオンの身体が微かに強張ったのを、私は見逃さなかった。
包み紙の裏側には、小さな一言だけが書き残されていた。
『ここは天国? それとも地獄?』




