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復讐者たち

 あの日、蜂蜜飴の包み紙に仕込んだ文字。


 世界のすべてを諦めていた少年の身体が、かすかに強張ったのを私は見逃さなかった。



 ――それから、数日後のことだ。


 薬草園での作業中。他の子供たちや大人からの死角になる生垣の裏で、レオンは私の目を真っ直ぐに見つめ、小さく震える声で呟いた。


「……ここは、地獄だよ」


 その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥で静かな勝利の鐘が鳴り響いた。



 その日から、レオンは「エマにだけ懐いた子供」として、常に私の傍に寄り添うようになった。


 神父や周囲の信者は、心を閉ざしていた哀れな孤児が優しい令嬢に心を開いたのだと、微笑ましげにそれを受け入れている。


 彼という協力者を得たことで、私の足場はより強固になり、格段に動きやすくなった。



 何より、最近のラファエル神父は、私の「洗脳」が順調に進行していると完全に油断しきっている。


「エマ様、疲れたでしょう。いつものハーブティを淹れましたよ」


「ありがとうございます、ラファエル様」


 事あるごとに差し出される、あの蜂蜜の甘い香りに隠された、脳を狂わせる怪しげな毒。



 私は笑みを貼り付けたまま、それを淑やかに口元へと運ぶ。もちろん、一滴も喉は通さない。


 神父が子供たちに視線を向けた隙を見計らい、袖の奥に仕込んだ吸水性の高い布に素早く染み込ませるか、あるいは足元の暖炉の煤の中へと静かに流し込む。


 ――ふう、と深く息を吐き、空になった陶器の器を机に戻す。


 「飲んだふり」を完璧に演じきるのは、神経が擦り切れるほど大変な作業だったが、その苦労に見合うだけの果実は着実に実りつつあった。



 監視の目が完全に逸れた夕暮れ時。

 私とレオンは、人気のない薬草園の隅で、静かにハーブの収穫をしながら言葉を交わしていた。


 周囲からは、熱心に奉仕活動に励む令嬢と、彼女を手伝う従順な子供にしか見えないだろう。



「……俺の両親は、ここら一帯の地主だったんだ。でも、奴らに殺された」


 レオンは手元を動かしたまま、淡々と、しかしその声の奥に明確な恨みの炎を宿らせて、自らの壮絶な過去をぽつりぽつりと私に語り始めた。





 それは、彼がまだ三歳の頃のことだった。


 この地に「聖アリア教」と名乗る人間が突然やってきて、ここに教会を建てたいからと、レオンの父親に土地の譲渡を要求してきた。


 レオンの父親は、彼らの教えを一聴しただけで「お引き取り願おう」と一蹴した。


 当然の判断だった。


 この土地の人々が古くから大切にしてきた、豊かな山や川に宿る「土地神」を忌まわしき悪魔呼ばわりし、ただ一人の絶対神のみを信仰せよと迫ってきたのだ。そんな傲慢な宗教を、受け入れられるはずがない。


 だが、奴らは諦めなかった。何度も、何度も執拗に足を運んでは、どこから調達したのかも分からないような大金を応接間に積み上げ、土地を力ずくで買い叩こうと交渉を重ねてきた。


 幼いレオンは、重々しい扉の隙間から、その異様な光景を何度もじっと目にしていた。




 そんな膠着状態が続いていた、あるひどく乾燥した日の夕暮れ。

 幼稚舎での学びを終えて、世話係と共に家路についたレオンを待っていたのは、文字通りの地獄だった。


「あ……あ……!」


 家が、天を突くような真っ赤な火柱に包まれていた。

 レオンはその場にへたり込み、ただ呆然と立ちすくむことしかできなかった。


 熱風が頬を焼き、パチパチと木のはぜる音が、少年の世界の終わりを告げていた。



 やがて鎮火した燃え跡から見つかったのは、無惨にも二つの黒焦げた死体――愛する両親だった。


 煙草の火の不始末が原因だろうと言われたが、父も母も煙草など吸わない。

 それに、二人は玄関の扉の前に折り重なるようにして亡くなっていた。まるで、逃げたくとも扉が内側から開かなかったかのように。



 天涯孤独となった幼いレオンは悲しみに耐えきれなかったのか、記憶を失い魂の抜け殻となった。



 数日後、そんな彼の前に現れたのが、あのラファエル神父だった。

 神父はレオンの様子を見て、記憶がないと悟ったようで、慈愛に満ちた笑みを浮かべ、傷心のレオンを聖アリア教で「保護」したいと言ったのだ。

 その時レオンを預かっていたのは家の世話係だったが、雇い主が死亡し収入もない以上、いつまでも義理人情だけで世話をするなど到底不可能だったのだろう。彼女もどこかホッとした様子でその申し出を受けたのだった。

 

 そしていつの間にか火事の跡地には、まるであらかじめ用意されていたかのように、あの聖アリア教の「アストリッド教会」が堂々と建設され、レオンは教会の修道院に入れられた。——いつ記憶を取り戻すかわからない子供を、側で監視するために。




 あの事件からずっと、レオンの頭には霞がかったままだった。乖離した心で他人事のように自分の様子を遠くから見つめて、ただ時間が過ぎ去るのを待つだけの日々に甘んじていた。



 そこに突如として、あの蜂蜜飴の包み紙に書かれた文字が飛び込んできた。


 ――『ここは天国? それとも地獄?』


 その瞬間、凍りついていたレオンの時間が、猛烈な勢いで動き出したのだ。


「……ここは、俺のすべてを奪った奴らが、聖者面をして笑っている、最低の地獄だ」


 レオンがゆっくりと顔を上げ、泣きそうな目で私を見つめた。



 私はしゃがみ込み、レオンの小さな手を強く握りしめた。


「――あなたの全てを奪った奴らを、私が必ず同じ地獄へ引きずり落としてあげる」





 その時、レオンの目に飛び込んできたのは――可憐な令嬢の仮面の裏で、教団への底知れない復讐の炎をギラギラと孕ませている、力強い瞳だった。


 それはあの忌々しい、あの日の両親を焼き尽くした炎を思い出させるほどの熱量を持っていた。



 少年は、その悪魔をも焼き殺しそうな昏い瞳が、この世界で一番美しいと——心の底から、そう思った。


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